大膳という名と古河の不和
下野国 祇園城 小山晴長
大膳大夫の葬儀には孫の弦九郎をはじめ、各地に赴任していた重臣たちも集まった。また大膳大夫と古くから付き合いがあった結城や水野谷といった国人たちの家臣も使者として参列している。特に一門衆や譜代に慕われていた大膳大夫の人望は厚く、すでに隠居していた者たちもこの日のために祇園城に姿を見せていた。
大膳大夫の葬儀を終え、俺は弦九郎を呼び出す。榛名山の開発を任されていた弦九郎は以前より逞しい肉体に成長していた。赴任前はどちらかと言うとやや華奢よりの身体だったが、今の弦九郎は身長こそ伸びていないものの筋肉は倍近くに増えていた。話を聞く限り、どうやら弦九郎は陣頭指揮だけでなく実際に鉱夫としての仕事もやっているという。自ら鉱夫としての仕事を経験したことで彼らの負担や仕事量を適切に管理できるようになったらしい。
今年に入って下野屋の活躍によって摂津の多田からある程度の鉛を買い取ることができたのでようやく灰吹き法を取り入れることになっている。灰吹き法を知る者は数人雇えたが、灰吹き法は鉱夫の寿命を削る危険な作業だ。作業よりまずは鉱夫全員に技術を覚えさせることを優先するように伝える。
「……大膳大夫のことは残念だったな」
「いえ、祖父は十分幸せだったと思います。あの人は御屋形様のことを本当に大事に思っておりました。その御屋形様が下野守護と下野守になられたときはまるで自分のことのように泣きながら喜んでいましたよ。先代様に良い冥土の土産ができたと言っていました」
「そうか。本当に惜しい人を亡くしたものだ。弦九郎、今日からそなたに大膳の名を与える。そなたは今後小山大膳と名乗れ」
「大膳、ですか……」
「ああ、これは生前大膳大夫に頼まれていたことでもあるのだ。そして俺も弦九郎に大膳の名を与えたいと思っている。受けてくれるか?」
弦九郎はしばらく沈黙したのち、ゆっくりと頭を下げて大膳の名を戴くことを承諾する。
弦九郎改め大膳と榛名山のことを少し話していると、部屋の外から段左衛門の声がかかる。
「御屋形様、御耳に入れていただきたい事案がございます」
「大膳、いや弦九郎もいるが大丈夫か?」
「……弦九郎様ならば」
「そうか、入れ」
段左衛門が部屋に入ってきたが、俺は一瞬で只事ではないことに勘づいた。段左衛門は平静を装っているがなんとなく普段とは違うことに気づく。これが第六感というものなのか。
「段左衛門、何があった?」
声色が低くなった俺の様子を見て段左衛門や大膳にも緊張感が走り、空気が一気に緊迫する。
「古河にて小山家排斥の動きがございます」
一瞬、重苦しい沈黙が支配する。大膳は信じられないというような表情を浮かべている。俺も聞いた瞬間は晴氏が裏切ったかと思ったが、段左衛門が古河と言ったことを思い出して心を落ち着かせる。まだ晴氏が裏切ったという確証はない。
「詳しく、話せ」
段左衛門は淡々と時系列を追って判明している範囲の説明をおこなう。
事の発端は小山家が飛山宇都宮家を滅ぼした頃。晴氏は小山が宇都宮を滅ぼしたことを家臣らに伝えて小山の隆盛を褒めていた。しかし古河の重臣で関宿城主簗田高助がそれを咎めたという。
曰く、小山は強くなったがいつまでも古河に従順であるかわからない。小山がこれ以上大きくなる前に楔を打ち込むべきだ、と。
晴氏は高助の言い分に異を唱えたようだが、晴氏の予想に反して少なくない数の古河の家臣が高助に賛同していたという。その多くは古河周辺に領地を持つ者だ。つまり彼らは小山を恐れていた。そのためこれ以上の小山の発展を封じるために楔を打ち込もうと画策していたのだ。
晴氏と高助は北条との縁談の件をきっかけに仲が悪くなっていた。というよりも晴氏が北条に丸め込まれた高助に不信感を抱いているというのが正しいか。それ以降、古河内部では晴氏派と高助派に分裂しかかっていた。そして今回の件でそれは表面化してしまった。晴氏に賛同する者もいたが、数で言えば高助に賛同する声が多かった。
結局、晴氏は何の非もない小山に楔を打ち込むことはしないという一声で一旦終幕を図った。そしてこのことは他言無用と厳命し、外部や小山に情報が漏れないよう徹底させたが、人の口には戸が立てられない。特に相手がうちの加藤ならば尚更だ。
情報を掴んだ段左衛門らは流言の可能性を吟味してすぐに報告するのではなく正確な情報を集めてから俺に伝えてきた。
「はあ……」
思わず溜息が漏れる。まさか古河がここまで分裂しかかっているとは。最近は下野国内に専念していたことや晴氏の統治の安定もあってそこまで古河に注意を向けていなかった。
やはりきっかけになったのは北条の一件だろうな。あそこで晴氏が後手を踏んだ影響が大きい。なにせ古河の重鎮かつ晴氏の舅でもある高助すら北条の味方についたのだから。
高助がどういった理由で北条に味方したのかはわからないが、晴氏の身内である高助が北条に味方したことが北条との縁談の行く末を決定づけたのは間違いない。その結果、晴氏は高助に不信感を抱き、高助も晴氏からの信頼を失いつつあることに勘づいて独自に動くことが増えてきた。
ようやく下野統一が迫ってきたというのに背後で面倒な動きをされるのは非常に困る。どうやら晴氏とその側近である一色、内政を担当する二階堂などは小山と友好関係を継続したいと考えているようだ。だが高助を筆頭にする反小山派の連中は小山の力を抑えるようと企んでいる。古河が一枚岩でない現状、最悪の事態を想定する必要が出てくる。晴氏が高助に同調するとは思えないが、正直何が起きても不思議ではない。もし一触触発の状態にまで陥れば高助らが晴氏を公方から引き摺り下ろし、晴氏と高助の娘の間に生まれた幸千代王丸に公方を継がせることすらあり得るのだ。
「御屋形様、いかがなさいますか?」
「……向こうが動いていない以上、こちらが下手に動けば奴らのつけ入る隙になる。だが静観するのもまた悪手か」
とりあえず家臣らに問題の共有をするか。これは俺一人で決める問題ではないな。今までの小山と古河の関係が関係ゆえに慎重に動かなければならない。
そして家臣を集めて段左衛門から報告を受けた古河の問題を伝えると家臣らの反応は様々だった。古河との関係悪化を恐れる者、古河の横暴に憤りを覚えて顔を赤く染める者、今後の関係を憂う者、俺に縋るような視線を送る者。
「今回の件で朗報と言えるのは公方様自身が簗田殿の意見に反対しているという点だ。直接の言及はまだないが、公方様は今の小山との関係を継続したいと考えていると俺は思っている」
「しかし、古河では簗田様に同調する声が多いと聞きます。公方様が小山家との関係を維持したいと考えていらしても下の者が素直に従うでしょうか?」
芳賀高規の言葉に周囲も頷いたり気にする素振りを見せる。家臣の中では高助らが晴氏の意向を無視するのではないかという不安が付き纏っていた。それに晴氏が高助らの圧に押されて意見を変えるかもしれない。
もし古河が小山に対し何かしら行動してきた場合、各地の国人は公方の命に従うという名目で古河に味方するだろう。小山に同盟や従属している家すら古河に転じることもあり得る。
おそらく楔を打ち込むというのは小山の領土を削るという意味合いだ。もし本当に古河が小山に対して行動をとるなら周囲の勢力に号令をかけて小山を攻めさせるだろう。そうなった場合、最悪小山家の滅亡も考えられた。
だが滅亡の可能性に怯えて古河に尻尾を振るのは間違いだ。一度譲歩すれば今後も奴らはずっと小山に譲歩を迫ってくる。それは決して小山家のためにはならない。
「公方様以外で簗田の意見に反対した家に連絡をとれ。たしか一色や二階堂だったはずだ。彼らとの関係を強めておきたい。それと……簗田へ使者を出せ。どうやら向こうは小山の認識を誤っているらしいからな」
小山を危険視すること自体は間違っていない。だが素直に楔を打ち込まれるような家と見ているのは少々甘いのではないだろうか。
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