吉兆と迫る戦の匂い
下野国 祇園城 小山晴長
天王寺屋と銭屋に取引の許可を与えてからしばらくして、小山家に吉報が訪れる。
妹のいぬと正室である富士の懐妊だ。
さすがに同日ではないが、立て続けの懐妊に家中も和やかな空気に包まれている。喜子も姉のように慕う富士の懐妊を心から喜んでいたが、自身がまだ子を授けられていないことを少し気にしているようだ。
「なかなか子を授けられず、申し訳ございません」
「なに、喜子はまだ若いし、身体が完全に大人になっていない。身体ができていない状態で妊娠すれば母子ともに危険なのだ。焦る必要はないぞ」
「そうなのですか?しかし父からは早く孫が見たいと」
この時代の人間として仕方ない面もあるが、あまり急かすのはよろしくない。
「清原殿にはあまり娘を焦らせないでほしいと言っておこう。こちらにはこちらの時間があるのだから」
喜子は安堵した様子だったが、やはり子供のことについては深く考えている様子。もう少し夜に喜子のところを訪れるべきか。
幸いにも正室と側室の仲は良好で富士も喜子のことを気にかけている。おそらく喜子の悩みにも気づいているだろう。早めに悩みを解消できれば一番なんだが、無理もさせたくない。こればかりは運に祈る他ないか。
季節は巡り、夏が過ぎる。
この時期になると各勢力の間で小競り合いや青田刈りなど動きが見られはじめた。
常陸では結城方の海老原俊元が守る海老ヶ島城を小田政治が襲撃してきた。小田勢七〇〇の兵相手に一時は落城寸前まで追い込まれたらしいが、結城・多賀谷・水野谷の援軍によってなんとか持ち堪えたという。
特に水野谷政村の活躍は凄まじく、敵の部将を二名討ち取り、小田勢を敗走に追い込んだ。この援軍の中には政勝義兄上の嫡男三九郎晴勝も従軍しており、これが初陣だったとのこと。
この勝利で息を吹き返した結城勢はその勢いのまま小田勢を追撃し、なんと小田家の居城である小田城も落としてみせたのだ。小田城が防御に適さなかったということもあり、当主の政治はそのまま家臣の土浦城に逃亡した。
結城家は小田城奪取という大戦果を挙げたわけだが、当主の政勝義兄上は結果的に勝ったとはいえ、三九郎らが敵を深追いしたことについてあまり良く思っていなかったらしい。さすがに叱責はしなかったようだが、まあ気持ちは理解できる。
一方、小山家でも那須高資攻略に向けて着実に動いていた。まず高資方の佐久山弾正の調略が進んでいる。那須一族で佐久山城主の弾正は小山家への寝返りを打診していた。那須の重鎮のひとりである弾正が寝返れば高資にとって大きな打撃となるだろう。
「佐久山以外の動向はどうなっている?」
「金丸要害の金丸近江守殿も寝返りの意思を固めております。ただ立地の関係でまだ表立って動けないとのこと」
「金丸はたしか助九郎の縁者だったな。よし、無理にこちらの動きに合わせなくても構わないと伝えてやれ」
問題は那須七騎の面々だな。高資の後ろ盾である大関宗増は敵と認定して問題ないが、福原と蘆野の動向がはっきりしないのが厄介だ。
両者もこちらに寝返る様子は見せていないが、こちらとの接触も断つつもりはないらしい。おそらく小山と高資を天秤にかけているのだろうが、そんな優柔不断な態度で交渉を引き延ばそうとしているのは気に入らない。
彼らは高資の主力なので寝返りに成功すれば大きな戦果にはなるが、この調子では仮に寝返っても土壇場で動きを変えるのではないかと思えてくる。
「蘆野と福原の調略は中止だ。奴らは当てにならん。いつまでも曖昧な態度を貫けると思ったら大間違いだ」
調略は加藤一族に任せて、今度は那須高資攻略の作戦の策定に移る。三郎太、右馬助、横倉藤蔵、芳賀高規ら重臣らと協議を重ねた結果、軍勢を三つの行路に分けて各支城の攻略をおこなうことになった。
まず北から箒川沿いへ進む軍勢に塩谷義尾・君島広胤・塚田美濃守ら、南から那珂川沿いを進む軍勢に那須次郎資胤・千本資俊・芳賀高規・中村時長・妹尾平三郎ら、そして葛城から進む軍勢が俺が率いる小山本隊だ。本隊には小山三郎太勝定・小山右馬助・山本勘助・宇都宮親綱らも含まれている。
かつてない規模の動員となるので出陣は農閑期になるだろう。今回の遠征で那須高資と大関宗増の息の根を止めたいが、向こうも手練であるため油断は禁物だ。
史実でも宇都宮俊綱が少数だった那須高資に敗れて討たれている。俺がその二の舞にならない保証はない。
「いいか、兵数が多いからといって油断はするな。各々準備を進めろ!」
「「「応!!!」」」
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