一触即発の危機
下野国 祇園城 小山晴長
清原業賢から手紙で都では正月に東寺の弘法大師像が発汗するという奇怪な現象が発生したという。今まで見たことがない現象に皆が凶事の前兆でないかと噂しているとか。史実を知っている身からすればその危惧は正解だった。史実どおりならば今年に大規模な飢饉と病が全国で発生する。米の貯蔵や稲作以外の生産の奨励、牛痘の開発など対策を立てたとはいえ、小山も被害は避けられないだろう。
凶事を恐れた業賢からは娘を祝言の時期より早く下野に向かわせたいと打診されている。さすがに準備の期間があるので祝言の時期はずらせないが、下向の時期を早めたいという考えなら対応は可能だ。俺も病が流行る前に下野入りしてくれる方がありがたいと考えていて今回の業賢の打診は渡りに船だった。
もし下野入りするのなら祝言を挙げるまでは祇園城で富士らと共に暮らしてもらうべきだろう。都から知らない土地に嫁ぐとなれば不安も大きいはずだ。正室と側室という身分があれど同性間で親交を深めてもらった方が今後の関係構築に役立つかもしれない。富士は出産するまでやや不安定な時期があったが竹犬丸が生まれてからは以前の穏やかな性格に戻っている。侍女や妹のいぬも竹犬丸の面倒を見てくれているおかげで育児の負担も大きくないようだ。
清原の娘がどういった人物かまだわかっていないが、できれば富士たちと良い関係を築いてもらいたい。業賢のことだから問題のある人格の持ち主を送るような真似はしないと信じているが、もし小山に害を与える人間だった場合は清原との関係を無視してでも隔離か離縁の判断を下すことだろう。古来より悪女を放置して栄えた家はない。
とはいえ、基本的に俺も今回の縁談については歓迎している。元々父の連歌仲間に過ぎなかった清原家との関係をより確実なものにする良い機会だったからだ。焼酎などを都で扱うようになったことで清原家にも利益が出たおかげで今も清原家との関係が続いているが、やはりこの時代において血縁関係があるのとないとでは大きく違う。
小山家が清原家に金銭面などの支援をする代わりに清原家は都で朝廷などに工作や交渉を担ってもらっている。清原家のおかげで下野守護就任と同時期に朝廷から下野守を受領していただくことができた。
現在は北飛騨の江馬家とのつながりを得るために江馬と親交が深い南飛騨の三木家が支援している飛騨国司の姉小路家と交流を深めてもらっている。姉小路とは武家に支援してもらっているという共通点からすでに親交を深めているらしく、都で三木家の人間との接触も果たしたという。三木の当主は飛騨にいるので本格的な交流はまだ先だが向こうにも清原と小山の名前は届いているようで遠からず何か反応はあるだろう。
本来小山が関係構築を狙っている江馬の領地には鉛が産出する鉱山がある。鉛は今後の灰吹き法や鉄砲の弾丸などで大量に用意しなくてはならないのだが、残念ながら坂東では鉛をとることができない。西日本や大陸などでは鉛が産出されるらしいが、今の小山の力ではそこから仕入れることはほぼ不可能だ。ゆえに下野屋を通じて仕入れられた摂津の多田周辺を治める塩川や小山領から西日本ほど離れていない飛騨の江馬といった存在は非常に貴重なのだ。
清原に下向の件を承諾する旨を記す返事をしたためていると、外が少し騒がしい。最初は兵同士の喧嘩でも起きたかと思ったが、なかなか騒ぎを収まらない。
「城の外で何が起きた?これは只事ではあるまい」
「御屋形様、一大事でございます!」
小姓に様子を見させるかと考えていたところ、部屋の外から谷田貝民部の声が届く。
「入れ、何事だ?先ほどの騒ぎと関係があるのか?」
「大いにございます。一大事です。小山の商人が関宿から追い出されました。簗田様の命とのことです」
「なんだと!?」
どうやら城の外の騒ぎの原因は関宿を追い出された商人たちが俺に陳情しようと集まったからだという。俺はすぐに家臣らを集めて陳情に集まった商人たちを城内に案内して事情を説明させる。
彼らの話をまとめると、普段なら何も言われることがないのに先日関宿に小山の商品を運ぼうとしたら簗田の兵に小山の商品を関宿に持ち込むなと咎められたという。それは連雀商人も例外ではない。特に焼酎や石鹸など小山の特産として認知されている商品に関しては売るのを禁じられるだけでなく、酷いところだと没収されそうになったらしい。幸い没収されることは避けられたようだが、兵士たちは上の命令だと言っていたと商人たちは口にした。
交易の重要拠点である関宿で追い出されたのは商人にとって大きな痛手だ。関宿より手前の古河周辺までなら問題なかったが、関宿や関宿を抜けたその先での商売ができなくなるからだ。小山の商人は思川と利根川の舟運を利用する者が多く、市場規模の大きい関宿だけでなく、その先の常陸や房総半島、相模や武蔵にも商品が届けられないというのは大問題だ。
「簗田め、そこまでして小山を目の敵にするか」
珍しく俺の喉から低い声が発せられる。
「奴らは一線を越えた。小山を嫌う分には構わないが、害をもたらすなら話は別だ。最初は話し合いで済ませるつもりだったが、ここまでされてそれで収めるわけにはいかなくなった」
家臣たちは俺の言葉に同調しつつ、簗田の行動に困惑していた。
「左様ですな。しかし何故先方はそこまで小山家を排斥したがるのでしょうか?」
「危険視するまでは理解できますが、まさかここまで強硬策をとるとは思いもしませんでしたぞ」
「もしや小山家から戦を仕掛けさせようとしてるのでは?」
ああでもない、こうでもないと意見を交わすが結局のところ全て憶測に過ぎない。まずは簗田に真意を問い質すべきだろう。以前簗田には使者を送って古河での発言の弁明を求めてたが、簗田は未だにのらりくらりと返事を先延ばしにしている。だが今回はそんな真似は許さない。
正直俺もここまで簗田が小山を敵視しているとは思っていなかった。それまでの関係も深くはなかったが決して険悪ではなかったはずだ。話の流れを見ると宇都宮滅亡あたりから小山を危険視しているように思えるが、それでも晴氏の意に反してここまでの行動に出る理由がわからない。
「御屋形様、お忙しいところ申し上げにくいのですが、一色様が祇園城に参られました」
……ここで一色がきたか。
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