梅千代王丸
一五四三年 下野国 祇園城 小山晴長
昨年は何度かの戦もあったことから年末は内政に努めた。尾張の織田信秀と誼を通じた縁から津島から鉛と一緒に他の交易品も仕入れることが可能になる。
鉛は無事に小山に届き、これらを城下の職人に銃弾として加工するように命じた。
「ふむ、ようやく火縄銃と銃弾の生産が本格化してきたな」
「御屋形様、常陸から海藻が到着いたしました。これで本当にあの石鹸の匂いが解消されるのですか?」
報告にきた谷田貝治部は半信半疑の様子。それも仕方ない。現状の石鹸は獣脂を使っていることもあって匂いがなかなか強烈だからだ。
「それは実際見てみた方が早いぞ」
俺はそのまま家臣たちを連れて未亡人らが中心でおこなっている石鹸製造の場を訪れる。
今までは獣脂と木灰だった材料は菜種油と海藻の灰に変更されている。それを煮詰めて冷やすと石鹸はできるが、材料が変わったおかげなのか、あの強烈な匂いは全くしていなかった。
「ほう。これはたしかに匂いがしませんな」
「とはいえ、使っているのが菜種油だから大量には作れんがな」
ちょうど完成したものもあるというので見せてもらうと固めの石鹸が出来上がっていた。獣脂の物は柔らかい物だったが、ようやく現代の物に近い固形のものができるようになった。
「これは既製の高級品版として少数生産だな。ただ、もっと菜種油の費用を抑えられるようになればこれが主流になるかもしれん」
「これは良いですな。匂いがしないだけでかなりの需要がありますぞ」
完成した新たな石鹸は今後小田原、古河、京などで販売していく予定だ。大口の北条あたりは恐らく買ってくれるだろう。晴氏にも後で献上するとするか。
季節は巡り、春がくる。そして、ついに北条の姫が赤子を出産する。男児だ。
名を梅千代王丸。史実でいう義氏の誕生だった。
北条の血を引いた正統な跡継ぎの誕生は古河と北条との関係を更に複雑としていく。どうやら姫は古河ではなく小田原で出産したようで、しばらく梅千代王丸は小田原で過ごすことになりそうだ。
それでも跡継ぎ候補の誕生を祝って晴氏のもとには各地から祝いの使者が訪れていた。小山家も三郎太を使者として送ったが、戻ってきた三郎太の表情は曇っていた。
「どうした。なにがあった?」
「御屋形様、これはまずいかもしれませぬ」
どういうわけだと問うと、三郎太は周囲の目を気にしつつ、小声で話し出す。
「公方様は終始不機嫌な様子でした。明らかに誕生を喜んでおりません」
「警戒していた北条の血を引く男児だからな。仕方あるまい」
「それだけではございません。これは幕臣の方が零していたことですが、あまり宜しくないことを企てているようです」
「どういうことだ?」
曰く、一部の幕臣の中に今のうちに梅千代王丸を始末しようという動きがあるという。また信憑性は定かではないが、公方様も関わっているとか。
「俄には信じがたいな。警戒しているとはいえ、公方様がそんな短慮なことを表立ってやるとは考えにくいが」
「ええ、今動けば間違いなく疑われるのは公方様です。ですが、幸千代王様の将来のことを考えると焦りが出るのも納得かと」
「この件は段蔵に探らせろ。北条も風間を使っているはずだ」
まだ断定するには情報が足りない。もし本当にそんな浅慮な真似をしようならば古河と北条の関係は決裂することだろう。そうなれば坂東は史実以上の混沌となりかねない。
そして問題はもうひとつ。
「三郎太、これはまだ内密だが、四郎に男児が生まれた」
「なんと!?」
そう、同時期に時氏にも男児が生まれたのだ。晴氏の異母弟とはいえ足利の血を引く男児は場合によっては更なる混乱を引き寄せることになる。そのため、男児の存在は小山の中でも一部のみに秘匿されている。
あまり考えたくはないが、事態によってはこの男児が新たな公方になるかもしれない。存在が知られたら間違いなく周囲から狙われるだろう。
一応男児の存在を秘匿することで四郎から了解も得たが、嫌な予感がどうも拭きれない。
「坂東が荒れなければ良いが……」
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