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武茂の顛末

 下野国 祇園城 小山晴長


 那須高資による武茂城襲撃から数週間が経て、今回の戦の詳細が祇園城のもとに届くようになった。


 小山との縁談を進めるために娘を逃がした武茂守綱の行動に激怒した高資は守綱を烏山城に呼び出して殺害し、そのまま自ら兵を率いて武茂家の居城である武茂城を急襲した。突然の襲撃に兵すら揃っていなかった武茂城は呆気なく落城。籠っていた兼綱をはじめとする武茂一族や兵士たち、侍女らは撫で切りに遭った。この戦で武茂城は焼け落ち、城下も那須の兵によって大いに荒らされる。武茂領は那須に組み込まれ、武茂城には高資の直臣が城代として入った。


 僅かながら武茂城から落ち延びた者もいたが、そのほとんどが那須による徹底的な落ち武者狩りに遭って命を落とした。唯一小山領の沢村城に逃げ切れた武茂家の重臣折木尾張守も戦傷が深く、数日後に落命した。しかしながら彼の口からもたらされたあの日の武茂城内の様子は小山家にとって貴重な情報になった。


 当時、武茂城にいた者は当主守綱の死すら知らないうちに襲撃に遭ったという。それは守綱だけでなく同行していた彼の家臣も那須の手によって葬り去されていたからだった。攻められる直前に守綱らの殺害を目撃した下男が武茂城に駆けこんでこなかったら何も知らないままだったかもしれない。しかし事態を知ったとしてもすでに手遅れだった。兵は常駐していた数十程度で百にも満たなかった。武茂城の兵は必死に守ったが多勢に無勢。兼綱は孫の弥五郎らを逃がそうとしたが、弥五郎は城から逃げ出す途中で那須の兵に見つかり殺されてしまった。尾張守は弥五郎の護衛もしていたが戦闘中に沢に滑落してしまい、結果として唯一逃げ延びることに成功してしまう。その後、途中で落ち合った武茂の兵士とともに塩谷義尾の川崎城を目指したが落ち武者狩りに遭遇し、負傷しながらも尾張守だけが沢村城まで辿り着いたという。


 沢村城の者に武茂城の最期を話した尾張守は力尽きたように息を引き取った。亡骸は沢村城の近くにある高性寺に手厚く葬られた。川崎城に保護された守綱の遺児たちも武茂城の出来事を知らされたようで大きな衝撃を受けたという。ただ彼らは気丈にも一族の遺志を受け継ぐために宇都宮親綱との祝言を求めた。親綱との子を成し、宇都宮家当主にすることが一族へ最大の弔いだとか。俺は彼らを庇護することを決め、落ち着いた頃に一度祇園城に移らせることにした。


 親綱は現在飛山城に配属されているが飛山領の整理が終われば祇園城に配置する予定だった。彼も父業親に似て優秀な武将で俺の手元に置いておきたいひとりだ。


 現状、資清や勘助らが各地に配属されているので祇園城に残る人材がやや不足していた。小山家の中でも世代交代が進んでおり、今年に入って小山土佐守、岩上伊予守らが隠居や病を患うなどで第一線から引退していた。壬生との戦で負傷していた右馬助は西方城から勝山城に異動し、各地の後任に祇園城で政務をこなしていた若手や中堅を配属している。祇園城には高規や助三郎など見所の多い若手もいるがまだ経験は浅い。親綱もまだ若い部類に入るが飛山宇都宮にて最前線で戦ってきた経験は貴重だ。


 祝言はすぐにできないと思うが、守綱の遺児たちの処遇はある程度決まっている。娘は富士の侍女に、次男は三郎太の小姓につけることになった。次男に関してはいずれ元服するときには俺の一字を与えても良いかもしれない。悲願があったとはいえ小山との縁を守り、散った一族の生き残りには報いる必要がある。


 そして季節は下り、下野だけでなく北関東全体でしんしんと雪が深く降り積もる。下野南部で比較的温暖な祇園城にも道が見えなくなるほどの雪が積もっていた。当然塩谷や那須のいる下野北部は物凄い積雪に襲われており、たまに吹雪になることもあるという。そのためこの時期はどの大名たちも軍事行動を控えている。小山も例外ではなく、俺は兵が動かせない間に飛山領の整理や各地の情報収集に力を注いだ。


 厳しい環境でも情報を集めてくれる加藤一族には頭が上がらない。そのおかげで様々な情報を得ることができた。


 その結果、武茂城の落城によって背後の憂いをなくした那須が益子を狙っていることが判明した。直接小山を狙うのではなく勝宗亡き益子を標的に定めるあたり、那須の戦術眼が長けているのがよくわかる。当主の勝高は三郎太の兄だが彼や勝宗と比べると平凡と言わざるを得ない。もし那須に攻められた場合、彼が上手く対処できるのか一抹の不安があるのも事実だ。


 俺は勝高に那須の襲撃と内通に気をつけるように注意を促すが、三郎太はそれだけでは不十分だという。



「益子単体では正直厳しいかと。兄上には悪いですが小山の人間の監視も必要です」


「信用していないのか?」


「はっきり言えばそうなります。別に兄が嫌いというわけではないですが、小山の人間として見て益子はかなり脆弱です。父が存命ならば平気だったのですが、兄上には父ほどの器量はありません」



 三郎太は益子の監視を強めるように打診する。そこで俺は益子に近い中村城の中村時長と真岡城の芳賀孝高に益子を監視するよう下知を飛ばす。彼らも有能だ。益子の動きを注視するだろう。ただ問題は益子内部から切り崩された場合だ。小山も内部まで干渉できない。勝高が上手く対処しなければなかなか厳しいことになるな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 那須家に対する調略はやはり大俵資清が主導ですかね? 先ずは資清の旧領である水口城を調略するのが良いですかね? 場所的にも水口城を寝返らせれば上那須衆と下那須…
[一言]  都合のいい展開ばかり起こるはずもなく、救援できない味方が滅ぼされるのはやむを得ないところです。ただ、こちらが見捨てたとか、非道だとか後ろ指を指される状況でなかったところだけは幸いでした。 …
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