竹犬丸と麦の収穫
下野国 祇園城下 小山晴長
竹犬丸と家臣たちを引き連れて向かう場所は小山家の直轄領である神鳥谷郷だ。この郷はかつて俺が幼い頃に塩水選擬きや千歯扱きなどを提案した際に父から実験の地として選ばれていた。いわば俺──小山犬王丸としてのはじまりの場所とも言える。
当時の乙名たちは当初半信半疑だったが、実際に成果が出ると驚き、喜んでいた。そして俺を信用してくれた彼らは俺から新しい案が出る度に積極的に取り入れてくれた。
俺の施策を受け入れてくれた彼らのおかげで今の俺があると言っても過言ではない。
道中、竹犬丸に傅役と小姓になる予定の右馬助と鷹千代を紹介しつつ、小姓に先触れを行かせる。
村に到着すると乙名が代表して挨拶に訪れる。
「御屋形様、神鳥谷が乙名、大橋権作でございます」
「おお、あの権作か、久しいな。昔はよく世話になった」
「お、覚えていてくださったのですか!?」
「当然だ。あのときは色々と協力してくれて助かったぞ」
権作は当時この郷の若者の中心的存在であり、その父である先代と共に様々な政策に対応してもらっていた。大橋家は重臣ではなかったため、それ以降の接点は少なかったが、実験に協力した礼として家禄は上がっていた。
「すまんな、急にやってきて。倅が麦の収穫を見たいと言ってな、どうせなら所縁のある場所で直接見せたかったのだ」
「そうでございましたか。それでは是非ご覧になってくださいませ」
「ありがたい。そういえば先代は息災か?」
「はい、今は隠居しておりますが、狩りに出かけているほど元気でございます」
「それはなによりだ」
権作の指示で村人たちは麦の収穫の作業を再開する。竹犬丸はその光景を楽しそうに見ていた。
「そういえば、なぜ急に麦の収穫を見たいと思ったんだ?」
「むぎがしろのそとでつくってるってきいたからみたかったんです」
「ほう、それで見てどう思った?」
「たいへんそうです」
「そうだ、大変だ。これは収穫の作業だが、ここまで大きくするのも大変なんだ。でもこの大変な作業のあと、半分近くは小山家が持っていってしまうんだ」
「えっ?」
正確には三から四割だが、半分近くと言った方が竹犬丸も理解しやすいだろう。その言葉を聞いた竹犬丸は驚いて俺に疑問をぶつける。
「なんでそんなにもってっちゃうのですか?」
「そうだな。それは、小山家には武力という強い力があるからだ。逆に民はそれがとても弱い。だから民は小山家に自分たちを守ってもらう代わりに麦などを渡す。その代わり小山家は民たちを絶対守らなくてはならないんだ」
だからと、俺は続ける。
「年貢はとって当然と思ってはいけない。民がいてこそ俺たちがいるのだ」
「はい。でもなんでみんなよそをせめるんですか?」
「これは痛い質問がきたな」
思わず俺は苦笑する。多分竹犬丸が言いたいのは民を守るのが大事なら、なんで他領を攻めるのかということだろうな。
「力が必要だから、というべきか。たしかに守るだけなら他所を攻める必要はないかもしれない。だが敵が強大だったら守ることもできない。だから他所を攻めて力をつけるのだろうな」
我ながら苦しい言い訳みたいだな。土地を守るために他所の土地を奪う。理屈ではなく、食うか食われるかでしかないのだろう。
「まあ、色々と言ったが、覚えててほしいことはひとつだ。民を虐げる存在になってはならない」
「はい!」
まだ四つの子供に真面目な説法をしてしまった。これでは家臣たちのことを言えないな。
日が暮れる前に城へ戻る。帰りは疲れたのか竹犬丸が俺の腕の中で眠っている。家臣たちは自分たちが背負うと言っていたが、これは父親の特権だと言い張って自分で城まで竹犬丸を離さなかった。普段は父親らしいことをできていないので、このときくらい父親らしいことをしたかったというのもあった。
その夜、富士のもとを訪れると熟睡している竹犬丸の姿があった。
「今日は城の外に連れて行ったらしいですね」
「富士には何も言わずに連れて行ってすまなかった」
「怒ってませんけど、せめて一言くらい言ってほしかったです。帰ってくるまで内心は心配で心配で仕方なかったんですよ」
侍女から俺と竹犬丸が城下に行ったことを伝えられた富士は一瞬固まったらしい。それでも正室らしく狼狽えることなく過ごしたというのだから、頭が上がらない。
「ところでお前様、竹犬が帰ってきて早々何を言ったと思います?」
「なんだ?楽しかったとかか?」
富士はフフンと笑うと耳元でこう囁く。
「父上みたいな立派な人になりたい、ですって」
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