小山長秀
下野国 飛山 小山長秀
違和感は飛山城へあと少しというところで現れた。那須の奇襲で負傷してから三日ほど経った頃だ。口が、上手く回らない。自分の呂律が怪しくなったことを従軍中の嶺千代が気づいたことで事態は発覚した。
おそらく、戦場で罹るという死の病なのだろう。複数箇所を負傷したことで最悪の事態も考えていたが、いざ自分がそうなると頭が真っ白になる。
嶺千代も儂の状態を察して宇都宮隼人正を呼んでくれた。震える口先で隼人正に指揮の代行を託す。彼は事情を汲み取ると、嶺千代に何かあったらすぐ連絡するように言い含める。彼も経験が豊富だ。急遽の代役でも混乱することはないだろう。
しかし時間が経つにつれて身体の不調は重くなり、飛山城にたどり着いた頃には熱と痺れが全身にまわっていた。すぐに治療を受けたが、傷口から穢れが入ったようで水やらで綺麗にしたあとに縫っても症状は改善しなかった。そこで己の最期が遠くないことを悟る。
不自由な身体になっても意識ははっきりしていた。嶺千代を呼び、聞き取りづらい震えた声で家督を譲ることを話すと嶺千代の瞳から涙が溢れる。男が簡単に涙を流すなと叱責したかったが、もはやそれすらできなかった。
嶺千代をすぐに元服させ、九郎秀行と名乗らせる。時が許せば小四郎に烏帽子親になってほしかったが、事態が事態なため簡易的な形式になってしまった。そのことについて九郎に申し訳なく思っている。
だが対那須及び東部戦線の指揮を任されている儂が病に倒れたとなると、多少の混乱が生じるのは必至。すでに隼人正に今後の指揮の代行を任せたが、正式な後任の選定については祇園城の小四郎に一度指示を仰ぐ必要がある。だがその前に儂の命が尽きる方が早いかもしれんな。
寝かされたまま痺れと時折起こる痙攣が続く身体で天井を見上げながら、これまでのことが走馬灯のように思い起こされる。
儂が産まれたのは小山家にとって逆風が吹きはじめた頃だった。父が山川から小山家入りしたこともあって当時の小山は衰退が進んでいた。先々代の頃の威光は陰りを見せており、父も古河の公方様の親子喧嘩に巻き込まれていた。
自分が元服するときには小山はどちらの公方様を担ぐかで父と兄が対立しており、結果的に兄が父と当時の先代公方様を祇園城から追い出した。だがこれまでの経緯で小山は宇都宮や他の国人に遅れをとり、かつて下野守護だった面影は一切失われていた。
そんなときに産まれたのが犬王だった。彼は幼い頃から神童を超えた異端とも呼べる存在だった。心無い者たちは狐憑きではないかと囁いたが、犬王の父である兄は犬王をひとりの子供として扱った。そして同時にその才を存分に活かせる環境を築き、傅役に一族の長老である大膳大夫をつけ、自由を与えた。
犬王はその才を存分に発揮し、稲作の改善や農具の開発、更には当時関係が微妙だった結城と皆川との同盟成立にも関わっていた。
兄が病に倒れて家督を犬王が継いでから小山の発展はさらに進んだ。周辺の地侍を平定しただけでなく、皆川や壬生そして長年の敵だった宇都宮も滅ぼすまでに成長した。
今の公方様の覚えもよく、都にも影響力を持ち、ついに下野守護に返り咲くこともできた。長年の悲願が叶ったあのときほど嬉しいものはなかった。亡き兄も喜んでいるだろうと次兄とともに酒を交わしたことを今でも忘れはしない。
唯一悔いが残るのは下野統一を、小山の未来を、この目で見届けることができないことだ。
この病の末路はよく知っている。このまま行けば周囲に迷惑をかける最期になるだろう。儂は儂であるうちにこの命を終わらせたかった。
まともに動かない身体に鞭を打って枕元に置いていた小太刀へ手を伸ばす。なんとか上半身を起こし、最期に祇園城がある方角に身体を向ける。
そして、震える手で、腹部に刀を突いた。
小山掃部頭長秀、自刃。享年三十八。
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