不穏なる風
下野国 祇園城 小山晴長
雨の時期が抜けて暦は初夏を迎える。今年も例年以上に雨が降り、一部の河川では小規模な氾濫が起きて、田畑に損害が出た場所があったが、幸い去年ほど酷くはなかった。
去年のこともあり、早めの避難の呼びかけと警戒が身を結んで今回の雨での犠牲者が出なかったのは本当によかった。雨季が去ったことで俺は各地に復興を指示するが、洪水後こそ病が蔓延する。そのためできるだけ素足での作業ではなく足袋などを履くようにと注意喚起した。
そして次第に気温が高くなりはじめて夏の到来を予感する中、不穏な噂が西から届く。
最初は清原家の手紙だった。内容は都で病が流行りはじめているということ。上は貴族から下は庶民まで身分を問わず高熱などに襲われているらしい。すでに死者も少なくない数出ていて業賢・頼賢親子は宮廷への出仕も取りやめているという。
外は地獄絵図のようで毎日のように死人が路上に捨てられている。特に羅生門は酷い有様で数えきれない人数の死体が転がっており、死臭も強烈だとか。業賢は手紙でまるで生き地獄のようだと嘆いている。幸いこの段階では清原家の人間は無事らしい。
この手紙に書かれている症状から察するにやはり天然痘の可能性が高そうだ。早速家臣たちに情報の共有をおこなうと、皆険しい表情を浮かべて重苦しい空気に包まれる。
「本当に御屋形様のおっしゃってたとおりになってしまいましたな……」
「おそらく遠からず下野でも広がっていくでしょう。戦どころではありませぬ」
「それは前々から御屋形様がおっしゃっていたではないか」
家臣の指摘のとおり、遠からず下野にも病の風はやってくるだろう。俺は変な気休めを言うつもりはない。この時代において天然痘は間違いなく脅威なのだから。
「各地の武将らには石鹸を用いた衛生面の強化と周囲の警戒を呼びかけろ。もし誰かが病に罹った場合、無防備な格好で近づいてはならんぞ」
「「「はっ」」」
流行り病に備えて種痘を開発したはいいが、小山領全域に接種させることはできていない。祇園城下や一部の同盟相手には接種させたが、最近支配下に置いた東部などには行き届いていなかった。そのため小山領でもそれなりに犠牲を覚悟しなければならない。
そしてひと月足らずでついに都だけでなく、信濃や上野でもそれらしき症状が発生してしまう。そこからわずか数日の間にものすごい勢いで坂東中に病が襲いかかってくる。
「御屋形様、下野でも確認されました」
「……ついにか」
下野でも、か。覚悟していたことではあったが、ここからが正念場になる。種痘を実施できた地域は正直今の小山領のほんの一部でしかない。同盟相手の方にも軽くない被害が出るだろう。可能ならば力になりたいが、今は自分たちのことで手一杯だ。それでも零れ落ちるものもあるはず。
そしてその懸念は現実のものとなる。ものの数週間で下野だけでなく坂東中で病は蔓延していた。酷いところは村単位で壊滅しており、各勢力も戦どころではないと認識し、和議を結ぶところも出てきた。
小山領でも病は蔓延してしまっている。特に最近支配下に置いた東部を中心に種痘が実施できていない地域では他領ほどではないが被害が出ている。
一方で種痘をおこなった祇園城付近での病の発症例は極めて少なく、皆が種痘の効果に驚いていた。心配していた竹犬や富士といった種痘を受けた者たちは病に侵されることがなかった。
とはいえ、種痘を受けなかったり、免疫が弱まっている老臣など家中でも病によって命を落とす者が少なからず出てしまった。
一族からは小山土佐守、家臣からは政景叔父上の岳父である皆川成正とその弟の平川成明、桜野城主の糟屋又左衛門らが病によってこの世を去った。
医学校では田代三喜とその弟子が死と隣り合わせで昼夜問わず種痘をおこない、できるだけ多くの人を救おうと奮闘している。小山家はそれに対し全力で援助し、資金や人材、資材をできるだけ投入した。
しかしながら病の収束からは程遠く、収穫の時期を迎える。そして再び例のアレが苦境の俺たちに牙を剥く。
蝗害。収穫物を襲う厄災が姿を現した。
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