佐野から
下野国 祇園城 小山晴長
久々に唐沢山城から佐野家の使者が祇園城を訪れていた。用件は城下で開発している牛痘について。子供が生まれたばかりの佐野家当主豊綱は家族に牛痘を接種させてほしいと俺に依頼してきたのだ。
佐野家、特に豊綱は歳下の義兄である俺の言うことを信用してくれており、飢饉のときも俺の言葉を信じてくれた。そのため蝗害が発生しても他の土地と比べて被害は少ない方だった。そして俺が流行り病の対策として牛痘の開発を急がせていると知ると、彼は自身の妻であるさちや二人の間に生まれた嫡男虎房丸に接種をさせたがった。
最初は豊綱本人も接種するつもりだったらしいが家中での反対が根強く、妥協案として自身の妻子だけ受けさせることになった。尤も豊綱は病にかかりやすい赤子の虎房丸と産後のさちに接種させることが本命だったという。なんだかんだで抜け目がない人物だ。
こちらとしても牛痘の接種実績がほしかったというのもあるが、流行り病が発生するまでの時間が短くなっていく中でやはり妹と甥のことは気にかかっていた。牛痘を接種すれば完全に罹らないというわけではないが、万が一のことを考えると向こうから接種を希望してきてくれたことは渡りに船だった。
残念ながら三喜らには牛痘を佐野まで持ち運ぶのはまだ難しいと言われたので後日さちたちに祇園城で打ってもらうことになった。粗方話がまとまった中、今回の使者で豊綱の叔父にあたる中江川兵庫高綱が小山家に耳に入れてほしい情報があると口を開いた。
それは上野国を治める関東管領山内上杉家の動向についてだった。
今年に入ってから山内上杉による佐野配下への調略が増えているという。重臣らは応じなかったが、中には山内上杉に寝返った国人もいた。それだけならわざわざ小山家に知らせるような内容ではないが本題はここからだった。
これは佐野の同族で共に足利長尾領を削った上野国柄杓山城主桐生助綱からの情報でもあるらしいが、どうやら山内上杉家内部の主導権が当主の上杉憲政に移ったという。
関東管領である憲政は幼少期に元服していたが今までは若年ということで家臣団による政治運営がおこなわれていた。だが憲政が青年期を迎えると北条や古河に後れをとっている現状に不満を覚え、重臣らから権限を奪って自ら政務をおこなうようになった。反発する者もいたが本来関東管領が自ら家中を治めることは当然として味方する者が大半だった。
そんな憲政が最初に目をつけたのが桐生と佐野だった。彼らは以前山内上杉の家宰である足利長尾や渋川らを戦で負かして領土を奪っていた。特に渋川義宗は本拠である渋川館と小俣城を失っている。北条や古河より勢力が小さい両者は憲政に狙われることになる。佐野も桐生も憲政から圧力を加えられるようになったらしいが、憲政の狙いは彼らだけではないという。
「はっきり申し上げると、関東管領は小山家も敵視しております。おそらく我ら以上に警戒していることでしょう」
小山家は表立って山内上杉と対立したことはなかったが、先の足利長尾との戦では佐野の援軍としてそれなりの兵を派遣していた。佐野や桐生単独では足利長尾をあそこまで負かせることはできなかったはずだから、そういう意味ならかなり貢献をしているだろう。
憲政の最初の狙いは桐生や佐野だったかもしれないが、背後にいる小山の存在に気がついた。どれだけ佐野などを攻めても強大な小山から援軍が来れば膠着状態になると。
実際のところ、毎回佐野の援軍に行けるわけではないが、免鳥城での戦いが刻み込まれている山内上杉にとって小山の存在は厄介に映るかもしれない。しかも小山は年々勢力を拡大しており、下野統一も現実味を帯びはじめている。そう考えれば敵視されても仕方ないか。
「話は理解した。今後は西の動向にも注意しておこう。忠告痛み入る」
そして時は佐野家から山内上杉についての情報を受け取ってから二日経ったある日のこと。
古河や関宿に潜伏していた加藤一族の者から報せが届く。彼らは簗田の屋敷周辺を監視して怪しい人物がいるか、変わった動きがあるか探っていた。そんな彼らの報告をまとめた段左衛門は表情を変えることなく淡々と読み上げる。
「簗田殿は以前から公方家の外交役として様々な家と交流を深めていたようですが、最近は特定の家の人間の出入りが激しいとのこと。ひとつは北条、そしてもうひとつが山内上杉。より具体的には足利長尾の人間でございます」
「山内上杉だと……」
話を聞いたばかりの山内上杉が簗田につながるとは思ってなかったのか、家臣たちも驚きを隠せない。
「そしてその足利長尾の人間というのが当主である但馬守殿本人であると確認がとれました」
「馬鹿な、当主本人が古河や関宿に通っていたなど信じられん!」
重臣の水野谷八郎が大声を上げるが、彼の気持ちもよくわかる。下野との最前線に位置する領主が頻繁に領地を離れて他家のもとへ訪れているとは誰も思うまい。しかも本拠は健在でも先の戦で佐野に土地を奪われている。だが足利長尾家の当主本人が使者ならば簗田も下手にあしらえない。あまりにも大胆すぎる。
「予想外すぎるな。だが臣下とはいえ家宰である但馬守自らが訪れるとは簗田に何の用だ?」
一色との話では古河と山内上杉との関係は険悪ではないものの以前のように養子を送りつけられるような関係でもないはずだ。いわゆる敵対まではいかないが味方でもない関係。だが古河の重臣筆頭といえる簗田と山内上杉の家宰である足利長尾が頻繁に顔を合わせている。それで何もないはずがない。だが晴氏の側近中の側近である一色直朝が把握していない事態が古河で進められているとは考えづらい。
「まさか足利長尾、ひいては山内上杉の目的は古河ではなく簗田にあるのか?」
俺の溢した言葉に家臣たちもハッと顔を見合わせる。
てっきり今回の簗田の暴挙を裏で操っているのは北条あたりかと思っていたが、ここにきて山内上杉が出てくるとはな。簗田についてさらに調べる必要がある。これは単なる簗田の暴走で収まらない話になるかもしれん。
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