西常陸侵攻
一五四二年 常陸国 野田 中村時長
佐竹から西常陸の反乱平定の要請が届き、御屋形様は平定に協力する条件として領土切り取りを佐竹に提示した。佐竹も小山に土地を渡すことは避けたかっただろうが、敵に囲まれている状況の打開として御屋形様の案を呑み込むしかなかったようだ。
佐竹から切り取りの許可を得た御屋形様から二五〇〇の兵を預かった儂は総大将として茂木から野田を経由して常陸へ侵攻する。
最初の狙いは野田に隣接する長倉城だ。城主の長倉遠江守は元々部垂殿の有力な支援者だったが、此度の反乱に首謀者のひとりとして加わっていた。
「あれが長倉城か。かつて幕府の大軍の猛攻にも耐えたと聞いたことがあるが、どれほどのものか」
見た目は典型的な山城だが特別堅牢とは思えない。だが油断はできない。今回は領土切り取り次第のことだ。出来るだけ多くの土地を得る好機でもある。ここで躓くわけにはいかない。
長倉城を包囲すると、城から慌ただしい様子の使者が本陣を訪れる。
「下野の小山様とお見受けいたす。何故ゆえ長倉城を包囲するのでしょうか」
「此度は佐竹殿の要請で西常陸の反乱の平定にきた。大人しく降伏するか、戦うか。長倉殿に伝えよ」
使者は顔面蒼白のまま城に戻ったが、しばらくして城から鬨の声が響く。どうやら籠城を選んだようだ。
どう攻略するかと思案していると、ひとりの男から進言があるという。
「常陸野田城が与力、真田源太左衛門と申します」
「ああ、信濃から士官したという。それで案とは?」
「はっ、長倉城には緊急時に使う抜け道がございます。そこから少数で奇襲をおこなうのです」
「抜け道?そんな都合の良いものがあると?なぜそれを知っている?」
「実は常陸野田に赴いてからずっと周辺の土地について調べておりました。抜け道の存在も確認済みです」
源太左衛門殿のあまりの用意周到さに舌を巻く。なるほど、これは御屋形様がわざわざ小山家に呼び寄せたわけだ。
他の将とも協議した上で源太左衛門殿の案を採用し、彼に二〇〇の兵を与えて奇襲をおこなうことにした。
結果は大成功。本来なら知るはずのない場所から小山の兵が現れたことに長倉城方は大混乱に陥り、その隙をついて総攻撃を仕掛けるとあっという間に落城。長倉遠江守は討死した。
「よし、休息をとった後、更に東進するぞ」
長倉城に僅かな兵を残して再び進軍を開始する。次なる目標は長倉の東に位置する野口城だ。
長倉城を落とした勢いのまま野口城を包囲すると、長倉城の落城を知った城主野口但馬守が自ら本陣に出向いて降伏を告げる。
無血開城した野口城で一晩明かすと、早朝から西常陸の有力国人である長倉と野口の敗北を知った周辺国人らが一斉に小山に恭順を求めてきた。上小瀬城の小瀬太郎、小舟城の高沢兵庫、東野城の東野摂津守。特に長倉と野口に並んでこの地域で影響力のある小瀬が降ったのは大きかった。これで国境付近の那珂川以北の有力国人が軒並み小山に下ったことになる。
そこで改めて軍議を開き、目的は次の進軍先について協議する。
ひとつはこのまま東進を続けること。そしてもうひとつは那珂川を渡河し南下して大山を落とすことだ。
大山は佐竹の中でも宗家との繋がりが深い家だ。今は佐竹四郎に反発している状態だが、先代の頃までは佐竹に忠誠を誓っていたと聞く。長倉や野口以上の力を誇る大山を無視して東進を続けるには危険が大きい。
一方で大山を攻めれば東進は難しくなるという面も出てくる。大山はいくつか支城を持ち隣接する石塚とも連携を取っている。大山と戦うことになれば石塚との戦う必要があるだろう。
軍議ではどちらの意見も出てきてなかなか片方に絞るのは難しい状態だった。
「源太左衛門殿はどちらの意見かな?」
「東進ですな。この時期に渡河してまで大山を攻める利点は多くありませぬ」
源太左衛門殿に話を振ると、彼は東進を支持し大山攻めの回避を訴える。
「我々の建前上の優先事項は西常陸の平定です。となれば首謀者のひとり、宇留野五郎を先に討つべきでしょう。それに南下すれば大山や石塚だけでなく、小場や高久も控えています。彼らとも戦になれば流石に兵の負担が大きすぎます」
それに、と源太左衛門殿は続ける。
「抑えるべきは那珂川の水運です。大山に南下するより那珂川流域の宇留野や部垂を落とすべきでしょう」
彼の言葉に諸将が唸る。たしかに南下すれば大山以外の国人とも戦うことも考えられる。一方、東進すれば残るのは宇留野城と部垂城のみだ。下手に欲を掻くより那珂川沿いを平定する必要があるか?
「し、しかし大山を無視すれば挟撃される危険があるのではないか?」
ひとりの将の声にも源太左衛門殿は冷静に答える。
「それも考えられます。ですので大山には策を仕込みます」
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