揺らぐ古河
下総国 古河城 足利晴氏
梅千代王が誕生したことで北条の連中が活気づいている。まだ表立って言ってはこないが、遠くないうちに梅千代王を嫡男にするよう働きかけてくるだろう。
正直、嫡男幸千代王の置かれている立場は苦しい。廃嫡させるつもりはない。だが今川の娘を嫁に迎えても、あの簗田の血を引いていることが影響しているのか、幸千代王を支持する声は少ない。千葉ですら明確な支持を示さなかった。
「それで、首尾はどうだ？」
「下野守殿の考えは変わらないとのことです」
「ちっ、小四郎め。北条に靡いたか？」
交渉が不調に終わったことに、つい舌打ちが出る。
梅千代王誕生を受けて、改めて祇園城の小四郎に幸千代王を支持してくれるよう要請してみたが、結果はけんもほろろだった。
たしかに小山は簗田とは一悶着あったが、長年古河に従ってきた小四郎なら話せば理解してくれると思っていた。しかし小四郎は決して首を縦に振らず、幸千代王を支持できないの一点張り。使者を務めた二階堂も粘ったが小四郎の意見は変わらなかった。
「下野守殿は変わられてしまった。昔ならば公方様に喜んで従っただろうに。力をつけて勘違いしたか」
重臣のひとりがそう口にすると、それに同意する声が次々と発せられる。
幕臣の中では小山家に対する不満が高まってきている。桐生に味方して山内上杉を破ったり、古河に従っていた赤井と小泉を傘下に収めたりと古河の意向に沿わない行動が増えたのが要因だ。
しかし小四郎もそうだが、北条も北条だ。せっかく梅千代王を古河に迎えると言っているのに北条は健康面を理由ににべもなく断ってきた。幕臣たちは不敬であるといって元々強かった北条への反発を更に強めている。
古河と北条の緊張が続く中、どうやら北条は甲斐の武田と駿河の今川に和睦を持ちかけたという。武田とは和睦が成立したようだが、今川とは決裂したとのこと。
今の北条の当主は先代と比べて頼りないくせに自分の立場を弁えていない印象が強い。北条が強かったのは先代がいたからに過ぎない。今川もそれがわかっているから和睦に同意しなかったのだろう。逆に武田は何を考えているのかわからず、不気味な存在だ。
そんなあるとき、突然北条が真里谷領の椎津城に侵攻してきたではないか。真里谷の当主である八郎太郎から停戦の仲介の報せを受けて事態を知った儂はすぐに北条に兵を引かせるよう使者を椎津へ送る。
だが使者が到着する前に椎津城は落城してしまい、城を守っていた八郎太郎の倅甚五郎は敗走。使者を務めた本間美作守は北条の本陣に出向き、北条に兵を引くよう要請したらしいが一笑されたという。
「こちらの出した和睦を蹴るだと！？こちらの面目を潰すとは北条め、増長し切っておるな」
近年の北条の振る舞いは許しがたい。古河にも干渉を強めてきており、このままでは次期公方についても幸千代王を廃して梅千代王を担いでくるだろう。そうなれば公方は北条の傀儡になってしまう。それだけは避けなければならない。
「梅千代王がいなければ……いや、なんでもない」
そこまで口にしてふと我に返る。これは幕臣の前でこぼすことではない。梅千代王も儂の子供だ。滅多なことを言うべきではない。最近上手くいかないことが多くて気が参っているな。
「どうやら公方様はお疲れのご様子。お休みになられたらいかがでしょう？」
「そうだな。そうすることにしよう。あとは任せるぞ」
一色八郎の言葉に従い、儂は寝所へ向かうことにした。女を抱く気すら起きない。今はただゆっくり眠ることにしよう。
疲労が溜まっていたからなのか、儂は背後で話し合う八郎らの言葉を聞き取ることができなかった。
「ええ、ゆっくりとおやすみください。あとは、我々が上手くやっておきますから」
「しかし言わなくてもよかったのですかな。北条が攻めてきた要因が真里谷が北条の船を沈めたからだということを」
「ええ、古河の名誉のためにも公方様には黙っておくべきでしょう」
「公方様も梅千代王様が邪魔なご様子。任せたと言われたからには全力を尽くしましょうぞ」
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