益子のさだめ
下野国 益子城 小山晴長
益子弦次郎安宗を小貝川で退けたあと、益子鹿島神社を抜けて益子城へ歩みを進める。城に辿り着くとその惨状に一瞬息を吞む。
「これは、なかなかに酷い状態だな。少しでも遅れていたら城は落ちていたかもしれない」
「左様ですな、まさに落城寸前といったところでしょう」
重臣らが俺の言葉に頷く。
城は半壊しており、空堀などには双方の兵の亡骸がまだ転がっている。逆茂木も柵も門も無傷なところは皆無だ。入城を果たすがいくつかの郭は突破を許してしまったような形跡がある。
重臣や一部の護衛のみを引き連れて益子城の本丸まで向かうと俺たちを迎え入れたのは城主の勝高ではなくその重臣である加藤上総介という者だった。その上総介も無傷ではなくいくつか戦傷を抱えていた。
「この度は益子城を救ってくださいまして感謝してもしきれません。敵は本丸まで迫っておりました。殿や儂も自ら槍を振るってなんとか抗戦しましたが、あと少し救援が遅ければ我々の命はなかったことでしょう」
「なに、小山と益子は血縁関係なのだ。益子の窮地は小山の窮地でもある。それより肝心の太郎左衛門殿の姿が見えないのだが」
そう上総介に尋ねると、彼は沈痛な表情を浮かべて奥の部屋まで案内する。彼の後ろをついていくと俺たちの前に現れたのは身体中を木綿などでぐるぐるに巻かれながら横に寝かされているひとりの男だった。
荒く浅い呼吸を繰り返す目の前の人間は顔の一部まで木綿で隠されており、血が滲んでいるのかところどころ木綿が赤く染まっていた。明らかに軽傷の類ではない。俺の家臣たちも彼の状態を目撃して顔を曇らせる。
「殿、小山下野守様がお見えになりましたぞ」
「……そ、そうか」
上総介の言葉で目の前にいる男が益子家当主である益子太郎左衛門勝高ということが判明した。勝高はわずかに聞こえる程度の小声で返事すると身体を起こそうとするが自力では身動きできず苦悶の声だけを上げる。
「殿も自ら刀をとって奮戦したのですが、敵の矢を複数浴びてしまい、このようなお姿に……」
上総介ら益子家の家臣に制止されて再び横になると勝高は視線だけこちらに向けて俺の姿を認識する。
「このような状態で申し訳ない。益子が当主、太郎左衛門勝高と申す。下野守殿とは初めて顔を合わせるか」
「そうなりますな、同盟を結んだのは先代の頃で、その後は書状の遣り取りだけで実際に顔を合わせたことはなかった。改めて小山が当主、下野守晴長と申します」
俺は勝高の真横まで歩み寄って腰を下ろす。顔を動かせなくても近くに俺がきたことを察したのだろう。わずかに勝高の声が大きくなる。
「この度は益子城を救っていただき感謝しかない。それと、謝罪を。今回の乱は情報をもらったにもかかわらず事前に弦次郎を討てなかった儂の失態が原因。儂が素直に小山家の情報を信じて行動できていれば、いやそれ以前にちゃんと益子家を統率できていればこんなことにならなかった。本当に、悔やんでも悔やみきれない」
俺は彼の言葉を黙って聞いていた。
「上総介」
「はっ」
「見てのとおり、儂の命はそう長くない。儂の亡き後は家督を八木岡城に逃れた倅の雀千代に」
「……はっ」
上総介は主君の死期を悟り、涙ぐんでいる。
「そして下野守殿に申し上げたいことが」
「それは一体?」
勝高は一度荒くなった呼吸を整えると震える手をなんとか動かして俺の右手に触れる。俺は手が血で汚れることを気にせず優しくその手を握り返した。
「益子家は、小山家との同盟を解消し、その傘下に下ります」
それは益子家の小山家への従属の表明だった。
「今回の戦で多くの家臣が弦次郎に与し、儂についてくれた者も多く失いました。倅の雀千代は幼く、人がいなくなった益子家を那須や佐竹などから守ることは難しいでしょう。力を失った今の益子は小山家の同盟相手になり得ません」
「だから同盟を解消して小山に従属する道を選ぶと?」
「虫のいい話だとは理解しています……」
益子家の従属。それは益子領の統治について考えていた俺にとって渡りに船でもあった。見たとおり、勝高の命は長くなさそうだった。彼の子供である雀千代が跡を継ぐことになりそうだが、主君が幼く人員も不足している益子領は近隣勢力にとって格好の的。家臣の大半が弦次郎についた今の益子家にはもう自力で領土を保全する力は残されていなかった。
「なるほど。その従属の申し出、受け入れよう。安心してほしい。雀千代殿の後見も任せよ」
俺の快諾を聞いて勝高の片目から雫が流れ落ちる。それは安堵からなのか、独立を保てなかった不甲斐なさからなのかはわからない。だが役目を果たしたからか、目の前の生命から徐々に輝きが失いつつあるのは俺でも理解できた。俺の手を握り返す力が少しずつ弱くなっている。俺は両手で彼の手を包むと、その手を自分の額に近づかせて自身の熱を彼に伝える。
「太郎左衛門殿、小山家は雀千代殿の後見だけでなく益子弦次郎の討伐も約束しよう。だから、今はゆっくりと眠るがよい」
その言葉に安心したのか、勝高は満足そうな表情を一瞬浮かべると次第に表情から力が抜けていく。同時に彼の腕からも力が失っていき、俺が彼の手をそっと離すとその手はゆっくりと地面へと落ちていく。
上総介が勝高の脈を計るが、彼は首を横に振って勝高の腕を地面に寝かせる。周囲の益子の人間からすすり泣く声が漏れ、上総介も表情を崩さないように必死に堪えていた。
「皆の者、出るぞ。彼の、益子太郎左衛門殿の弔い合戦だ」
一部の兵を残して益子城を出ようとしたところで北から長秀叔父上率いる別動隊の伝令が現われる。向こうも順調に事が進んでいるようだ。祖母井城の救援に成功し、弦次郎に与した国人の城もいくつか落とすこともできたという。やはり那須も動いていたらしいが、あちらは不利だと悟ると無理することなく兵を退かせたようだ。
「……さて弦次郎を討つとするか」
正直言って勝高の弔い合戦云々には興味はない。そもそも勝高に思い入れもないからだ。だが今後の益子統治のためにもああいった大義名分は必要不可欠だし小山側からしても那須に通じて内乱を起こした弦次郎の存在は消さなくてはならない。ただ双方の家臣がいる中で俺が自ら弔い合戦について言及したことで益子の人間も小山への警戒心は解いたことだろう。
長秀叔父上はこちらの命令どおり弦次郎に寝返った国人の領土を分捕っている。勝高についていた祖母井城も戦後は小山家が接収するつもりで、益子領は益子城とその周辺程度で収める予定だ。人員を失った今の益子家にはそれでも十分過ぎる広さだろう。
あとは西明寺城に籠った弦次郎の討伐だが、長秀叔父上たち別動隊も無事南下しているようなので西明寺城下で合流するつもりだ。西明寺城は南北朝の時代でも活躍した山城でその後も益子家の詰の城として機能してきた。下野の中でも屈指の大きさを誇っているので簡単に落とせるとは思っていないが持久戦にもっていくつもりもない。
「皆の者、太郎左衛門殿の仇である益子弦次郎は絶対に逃がすなよ」
「「「「「ははっ!!!」」」」」
とはいえ窮鼠猫を嚙むとも言う。敵の数が減っているとはいえ油断は禁物だろう。
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