古河城の長いようで短い夜
一部修正しました。
野田→栗橋
下総国 古河 小山晴長
城外で簗田の撤去作業を待つ傍ら、俺は段蔵らに山内上杉家の動向を探らせていた。
「山内上杉はどうしている?」
晴氏からの問いに俺はこう答える。
「段蔵によると今のところ上野国の館林付近にいるようです。そろそろ日没も近いですが、このまま行けば本日中に古河に辿り着くかと」
「それはまずいな。簗田を急がせるべきか」
そう話していると古河城から簗田高助の弟である簗田近江守基良が現れ、撤去作業が終了し城を明け渡すことを告られる。基良は御台様と呼ばれる北条の姫らを連れており、彼女たちの身柄も晴氏に渡した。
「彼女らには手を出しておらんだろうな?」
「仏に誓って出させておりませぬ」
「ふん、その言葉だけは信じてやろう。だが忘れるな、どんな大義名分を掲げたところで貴様らは謀反を起こした大罪人だ。まともな最期を迎えられると思うでないぞ」
「……覚悟の上です」
これ以上は話すことはないと城の明け渡しは淡々とおこなわれる。簗田の兵は古河城を出て関宿へ向かい、晴氏は小山の兵による罠などの確認を終えたあとに古河城への入城を果たす。
晴氏らが古河への帰還に感激している間、俺は兵士に急ぎで城の修築をおこなうように指示を出した。特に木砲の直撃を食らった大手の損壊は激しく、もしここで山内上杉の援軍と戦うことになると想定した場合、ある程度修繕しなければ防壁としての役割が果たせないほどだ。簡素でもいいから、ある程度は守れる形にしたいところでもある。
「御屋形様、山内上杉は下総の柏戸で陣を設営しはじめました」
「柏戸……近いな」
日没後、段蔵からの報告に周囲の空気が張り詰める。柏戸は太日川の対岸に位置する土地で古河城とさほど離れていない。夜襲をかけようとすれば十分に実行できる距離だ。
「それとその柏戸の陣に向かっていた密使を捕らえました。簗田の者です。懐にこの手紙が」
受け取った紙を開けばそこには連携して夜襲を仕掛けたいという旨が記されていた。
「なるほど、挟撃を仕掛けるつもりだったか。だがこの密使を捕らえられたのは大きいぞ。よくやった」
「ははっ」
俺は晴氏に山内上杉家の援軍が柏戸まで来ていること、簗田が山内上杉と連携して挟撃を試みようとしていることを告げると晴氏は思わず立ち上がる。
「なんと!ならば分断されているうちに山内上杉を撃破すべきではないのか?」
「恐れながら山内上杉家の兵は三〇〇〇弱はいるとのこと。こちらが現段階で動かせる兵は二五〇〇が限度でございます」
「三〇〇〇だと……!?」
三〇〇〇という数字に晴氏だけでなく一色直朝ら側近たちの表情が強張る。おそらく上野だけでなく武蔵からも兵を集めたのだろう。はっきり言ってこちらの想定以上の数だった。
「そして山内上杉の軍勢の中に足利二つ引きの旗があったとのこと」
「なにっ?向こうに足利の人間がいるのか?いや、待て。たしか山内上杉に近い人間がいたな。だが奴は僧籍だったはず……」
思い当たる節があるのか晴氏は顎に手を当てて考え込む。
どうやら山内上杉は簗田が担ぎたかった幸千代王丸とは違った人物を用意していたようだ。直前で代役を立てたとは考えにくく、山内上杉は当初から簗田を利用するだけして後は切り捨てるつもりだったかもしれない。
「しかし三〇〇〇か。その数ならば野戦は危険か。籠城するしかないな。耐えている間に千葉らの蜂起を期待するしかなかろう。小四郎、耐えられるか?」
晴氏は渋い表情で俺に問いかけてくる。籠城は本意ではないのだろう。
「率直に申し上げて、耐えられるのはひと月が限度になります。それ以上は兵糧を含めた諸々の問題で厳しいかと」
「ひと月粘って援軍が来なければ儂の天命も尽きたということ。そのときは城を明け渡すしかあるまい。だが小四郎のことだ。他の策もあるのだろう?」
晴氏の信頼が重い。俺ならなんとかしてくれるとでも思っているのか。たしかに籠城はこちらも避けたいところだが、他の策もほぼ博打でしかない。
「敵の陣地は常に見張っております。何かしら動きがあれば対処いたします。ですが数的不利ゆえ多くは望まないでいただきたい。それに簗田は栗橋にて身を潜めています。幸い密使は捕らえましたので挟撃の意思は山内上杉に伝わっていませんが簗田も攻めてくることも念頭に入れる必要があります」
晴氏は大きな溜息をついたが、最終的に俺に兵の指揮を一任し、自分は周囲の大名に急ぎ味方するよう手紙を書くことに専念することにした。家臣の中には晴氏の姿勢に不満を覚える者も現れたが、俺からしたら晴氏が自ら指揮をとることで指揮系統が乱立してしまうより、自分の兵を自由に動かせる方がよっぽど良い。
大広間から自陣に戻ると俺は重臣らを呼び出して今後の方針について話し合う。
「三郎太、夜襲に割ける兵数は最大でどれくらいいける?」
「城の守りを極力減らせば二〇〇〇なら」
「ならその二〇〇〇をいつでも動かせるよう待機させろ」
「なっ!?まさか本当に夜襲をかけるおつもりですか?」
三郎太だけでなく他の重臣も声を上げて驚く。
「たしかに夜襲は効果的ですが下手すれば壊滅の危険があります。なにより今回は敵の数が多いのです。いくら加藤たちが見張りをしているといっても今回ばかりは不利すぎます」
「それくらい理解している。俺も正面から山内上杉と当たって簡単に勝てるとも思っていないさ。だが、だからといって夜襲の準備を怠って良いわけでもない。何かが起きたときにすぐ動かねば勝てる戦も勝てん」
「御屋形様のおっしゃるとおりだ。是非ともその奇襲部隊はこの右馬助に任せていただきたく」
真っ先に同調した右馬助はそれに乗じて奇襲部隊の指揮官に名乗りを上げる。右馬助は以前の戦で負傷し一時離脱していたが今では復帰を果たしており、久々の手柄を立てようとウズウズしていた。
「やる気ではないか。よし、右馬助に部隊を預けるとしよう。他に名乗り出る者はいないのか?」
そう発破をかけると次々に自分もと立候補が相次ぐ。とはいえ全員に任せることはできないので武勇に優れた者たちを選抜することにした。
「いいか、あくまで夜襲は可能であればの話だ。こちらも色々細工をしてみるが、基本は挟撃に備えた籠城策だと考えてくれ」
「「「「ははっ」」」」
そう言った深夜のこと。事態はこちらの思惑を優に超えてくる。
「申し上げます。柏戸の陣にて大きな混乱が生じ、兵たちが浮き足立っております」
「それは真か!」
「どうやら敵がふたつに分裂している様子。何かしら揉め事が起きたようです」
段蔵からの報告はまさに吉報だった。俺はすぐに右馬助らを集めて奇襲部隊に柏戸の混乱のことを伝える。
「これは好機ですな」
「右馬助、これは賭けになる。失敗すれば我々の敗北が決定づけられるが、勝てば話は別だ。もし敵の立て直しが早ければ無理はするな」
「はっ。お任せください。事前に筏を縦に繋げておいたので渡河の時間もかからないでしょう」
晴氏にも気づかれないように二〇〇〇の兵が軽装のまま古河城を出発して柏戸へ進軍する。残りの五〇〇弱はそのまま古河城の守備にあたり、簗田の奇襲に備える。
四半刻ほど経ったとき柏戸の方の喧騒が大きくなる。おそらく両軍がぶつかったのだろう。俺は古河城から右馬助らが上手くやることを祈りながら栗橋方面に監視の目を強める。すると柏戸の音に反応したのか簗田も栗橋から反転して古河城に向かってきた。
向こうは奇襲のつもりだったのだろうが、こちらは既に加藤らが簗田の動きを監視していて動きが筒抜けだったので逆に城外で待ち構えて矢を放つ。
逆に不意を突かれた簗田の兵士たちは混乱に陥りながらも抵抗するが、前の戦いで大幅に兵を減らし、数的不利の簗田は劣勢のまま切り崩されていく。作戦が失敗した簗田は撤退を決めるが逃げ切れたのは本陣付近の兵のみで半分近くが討たれたか逃走か、あるいは捕虜となった。
「深追いはやめい。柏戸の事もある。一旦城に戻れ」
そして翌朝、右馬助たちが古河城に帰還する。
「はははっ、勝ちましたぞ御屋形様!」
頭を丸めた男を捕虜にして。
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