小山犬王丸の傅役
下野国 祇園城 小山晴長
季節は春を迎え、徐々に暖かくなってきた頃、大膳大夫が体調を崩してしまった。完全に隠居してから体調を崩すことが増えていたが、今回はかなり深刻なようで、意識はあるがもう寝床から出られない状態だという。大膳大夫はもう八〇近くとこの時代どころか現代においても高齢の部類に入る。中にはついにこのときがきたかと沈痛な表情を浮かべる者もいた。
祖父の代から三代にわたり小山家に忠誠を誓ってきてくれた大膳大夫の功績は計り知れない。祖父成長が足利政氏・高基という公方親子の争いに巻き込まれて敗北し父政長に家督を奪われた永正の乱。父は祖父と祖父が味方していた政氏を祇園城から追放して高基側についたが、結果的に高基派だった宇都宮家や結城家、山川家といった周辺勢力に後れをとり、小山家の勢力は弱体化してしまった。そんな小山家の冬の時代を当主とともに大膳大夫が支えてくれたからこそ今の小山家がある。
医師から回復の兆しが見えないと診断されたと聞き、俺は大膳大夫の体調が大丈夫なときに彼に会いにいった。隠居してから顔を合わせる回数が減っていた自覚はあったが、久々に会った大膳大夫はかつての面影すら消し飛ばすほど小さく見えた。思わず言葉を失い堪えていたものが内から溢れそうになる。
「本当に、大膳大夫、なのか……?」
俺の記憶の中の大膳大夫はすでに老齢ながらも若者に劣らない引き締まった肉体と長老らしい威厳を兼ね備えていた人物だった。だが今、目の前にいる男はまるで枯れ木のようだ。布団から見えるほっそりした腕は簡単に折れてしまいそうで、雰囲気も儚くていつ消えても不思議ではなかった。
「これはこれは、御屋形様ですか」
その声もか細く、力も入っていないようだった。もはや自力では起き上がれないようで大膳大夫の近くに控えていた小姓が身体を起こさせようとしたが俺はそれを制する。
「無理に起こさなくてもよい。そのままでかまわないさ」
「申し訳ありませぬ。横になったまま失礼いたします。……これ、一度席を離れてくれるか?御屋形様と二人きりで話をしたいのだ」
大膳大夫は控えていた小姓に一度部屋を出るように促す。
「しっ、しかし万が一のことがあれば……」
「大膳大夫の容態に変化があれば俺がすぐ人を呼ぶ。そなたの役回りは理解しているが、今回ばかりは彼の頼みを聞いてくれるか?」
当主の俺にまでそう言われると小姓の彼は従うほかない。できるだけ近くで待ってほしい旨を伝えて彼には退室してもらった。
部屋には俺と大膳大夫のみ。何から話すべきか色々と考え、しばらく沈黙が続く。すると大膳大夫の方から口が開く。
「小山は、大きくなりましたな」
「ああ、小山荘近辺を治めていた二十年前には考えられなかったくらいにはな。とはいえまだ下野の統一はできていないが」
「そういえば御屋形様が当主になったとき、下野統一を口にしておりましたなあ。あの頃は家中の士気を上げるためのものだと思っておりましたが、まさかここまで本当に大きくなるとは」
「あとは那須だけなんだがな。せめて大膳大夫が生きている間に成し遂げたいものだ」
「儂はすでに十分満足でございます。御屋形様の子も抱かせていただけただけでなく、小山が下野守護と下野守になれた姿も見れた。宇都宮や結城の脅威に怯えていた昔のことを考えれば今の光景はまるで夢のようです」
大膳大夫は満足そうに、本当に満足そうに言葉を紡ぐ。
俺が生まれる前の小山は衰退の一途をたどっていた。父も頑張っていたが、先の公方の争いに敗れたことが尾を引き、公方の信用は後ろ盾の宇都宮に傾いていた。公方と血縁関係を結んだ当時の宇都宮は下野最大の勢力を誇っており、かつての下野守護という肩書しかなかった小山家は下野南部の一国人でしかなく、単独で宇都宮と戦うことすらままならなかった。
そんな厳しい時代を一門衆筆頭として乗り越えてきた大膳大夫にとって下野統一も射程に捉えた今の小山に満足しているという言葉に嘘はないだろう。
「今の小山があるのは大膳大夫のおかげだ。大膳大夫が幼い頃の俺を真摯に受け止めてくれたから俺は今ここにいることができる。本当に感謝している」
「頭を上げてください。礼を言うのは儂の方です。御屋形様が、いや若様が未来を悲観していた儂に光を与えてくれたのです。たしかに若様は幼い頃から聡明でございました。そんな若様だったからこそ、傅役として、ひとりの小山の人間として若様が小山の希望になりえると心の底から思えたのです」
「それでもだ。もし大膳大夫が俺のことを気味悪がったり、子供の戯言とまともに取り合わなかったら俺は幼いうちに父上から評価されることはなかったし、下手すれば狐憑きとして幽閉か処分されていただろう。大膳大夫がいなければ今の俺はいなかったのだ」
「……傅役冥利に尽きますなあ。本当に、若様の傅役でいられて幸せでした」
次第に大膳大夫の口数が減っていく。一瞬もしやと思ったが純粋に眠気が襲ってきたようだ。弱っている大膳大夫にはとって長時間の会話も体力的に厳しくなっていたかもしれない。俺は小姓を呼んで大膳大夫を任せると部屋を後にしようとする。
「俺の傅役が大膳大夫で良かった」
返事はなかった。しかしわずかに右手が上がった気がした。
数日後、小山家三代に仕えてきた一門衆の長老、小山大膳大夫成則は息を引き取った。
一門衆だけでなく譜代や外様、古参や新参問わず小山の人間が皆、小山家の冬の時代を支え続けてきた彼の死を悼んだ。
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