燻る西常陸
下野国 祇園城 小山晴長
徳寿丸の庶兄佐竹義友が岩城方である龍子山城の大塚信濃守政成を頼って逃れ、やがて政成やその主君岩城重隆らの支援を受けて下手綱砦で義元に対し反旗を翻した。
義友からすれば、腹違いとはいえ弟を死に追いやった叔父が当主として迎えられるのが許せなかったのだろう。まだ若い義友が単独で龍子山城まで逃げて反乱を起こせるとは思えない。おそらく内部に手助けした存在がいたはずだ。
義元は義友の反乱に対し、主に西常陸の国人を動員して鎮圧しようと動くが、今秋三度目の戦となれば国人たちの腰は重くなる。
結局、思うように兵が集められないまま義元は義友籠る下手綱砦を攻めたものの、士気も低い義元勢は冬場の降雪前に砦を落とすことができずに一時撤退を強いられた。
「落とせなかったか。佐竹も苦難が続くな」
「御屋形様、今回の戦でどうやら西常陸の国人の不満が非常に高まっているようです」
「多すぎる戦は負担が大きいからな。しかも今回は北常陸で起きた佐竹の内輪揉めだ。当事者意識すらないだろう」
俺の言葉に三郎太が苦い表情を浮かべる。
「それにしても西常陸の国人は佐竹を蔑ろにし過ぎていませんか?当事者意識って、本当に佐竹に従属している自覚があるのでしょうか?」
「いや、彼らに佐竹に従属してる自覚はないだろうな。先の内乱の前に起きた一〇〇年の内乱が彼らの独立性を強めてしまったからな」
西常陸の国人が佐竹に反発していた要因のひとつに義元が起こした反乱より前に起きた、後世で山入の乱と呼ばれるおよそ一〇〇年続いた佐竹宗家と庶家の山入家の争乱があった。
主に久慈川以東で起きていたこの約一〇〇年の乱で蚊帳の外に置かれていた西常陸の国人たちは佐竹が介入してこないことを良いことに、佐竹から距離を置いて独自性を強めていた。
一世紀近く佐竹の介入がなければ彼らに佐竹に従っている自覚が生まれるわけがない。佐竹義舜が乱を収めてからは佐竹もようやく西常陸に目を向けるようになるが、次代の若い義篤に素直に従うような従順さはなかった。だからこそ兄弟間の不仲が表面化した義元を西常陸の盟主として担ぎ上げて義篤の支配に反発したのだ。
そういった事情を理解してたからこそ義篤は西常陸の平定に乗り出したのだろうが、彼らに擁された義元にそれが理解できているだろうか。
翌一五四二年の年始、そんなこちらの懸念が的中することになる。
義元が再度兵を集め、義友討伐に乗り出したのだ。背後に岩城がいる以上、義友を放置できないのは理解できる。だが、行動に移すのがあまりにも早すぎた。
立て続けの徴兵は実質四度目に及び、西常陸の国人の堪忍袋がついに切れてしまった。義元の要請を拒否するどころか、反乱を起こしたのである。
反義元派として彼らは義元の養父である宇留野義久の部垂城を攻撃。義久は太田城に詰めていたので難を逃れたが、城に残っていた一族は撫で斬りに遭ってしまった。
これには義元も大いに狼狽したようで、義友との和睦に動いたが義友側の拒絶もあり失敗に終わってしまう。
義元は久慈川以東の国人らを動員して部垂城奪還に動くが、親義篤派だった大山や石塚、そして宇留野城の宇留野源五郎すら反義元派に転じており、鎮圧どころか部垂城を落とすことすらできなかった。義元の苦戦は常陸中に広まり、江戸や笠間といった周辺国人が不穏な動きを見せ始めていた。
そしてついに義元から小山家に反乱の鎮圧の要請が届いた。
「たしかに西常陸には小山の領土がある。他人事では済まないな」
「では御屋形様、要請に応じるのですか?」
「まさか。佐竹の尻拭いのためだけに小山の大事な兵を出すわけがない。ただ、そうだな。条件によっては協力しようではないか」
俺はある条件を付け加えるならば喜んで兵を出すと義元へ伝える。果たして義元はどのような決断を下すのだろうか。
拒絶して自力での鎮圧を目指すか、ある条件を認めて小山の助力を得るか。どちらにせよ佐竹にとっては厳しい選択を迫られている。
そしてひと月もしないうちに義元から返事が届いた。その内容を一読して俺の口角はゆっくりと上がる。
「皆の者、戦の支度だ。これより西常陸の反乱の鎮圧に向かう!なお──」
と、一度深く息を吸う。
「土地は切り取り次第とのことだ!」
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