坂井川の戦い
下野国 烏山城 那須高資
「この期に及んで兵を出したくないと抜かすか、軟弱者どもが!」
上那須の連中も下那須の連中も茂木を攻めることに及び腰でまともに出陣しようとしない。公方と敵対することを恐れているのか知らないが、儂から見れば城を追われた時点であれは元公方でしかない。なぜ追われたかは興味ない。だが謀反を鎮圧できずに逃げ出す者に誰が従うのか。
それにあれを支持するということは小山と同じ陣営に立つということだ。どう考えても山内上杉に味方した方が得策だろう。向こうは役職を用意すると言っていた。山内上杉が支持する人間が公方になれば憎き小山の古河での影響力も失墜する。良いこと尽くめではないか。
茂木は下野と常陸を結ぶ重要な要所だ。益子の内乱の際に小山の手に落ちてしまったが、益子が弱体化し、小山から離れている茂木を奪い返す好機は今しかないのだ。
「美作も美作だ。奴らの軟弱さを責めるどころか、日和ってしまうとは」
奴らはなんだかんだ言って自分たちが損したくないだけだ。これだから変な独立心がある連中は困る。なんとか説得しようとしたが、これ以上待つことはできない。常陸介の後押しもあり、儂は自身の手勢のみで茂木を落とすことを決めた。
茂木城は山城だが守っている兵は多くない。当主や重臣は小山派で内通に応じないだろうが、それ以外の者はどうだ。地侍の中には佐竹側の縁者が少なからずおり、小山に服属した茂木家に不満を覚えている者もいた。
利用価値はあまりないが、常陸介らの働きで土地勘がある者を道案内役として何人か引き入れることができた。こちらの軍勢は三〇〇程度だが小山の援軍のない茂木の兵相手なら十分な数と言える。
烏山城を南下して常陸介の城である千本城の横を通過する。そこから山間を川に沿って下っていく。茂木城まであと少しという地点で儂は一度軍勢を休ませることにした。ちょうど山間にしては開けた場所だったのも幸いした。どうやらふたつの川の合流地点で山麓にはわずかに集落がある。
だが休息をとってから空の具合が一気に怪しくなる。山は天気が変わりやすいのは常識だがよりによって休息してるときに崩れるか。これは急いで出発しなければならんな。
小姓に出発を急がせろと命じている間にも薄暗い雲がより分厚くなり、それらが儂らの頭上を覆ったかと思えば大粒の雨が一気に降り注いできた。稀に見ぬ土砂降りで視界が豪雨のせいでかなり狭まる。晴れたときには遠くに小さく見えた茂木城はもとより、四半里先の景色すらまったく見えなかった。
強く降り注ぐ雨粒が地面に叩きつけられる音だけでなく雷鳴も轟きはじめた。
「これは川も氾濫するかもしれん。すぐに出発するぞ!」
「申し訳ございません!聞き取れませぬ!」
近くにいた小姓の声さえかき消されて何を言っているのかわからない。視界も悪く、誰がどこにいるのか確認することも難しい。これでは移動すら危うい。時間をかけたくはないが、ここで儂が無理に動いても兵が混乱するだけだ。雨粒に打たれながらも天候が回復するのを待つしかない。幸運なことに雨はすぐに弱まった。まだ雨粒は多少強いが、この程度なら移動することはできそうだ。
「今すぐここを発ち、茂木城へ向かうぞ!」
付近にいた兵たちは儂の声に反応していたが、どこからか悲鳴も混じっていた。
「何事だ!?誰か川にでも落ちたか!」
馬の脚を止めて後方を振り返ると、そこには儂らとは違う軍勢がこちらに迫っているではないか。距離はまだあるがこちらにぶつかるのも時間の問題だった。
「て、敵襲でございます!」
「見てわかるわ、たわけが!」
今更本陣に駆けこんできた伝令に怒鳴りつつ、すぐに迎撃するように大声を上げる。
さっきまでの豪雨で敵の発見が遅れたか。舌打ちしたくなるが同時に儂は敵に違和感を覚える。
敵は小山の旗を掲げており、小山の軍勢であることに間違いない。
「奴らが儂らの動きに気づいたとしても到着が早すぎる。それだけではない。何か、何か見落としている……」
敵の数は一〇〇〇弱か。魚鱗の陣を敷きつつ、わずかに覚えた違和感の原因を必死に洗い出す。そして気づいた。
敵の──小山の軍勢が通ってきた道は儂らが先ほどまで通ってきたところと同じだったのだ。
「ありえん……」
なぜなら儂らが通ってきた山間は千本城下から続いている道だからだ。山を越えてここに入ってきたことも考えられるが小山側からわざわざ山を越えなくても茂木城に至る道は存在する。
つまりここを通ってきたということは奴らも千本城下を抜けたはずなのだ。一〇〇〇の兵が城下を抜けるのを千本城の兵が見逃すとは思えない。
「常陸介、常陸介はおるか!」
儂は大声で千本城主である常陸介を呼び出す。だがいくら呼んでも常陸介は姿を現さない。小姓の者たちも慌てふためく。やがてひとりの家臣がこう叫ぶ。
「千本殿の姿が見えません!」
そこで儂はようやく思い至る。儂は常陸介に謀られていたと。
「常陸介えええええええええ!!!!!!!!!」
奴がいつ姿を消したのか、そんなことどうでもよかった。奴は小山に通じていた。それもおそらく今回の出陣より前から。
だがいつまでも奴の裏切りに怒り狂っているわけにはいかない。目の前に小山の軍勢が迫ってきている。奴らはここで儂を討つつもりなのだろう。
「大人しく首をやるものか!者ども、茂木城攻めは中止だ。このまま敵陣を突破して烏山に帰還する。死にたくなければ死ぬ気で戦え!」
突撃、と軍配を下ろし、自ら鐙を蹴って敵陣を食い破る勢いで馬を走らせる。愛馬も恐れることなく雑兵を蹴飛ばしながら前へ前へと進んでいく。
小姓や馬廻の奴らも儂をひとりで行かせまいと槍を振るいながら食らいつく。
「小癪な小山の連中に与えるほどこの那須修理大夫の首は安くはないぞ!」
槍を横に薙ぎ払えば近くにいた足軽の首が五ほど宙に舞う。返り血の雨を浴びつつ儂や家臣どもは足を止めることなく敵陣深く切り込んでいく。敵本陣で大将らしき人間が必死に怒鳴っているのを横目に見ながら儂は敵の左翼を完全に食い破り、そのまま戦線を離脱して山間を北上していく。
愛馬を走らせながら周りを見渡せば家臣たちも血まみれでついてきている。だがその数は明らかに減っていた。三〇〇いた兵が見た限りでは一〇〇近くまで削れている。
小山が追ってきているかはわからない。だが儂らは足を止めずについに千本城付近まで戻ることができた。あとは烏山に戻るだけ。
しかしその道の前に武装した一団が待ち構えている。千本の兵だった。
「ふん、ここで確実に仕留めるつもりだったか。だがな、小山もそうだが、裏切り者に儂の首を渡すつもりはない!修羅を戦い抜いた益荒男どもよ、裏切り者に己の首を奪われてはならんぞ!」
一度は息が上がっていた愛馬も再び闘争心を剥き出しにしている。こいつも何人かの首を食い破っていた。
「若造が、那須を侮るなよ」
ひたすら道を走る。
儂に従う兵は五〇を切っていた。無事な者はひとりもいない。
裏切り者からなんとか振り切れたが、皆が無言になっていた。
あと少しで烏山に帰れる。それだけを気力にしていた。そのはずだった。
烏山の方から人が走ってくる。よく見れば留守を預けていた者ではないか。
「殿!ご無事でございましたか!」
儂の姿を見て一度明るくなった顔が再び沈む。
「何が、あった?」
「……森田様、謀反!烏山城が落ちました」
悲嘆の声が周囲から漏れる。気力が尽きて崩れ落ちる者もいた。そうか、常陸介だけでなく次郎もか。
「……顔を上げろ。烏山が落ちた今、このままではここも危うい。美作のもとへ向かうぞ」
常陸介の裏切りで茂木攻めは失敗、そして留守にしている間に次郎風情に城を奪われる。本当に笑える。信頼している者と見下していた者にしてやられるとはな。
だがまだ儂は生きている。儂が生きている限り、どれだけかかろうが必ずや烏山を取り戻してみせるぞ。
「覚えていろ、小山、千本、森田。貴様らが儂を討ち漏らしたこと、後悔させてやるぞ」
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