古河にとっての小山
下総国 古河城 一色直朝
「小四郎に簗田の一件が露見しただと?」
我が主君、古河公方足利晴氏様は儂や二階堂殿の報告に耳を傾けると大きく溜息をついた。古河での評議において簗田殿が発端となった反小山の言動。公方様はこの件について箝口令を敷いていたが、よほど情報網が優れているのか内々のやりとりを小山に把握されていた。
先日、一色や二階堂に小山からの使者が送られてきた。はじめは古河にあまり干渉してこない小山にしては珍しい動きだと思っていたが、使者が渡してきた書状に簗田殿の件について記されていたのを確認したとき思わず背筋が凍ったものだ。小山は簗田殿の件を完全に把握している。誤魔化すのは無理だと悟った。そのときはこちらからも使者を立てることを約束してこれ以上の言及はなかったが、後日に二階堂殿のところにも小山からの使者がきたことを知ったときは恐怖すら覚えた。
小山は内容だけでなく、誰が敵で誰が味方なのかも理解していたのだ。そこまで詳しい情報を揃えられる小山の情報収集能力の高さは尋常ではない。これは自分のところで解決できる事案ではないことを二階堂殿と確認し、公方様にそのことを伝えると冒頭のように溜息を漏らして額に手を当ててしまった。
「さすが小四郎と言うべきか。普段は頼もしい存在だが、今回に限っては恐ろしく感じるぞ」
「確認したところ、簗田殿のところにも使いを送っているようですが、他は一色と二階堂のみでした。おそらく下野守殿は我らが公方様側であることを見抜いております」
「だろうな。幸いというべきか、小四郎は今回の件について正確な情報を得ているように見える。だからこそ七郎らに接触を図ったのだろうよ」
とはいえ、状況は非常によろしくない。結局簗田殿は反小山の姿勢を崩していないからだ。あの一件以降、表立って小山を排斥する発言はしていないが、明らかに公方様の意に反した行動が目立つようになった。
簗田殿が一介の家臣ならばかつての野田殿のように重臣であっても処分することは可能だったが、今の簗田殿は公方様のご嫡男である幸千代王様の外祖父で、縁談の立役者ということもあって北条とのつながりもある。古河の外交担当かつ商業と交通の要所である関宿の領主という点は野田殿とは比較にならない。明らかに今の古河の中では一枚抜けている存在だ。
厄介なことに簗田殿が北条に接近してからは古河内の親北条派の人間を束ねる存在になっている。その数は意外と多く、彼らは反小山派も兼ねていた。公方様も知らないうちに足元を崩されていることに気づいてなんとか彼らの勢いを抑えようとしているが、北条の工作はかなり根深く、ついに古河内部で公方様派と簗田殿派で分裂しかかっていた。
「儂の不甲斐なさが原因とはいえ、簗田は一体何を考えている?小山を警戒するあまり楔を打ち込めば、それがきっかけで小山が離反するかもしれないとなぜわからないのか?」
公方様の言葉に儂らも頷くしかない。たしかに今の小山はまるで飛ぶ鳥を落とす勢いで下野統一まで迫っている。それに恐怖を覚えるなとはさすがに言えない。だが同時に小山は長年古河公方を支えてきた一族であり、当主の下野守殿は元服前から公方様を支援していた一人だ。小弓での戦でも戦功を挙げていて今の古河を築き上げた功労者でもある。公方様も下野守殿を弟のように信頼しており、下野守殿もかつての宇都宮がしたような古河に一族の娘を嫁がせるなどといった干渉をしてくることがなかった。
少なくとも北条よりも信頼できる家であるのは違いないはずだった。だが簗田殿は小山を恐れるあまり、誤った方向に進みかけている。嘆かわしいのはそれに同調する者が少なくないことだ。公方様がどれだけ反小山を咎めても彼らの心には届かない。いつから古河の人間はこんな者ばかりになっていたのか。見抜けなかった己が不甲斐ない。
自身を責めていると公方様から声をかけられる。
「七郎、たしか今度小四郎のもとに使者を送るということだったな?」
「はっ」
「そうか。ならば七郎、お前が自ら祇園城に使者として向かってくれ。一色家の使者というだけでなく、儂の名代としてな」
まさかの言葉に咄嗟に返事することもできなかった。
「七郎はまだ当主ではないが次期当主で儂の側近でもある。今回の件で儂が直接小四郎に使者を送れば反小山の熱はさらに上がるかもしれぬ。ならば一色家個人として七郎に向かわせた方が奴らの目を掻い潜れるかもしれない」
つまり公方様は儂に一色家としての使者と公方様の名代としてふたつの役目をこなすよう命じているのだ。大役ではあるが断るわけにはいかない。現状、公方様は水面下で動いているがまだ簗田殿の勢いを殺すまでには至っていない。これから公方様が巻き返すためにも小山との関係は崩すわけにはいかなかった。
「かしこまりました。この一色七郎、必ずや成し遂げてみせましょうぞ」
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