公方に憧れた男
下総国 古河城 小山晴長
「山内上杉を破ったとは真か!?」
右馬助らが戻ってからしばらくすると晴氏が大声を上げながら大広間から飛び出してきた。そして負傷しつつも明るい表情を浮かべる兵士たちを見て確信に変わった。驚きから喜びに表情を変えると大広間へ向かう俺を見つけて駆け寄ろうとしたが、さすがにそれは家臣らに止められていた。
こちらも右馬助から大まかな話しか聞けていないので右馬助を伴って大広間に集まる。
「詳しい話は今回山内上杉家を攻撃したこの右馬助に」
「はっ」
俺に促されると右馬助は昨夜の経緯を話し始める。
筏を繋いで川を渡河した右馬助率いる奇襲部隊は斥候と加藤一族の案内のもと、敵本陣へ密かに迫っていた。その柏戸に構えられた敵陣ではすでに混乱が起きており、喧騒も発生していた。そのせいか、こちらの動きに気づくのが遅れて騒ぎに乗じて奇襲をかけると敵は更なる混沌に陥り、抵抗する者や逃げ出す者が入り混じる地獄へと早変わりした。
一部の部隊は最期まで抵抗したもののそれはごく少数に過ぎず全滅してしまった。そして多くの者が討ち取られた中、とあるひとりの人間を捕虜にしたという。甲冑こそ身につけていたが坊主頭だったので殺さずに捕らえたとのこと。
「右馬助とやら、その坊主は名をなんと名乗っていた?」
坊主頭という言葉に反応した晴氏の声が一段低くなった。
「そ、それなのですが……」
と右馬助。何やら歯切れが悪くどこか言いにくそうな雰囲気だ。
「どうした?言えぬのか?」
「いえ、ですがその方はその、足利を名乗っておりまして」
「ほう。続けよ」
「あ、足利四郎時氏、と」
その名を聞くと晴氏は一瞬考え込む仕草を見せると何かを呟いていたが聞き取ることはできなかった。
「右馬助よ、その坊主は今どこにいる?」
「今は古河城の牢にて捕らえております」
「ではそやつをここに連れてまいれ。おそらくだが、心当たりがあるかもしれん」
再び晴氏が右馬助に視線を合わせるとその坊主を連れてくるよう命じる。家臣に捕らえている坊主を連れてこさせるとその坊主は白装束姿で腕を後ろに縛られながら姿を現す。彼の鋭い瞳にはいまだ光が絶えていない。
「その顔、やはり雲岳だったか」
「思ったよりお元気そうでなにより、兄上。もっと憔悴していると期待してましたよ」
捕虜だった坊主──雲岳周揚もとい足利時氏は拘束されていても晴氏へ皮肉気に笑う。しかし晴氏は時氏の言葉に動じない。
「大方、上杉五郎に唆されたのだろう。山内上杉を後ろ盾に得ても傀儡に成り下がるだけというのにな」
「まさか。それくらい百も承知ですよ」
「……わからんな」
「わからない?ええ、そうでしょう、わからないでしょう!兄上にはねえ!」
晴氏のその言葉が琴線に触れたのか、途端に時氏の口調が激しくなる。
「嫡男として生まれて、生まれた頃から公方の座を約束されてた兄上にはわかりませんよ。公方の家で生まれながら武士なれないどころか僧籍で一生を過ごさなければならない者の気持ちなんてね。小弓で兵を起こした道哲叔父上も同じ気持ちだったのではありませんか?手を伸ばせば公方の座が届く位置にいるのに、武士にもなれず、坊主のまま生涯を閉じなければならないなんて気が狂いそうになるんですよ。私は公方になれる悲願が叶うならば、山内上杉だろうが誰だろうが喜んで傀儡にでもなってみせますよ。それほどの立場なんですよ、公方というのは。恵まれた兄上にはわからないでしょうがね」
狂気じみた公方への憧れ、執着。今の時氏を現すならこの一言に尽きる。
彼の豹変ぶりにさすがの晴氏も驚いていた。だがすぐに表情を引き締めると僅かに漏れていた動揺も収まっている。現役の公方に相応しい立ち振る舞いを見せられた時氏は舌打ちをこぼし、平静を取り戻す。
「お前が還俗してまで山内上杉に与した理由はわかった。今後の沙汰は後ほど言い渡す。だがその前にひとつ聞きたいことがある」
「なんです?」
「今回お前たちは奇襲前に揉めていたと聞いた。理由は知っているか?」
時氏は一度大きく溜息をつくと、ゆっくりと口を開く。
「もはや隠す義理もないので正直に話しますよ。伊勢が武蔵に攻め込んできたんです」
北条が武蔵を攻めてきたという情報に周囲がざわめく。それは武蔵まで範囲を広げていなかった俺も加藤もまだ把握していない情報だった。その中でも時氏は淡々と話し続ける。
「武蔵の守備を任されていた大石殿が敗れたそうで、武蔵の成田や深谷上杉殿らが帰国したがったんです。総大将の小幡殿は必死に説得したのですが、留守の領地を伊勢に奪われたくない成田殿らも手薄な領地を無防備にしたままにしたくないわけです」
最初は穏当な説得だったらしいが、互いの頑なさが拗れて遂に小幡が刀を手にかけたことでより激しいやり取りに発展し、武蔵衆は強引に兵を引き上げて、残った方も無理矢理連れ戻そうとした。その結果、収拾がつかない喧騒へと向かってしまい、その隙を突かれてしまったという。襲われたときには武蔵衆は離脱していて既に兵数も半減していたという。
「伊勢がいなければと思いますが、成田殿らを説得できなかった時点でもはや勝ち戦ではなかったんですね。恨めしい反面、納得もしています」
「運がなかったと言えばそれまでだがな。雲岳よ、お前はもう二度と山内上杉のもとへ帰れないと思え。山内上杉に神輿を渡すわけにはいかないからな」
「………………」
「坊主を殺すのは気が引けるが、ちょうどお前は還俗している。殺すことを躊躇う理由はない」
そして晴氏が下した沙汰とは。
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