簗田の真意
下総国 古河城 簗田高助
「なんとか認めてはいただけたが、これで儂も立派な愚将か。いや、謀反を起こした時点ですでに成っていたな」
己の所業を振り返って思わず自嘲したくなるが、全ては覚悟していたこと。汚名を背負ってでもやり遂げなければならないことがあるのだ。
主君の妻を人質に関宿への退去が認められ、兵士に作業を急がせているが、海老名をはじめとした一部の人間たちはいまだに動揺を隠せていない。
原因は小山下野守が放った言葉だった。彼は海老名が御台様を盾に要求を呑ませた際に山内上杉家と我々の関係を示唆した。そして山内上杉家の援軍がこちらに迫っていることすらも看破していたのだ。
こちらの開城が時間稼ぎであることを見抜いた下野守は流石と言うべきだが、それにしても海老名らは動揺しずきではないだろうか。まさかそこまで見抜かれてたとは考えていなかったとしたらそれはあまりにも下野守を過小評価し過ぎだ。
儂に同調した者の多くは小山家に反感を抱いているが、適切に小山家を評価しているのは少ない。ほとんどは小山を危険視しているより公方様に信頼されていることを妬んでいた。だからこそ海老名のような重臣でもいざ下野守と対面すると気圧されてしまう。
「落ち着きなされよ、海老名殿がそのように忙しなく動いては下の者にも伝染しますぞ」
「これが落ち着いていられますか!簗田殿はわからんだろうが儂は公方様に怒鳴られたのですぞ、この儂が。それに下野守のあの言葉にあの視線、なんなんだあれは。まるですべてを見透かされているようだ」
使者で赴いた際のことが忘れられないのか貧乏ゆすりが絶えず、落ち着かない様子の海老名に声をかければ返ってきたのはこの言葉。以前から小山を侮るような言動こそあったがその反動がここまで大きいとは。完全に冷静さを失っており、これ以上は頼りになりそうになかった。
しかしながら想定以上の攻勢でまともな反撃もできずに開城まで追い込まれたこともこちらの動揺を招いてしまった要因のひとつでその責は儂にある。海老名たちだけを責めることはできない。
「海老名殿、下野守に山内上杉家のことを見抜かれた今、これ以上余計な小細工を施すのはこちらの隙を見せるだけで得策ではない。ここは素直に退く仕草だけは示すべきかと」
「そ、それもそうですな。ですが御台様はいかがいたす。関宿まで連れて行くのですか?」
「御台様は公方様に引き渡すことにしようと思う。これ以上御台様を利用することになれば今度は周囲が黙っていないだろう」
現状打てる手立てはもうない。援軍到着までに城を保てなかったことは誤算だった。こちらが烏合の衆とはいえ堅固な古河を簡単に落とされるとは本当に不甲斐ない。
あとは退去するまでに山内上杉家の援軍が到着してくれたら戦況が変わるが、これ以上の時間稼ぎは危険だ。小山のことだ。何かしら楔は打ってくることだろう。
あれは異物だ。
この世において才に恵まれた者はそれなりにいるが、小山下野守だけはそれとはまた一線を画していた。
はじめは若くして家督を継いだ小童だと思っていたが、よく調べれば先代の頃から政に携わっていて小山家の発展に貢献していたことがわかった。
顔を初めて合わしたのは道哲様との戦のときだった。下野守は関宿城の援軍として当時元服前の公方様に従っていた。道哲様を退けた夜の宴会で彼に会ったときの印象は今でも忘れていない。
まるで違う時代の人間を見ているようだった。
違う時代というのは自分でもよく分かっていなかったが、なんとなくそう直感した。
彼の見ている世界は我々と違っているようだった。いわゆる神童とはまた違う感覚がした。このときは不気味さと興味が勝っており、脅威とまではいかなかった。だからこそ後悔している。あのとき、まだ小山が小さいうちに楔を打つべきだったと。
儂が脅威を覚えはじめたのは小山が同格の皆川を滅ぼしたあたりだった。それまでも商いを始めたりと財政面では潤っていた小山だったがこのあたりから武力も伴ってきた。当時古河は不安定で力をつけ始めた小山は味方に引き入れたい存在でもあった。
そしてついに公方が蜂起したとき真っ先に頼ったのは宇都宮ではなく小山だった。以前より公方様は歳下ながら聡明で古河に従順な下野守を気に入っていた。小山家は公方様に味方し、先代の公方様を破った。だがその武功を利用して古河に介入することはなく、ある程度古河と距離を置いた。
そのことに儂も公方様も忠臣の鑑だと思っていた。だが年月が経つにつれて儂は気づいてしまった。奴は決して忠臣ではなく公方様を手段のひとつとして見ていないと。それだけなら他の者と変わらないが、下野守の場合は公方様に全幅の信頼をさせて意思決定を左右させていた。
勿論、長年の功績あってこそ公方様の信頼を得られたわけではある。だが公方様の小山家の信用具合はあまりにもおかしかった。まるで絶対に裏切らない、ある意味身内以上の信頼を寄せているのだ。外様に対する信用ではなかった。
儂はいつからか古河足利家が小山に乗っ取られるのではないかという恐怖に怯えていた。公方様に苦言を呈しても複雑そうな表情をするばかり。なぜなら小山家は内から見ても外から見ても忠実に公方様に従う家でしかないからだ。
公方様に相手されず、徐々に勢力を拡大させる小山家を見てるしかなかった儂はついに関東管領である山内上杉家の言葉に誘われてしまった。
小山家の排除。
その言葉に強く惹かれてしまった。なぜなら倅を見て将来に不安を感じてしまっていたからだ。
倅は歳相応に聡明ではあるが、同時にあの下野守の異質さが浮き上がってしまった。倅も資質はあるが、あの下野守を相手できるだろうか。今までの不安が積み重なり、いつしか儂は古河内部で反小山派を結集させていた。それが公方様を孤立させることを知りながら。
この時点で公方様の考えが翻ったなら話は終わりだった。だが公方様は儂より小山家を選んだ。選んでしまった。
このままでは古河は遠からず小山の支配を受けてしまう。小山から解放するには公方に別の人間を立てるしかない。
その一心で起こした謀反はある意味失敗してしまった。公方様と次期公方にと考えていた幸千代王様には小山に逃げられたからだ。おかげでこちらも内部で混乱が生じたが山内上杉家から次期公方として足利の人間を送り込むという話をいただくと混乱は収束した。結局、反小山派は小山に靡かない人間なら誰でもよかったのだ。
しかし今思っても関宿から小山の商人追放は悪手だったと思ってる。実際は重臣のひとりが勝手に追放させてしまったのだが、このときすでに反小山派筆頭として動いてしまってたので下手な動きはとれなかった。
諜報に優れた小山家に出して良い隙ではなかった。だが同時に腹を括れたのは嬉しい誤算でもあったが。
「まあよい。小山を排除できるなら愚者でも何にでも成ってやろうぞ」
すべては古河公方が古河公方であるために。
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