葛城・入江野攻め
下野国 祇園城 小山晴長
昨年に引き続き蝗害や流行り病に苦労しながらもなんとか収穫を終えることができた。幸いにも蝗害は昨年ほど酷くない。対策が功を奏したというよりも蝗害の勢いが減少したといえるだろう。このまま収まってくれたら来年は蝗害に苦しむことはなくなりそうだ。
今年の師走は様々な厄災によって例年より静かに経過していた。そのなかで小山家は鬼怒川以東に位置する那須領の葛城城と入江野城を攻めることを決定した。綱雄の策略に翻弄された家中の不満もかなり高まっており、ここで一度発散させる狙いもある。
塩谷郡にある葛城城は元は塩谷家の倉ヶ崎城の出城だったが一五二四年に先代当主那須政資によって落とされていた。それ以後は那須高資方の城として機能している。また入江野城は那須の重臣佐久山家の一族によって築かれたとされ、今は入江家の居城となっていた。
今回は川崎城の塩谷家にも出兵を要請し、合計一五〇〇の兵を向かわせることになった。兵数の少なさに不安はあるが、兵糧の関係上、これ以上の動員が難しかった。それならば戦をやめるべきかもしれないが、家中の那須への不満が高まっており、これ以上引き延ばすのは却って悪手だと判断した。
総大将を務める長秀叔父上には厳しいと感じたら無理をしないで良いと命じたが、果たしてどうなるだろうか。今回俺は出陣しないので段蔵ら加藤一族や伝令からしか情報を得ることができない。もどかしいが経験豊富な長秀叔父上ならば役目を果たしてくれるだろう。
そして年が明けて天文一〇(一五四一)年。叔父上は元日早々入江野城を攻撃したらしい。数刻後、伝令が到着し入江野城を落としたことを報された。入江野城は元日で完全に油断していたらしく抵抗らしい抵抗も見せずに逃亡したという。兵の消耗を抑えた叔父上は休息をとった後に本命の葛城城を攻める予定とのこと。
「今のところ、順調そうですな」
「本命は葛城だ。入江野と比べれば守りの堅さは違うと聞く。本番はこれからだろう」
重臣のひとり山河弥三郎がそう楽観視するような発言をしたが俺はそれを制する。普段より兵数が少ない上に塩谷との連合。不安要素はまだ消えていない。
翌日、叔父上が葛城城を攻め始めた。敵の数は三〇〇程度らしいが士気は高いようだ。
さらに翌日になり次の伝令が祇園城に到着する。しかし薄汚れた伝令の格好に嫌な予感が過る。
「申し上げます。葛城城の攻略に成功いたしました。しかしながらこちら側の犠牲も多く出てしまいました」
どうやら叔父上は葛城城攻略に苦戦したらしい。伝令によると城側の抵抗が激しく正攻法では突破できなかったので付近の民を買収し、守りの薄い道から夜襲をかけたという。
城側も奇襲に動揺したが指揮していた守将が優秀だったようで乱戦に持ち込まれてしまった。幸いにもその指揮をしていた守将が流れ矢で討死したらしく、瓦解した城側の兵は逃亡してなんとか城を落とすことができたとのこと。
「それで死傷者が一〇〇を超えるとな。なかなか厳しい戦いだったようだな。よく落としてくれた」
そうは言ったが、少数の敵にかなりの苦戦したのは痛い。とはいえ早めに城を落とせたのは僥倖だ。入江野、葛城を抑えたことで本格的に那須高資討伐に動くことができる。次の狙いは葛城城の東に位置する金枝城となるだろう。だが金枝は山城で堅固な縄張りだと聞く。こちらも正攻法で落とすのは骨が折れそうだ。
だがその算段は脆くも崩れることになる。
「一大事でございます。那須の救援が我が軍を急襲!撃退には成功したものの負傷者多数、総大将の掃部頭様も重傷とのことです!」
「馬鹿な、叔父上がだと!?」
那須の急襲を受けた叔父上は落としたばかりの葛城城で応戦を余儀なくされたという。しかも目的の葛城城を落としたことで気が緩んでおり、武将たちも首実検を城内でおこなっていた最中だった。
混乱する中でなんとか指揮をとって撃退にこそ成功したが、初動で後手を踏んだことが影響して少なくない兵が討たれたという。しかも叔父上も脹脛と肩を矢で射抜かれてしまったらしい。
「まさかここにきて大打撃を受けることになるとはな……」
だが良くないことは連続して起こる。
「なに、叔父上が倒れた!?」
叔父上は葛城城に一部の兵を残して飛山城に帰還したのだが、帰還した直後に倒れてしまったというのだ。
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