相羽左近の正体
下野国 祇園城 小山晴長
田代三喜のもとに搬送された五郎は懸命な治療もあってなんとか一命を取り留めた。とはいえ重傷であることには変わりなく、今後しばらくは安静にする必要があった。
一方その頃、俺は段蔵から相羽左近についての情報の報告を受けていた。段蔵は意識を取り戻した五郎から事の経緯を聞き取りしていた。
五郎の話をまとめると、五郎は俺から与えられた左近の正体を探れという密命を受けて榎本から不自然に離れる人間に着目していたという。そこで左近らしき人物を見つけ尾行すると、その人物は那須家の人間と古河近くのあばら小屋で接触していた。話を盗み聞くとまさにその人物こそ相羽左近を名乗っていた男であると判明した。
そして左近と呼ばれる男の正体があの壬生綱房の嫡男である下総守綱雄であることが明らかになる。彼は小山家が有能ならば新参でも重用する風土を逆手にとり、那須の間諜として小山家に潜入していたのだ。
俺はこれを聞いてしてやられたと思った。敵の間諜の侵入には警戒していたが、それは小山家の本家での話。まさか庶家の方に潜入してくるとは。当然土佐守家の方が本家より警戒が薄い。見事に掻い潜られてしまった。
話を戻そう。綱雄は元々宇都宮の重臣。己の有能さを示すのに時間はかからなかった。高い事務能力を持つ綱雄を土佐守は重用し、倅である半助の傅役に任されるまでに至る。
五郎は綱雄と那須側の密会の際に綱雄が密書を手渡そうとするところを目撃する。すぐにそれが綱雄が集めた情報だと察した五郎はわずかに小屋を照らす蝋燭の先端を苦無で斬り飛ばすと暗闇になった空間から書状を奪い取る。しかし突然の異常に混乱した彼らも書状が奪われたことに気づいたようで小屋から出ていく五郎に一太刀浴びせたという。背中を斬られた五郎は出血しながらも彼らの追跡を振り切り祇園城に帰還したということらしい。
「それがこの書状ということか」
「はい、どうやら下総は那須との繋がりが露見することを防ぐために潜入中は那須と連絡は取り合っていなかったようです。おそらくある程度情報を集めたら逃げるつもりだったかと思われます」
そして段蔵は続ける。
「それと半助殿の謀反については下総の独断だったようです。五郎の話では陰謀を吹き込んだ半助殿が想像以上に乗り気だったこと、ちょうど八郎殿が御屋形様の勘気を蒙っていたことを利用するつもりだったようです」
「色々と噛み合ったから謀反を唆したということか。成功すれば良し、失敗しても小山に打撃を与えられれば上出来。鎮圧はできたが見事に奴の目論見どおりになってしまったな」
土佐守家、水野谷家、遠藤家という一門重臣を失ったのは大きな痛手だ。特に裏方を任せていた土佐守家と軍事で存在感を示していた水野谷家の取り潰しは家中に混乱を招いた。後任はすでに指名しているが、失った穴は決して小さくない。
俺は綱雄の密書を開き、嘆息する。そこには綱雄がこれまで集めた小山家の情報が記されていた。庶家の家臣ということから機密情報が知られることはなかったが、それでも大まかな人員の配置、地理、人物の情報などは把握されていた。もしこれが那須の手に渡っていればかなり面倒なことになっていた。
だがこの密書は阻止したとはいえ、綱雄が健在な今、遠くないうちにこれと似たような情報が那須にもたらされるだろう。だが幸運にも綱雄が潜入している間に那須高資は森田次郎の謀反を受けて烏山城を追われており、戦力は半減していた。
「しかし御屋形様、楽観視は危険ですぞ。那須には佐竹もおります」
三郎太の諫言に俺は頷く。
「たしかに那須が佐竹に本格的に援助を求めてきたら面倒極まりない」
「やはり年明けに那須を攻めますか?」
「そうなるな。兵糧が心許ないがこれ以上家臣らを抑えるのもまた危険だ」
謀反の背後に那須が絡んでいたと知った家臣らはすぐに那須への報復を俺に求めた。気持ちは一緒だが、俺は飢饉の最中であるから今年中は動けないと説得したが、完全に納得をしてもらえたわけではなかった。これ以上報復を引き伸ばせば士気に関わるどころか、俺が臆病風に吹かれたと言われかねない。ここでまた那須に利するわけにはいかないのだ。
「とはいえ八郎と土佐守の抜けた穴が埋めきれていない中でどこまで攻めるべきか。最終的には修理大夫は滅ぼすつもりだが、時期が今かと言われれば違うだろう」
「兵を動員するとなればそれ相応の兵糧が必要ですからね。年貢を下げてる今、余裕はそこまでありません」
だが中途半端に攻めれば痛いしっぺ返しを受けることになる。那須を滅ぼしたい一心はあるが、はてさてどうしたものか。
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