表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
320/345

真田源太左衛門の葛藤

 上野国 厩橋 真田源太左衛門幸綱


 山内上杉の軍勢が信濃から退く光景を前に目の前が真っ暗になる思いに襲われた。


 何度も何度も懇願して、ようやく実現した信濃遠征。それがこんな幕切れになると誰が想像しただろうか。


 関東管領様が長野殿を総大将に信濃へ侵攻したまでは順調だった。佐久郡の国人たちは戦わずに降伏し、このまま進めば我が旧領・小県郡まですぐ辿り着く。あと少しで故郷に帰れる、そう信じていたのだ。


 だが、その希望は無惨にも潰えた。山内上杉家は佐久郡で進軍を止めると信濃の諏訪家と和睦を結んだのだ。そして諏訪家から佐久郡の割譲を受けると、小県郡に入ることなく、そのまま上野へ撤退をはじめたではないか。


 絶望の淵に立った儂は、本陣で帰り支度を進める長野殿に詰め寄った。


 なぜ、ここで上野に戻るのか。小県郡には進まないのか、と。


 だが長野殿は関東管領様の指示だと一蹴し、儂を本陣から追い出した。他の山内上杉家の人間は必死に長野殿へ呼びかける儂の姿を嘲笑っていた。


 悔しかった。信じられなかった。そして、そのあまりの屈辱に憤死するところだった。


 気づけば長野殿から借りていた厩橋の屋敷にいた。どうやって戻ってきたのか記憶にない。


 留守を預けていた家臣たちは最初こそ期待した面持ちだったらしいが、儂の様子からただならぬ事態を察したようだった。


 その夜、残ってくれている家臣や弟たちと今後の方針について話し合う。



「なんと、無情な……」



 儂の妻の兄にあたり、真田家の家老である河原丹波守が顔を紅潮させて怒りを露わにしている。


 約束を違えただけでなく、名目として利用し領土を得たこと、儂が愚弄されたことなど、真田家が虚仮にされたことに忠義心の強いこの男が憤らないわけがなかった。


 弟たちや他の家臣も山内上杉家の仕打ちに対して鬼の形相を浮かべていた。



「兄上、これほどの屈辱はありませんぞ。もはや山内上杉家に頼るのはやめるべきです」


「左様、長野殿には匿ってもらった恩義はあるが、これはそれを大きく上回る仕打ち。いくら土地を追われた身とはいえ、ここまでの侮辱を受けて良いはずがない!」



 弟の新六郎や源七郎の言葉に丹波守らも深く頷く。



「そうだな。儂も御当主様も山内上杉家なら助けてくれるだろうと信じていた。だが、それはとんだ間違いだった」



 山内上杉家にとって滋野一族は取るに足らない存在だったのだ。だから彼らの領土拡大に利用された。これ以上山内上杉家のもとに居続けることは侮辱を受け入れたのと同然。到底我慢できるものではない。


 山内上杉家から出るのは決定事項として、今後どう動くべきか。選択肢はふたつ。


 ひとつは村上か武田に従属して旧領復帰の機会を待つか。本来ならば諏訪の方に縁はあるが、山内上杉家と和睦を結んだことが武田や村上に対して悪く働くと見た。


 今の旧領は村上の支配下に置かれている。とはいえ、信濃に残っている弟の矢沢源之助は諏訪を通じて武田に従属しているらしい。そう考えると武田に従属するのは悪くない案ではある。


 そしてもうひとつが、下野国の守護職である小山家に仕官するという道だ。


 小山家は我々が信濃を追われた身なのに唯一忍を通じて関心を示してくれていた家だ。小山家の評判は信濃でも聞こえており、外様や新参でも功績を残せば出世できるという。


 だが小山家への仕官を選べば立地の関係で旧領復帰は諦めることになる。それは先祖代々の土地を捨てるのと同義だった。



「真田の地にこだわるならば武田に付き従うべきではある。だが、それでも真田の地に帰れるかわからないし、仮に戻れたとして一地侍として使い潰される運命となるだろうな」


「……小山家はどうでございますか?」


「ああ、小山家も悪くな……っ!?か、加藤殿、いつの間に」



 小山家の忍である加藤段蔵殿が下座に控えていた。儂が気づくまで誰も気づかなかったらしく、加藤殿の隣にいた四ノ宮藤之助は驚きのあまり腰を抜かしそうになっていた。



「失礼いたした。どうやら大事な話だったようなので邪魔をするつもりはなかったのですが」


「加藤殿、そなたほどの実力者ならもうご存知だろうが、山内上杉家は我々との約束を違えた。そして儂は山内上杉家に見切りをつけさせてもらった」


「そして今後どう動くか、話し合っていたと」


「その通り。旧領に戻るためなら武田に従うほかない。だが、それが最善かと言われれば自信はないのだ」



 たしかに真田の地には戻りたい気持ちはある。だが戻った先に真田の未来が見えなかった。そして小山なら新たな未来を切り開ける予感がした。



「加藤殿、そういえば小山家では新参でも出世できると聞いたが、具体例はあるのだろうか?」


「それならば山本勘助殿が良き例になります。勘助殿は元は牢人でしたが、御屋形様に召し抱えられて今では重臣のひとりとして、一城の主になっております」



 加藤殿の言葉に丹波守らからどよめきの声が漏れる。外様の牢人がそこまで出世できる環境はなかなかない。


 もし小山家を選べば自身の活躍次第で重臣に駆け上がることができるかもしれないが、真田の地は諦めることになる。土地を捨てることを弟たちに強いることはとても……



「兄上、何を悩んでいるのです」


「新六郎?」



 気づけば新六郎だけでなく、丹波守や源七郎、同じく弟の八郎右衛門、新之助らも儂を見つめていた。



「兄上はすでにどちらに行きたいか、わかっているのでしょう。儂らはどんな道でも兄上に従うつもりですぞ。どうか、兄上が行きたい道を選んでくだされ」


「儂は、儂は……」





 翌日、儂は信濃の源之助と側室の父である上野国羽根尾城主羽尾修理亮殿へ手紙を送る。


そして同時に修理亮殿のもとへ産まれたばかりの我が子を預けることにした。この子は庶子ということもあって儂らに同行させるより、修理亮殿のもとへ行かせた方が安全だと判断したからだ。母である側室のおたみは悲しんでいたが、自身は儂についていくようだ。


 長野殿には最後に匿ってもらった感謝を綴った手紙を送らせてもらった。


 すべての準備が終わり、儂らは厩橋の屋敷から静かに抜け出す。


 目指す先は──小山下野守殿の本拠地である下野国小山荘。

もしよろしければ評価、感想をお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
仇敵武田に従った解釈が、分かりやすくて良いですね。
真田家の兄弟や家臣の有能さを考えると血縁関係になったほうが小山家の次世代が盤石になるかもな。 (山本勘助の生まれる子どもとかとの血縁関係とかも)
「なーに任せとけ!そのうち信濃まで切り取ってやるからよ!」 とは流石に安請け合いできんよなぁ……
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ