常陸源氏と関東管領上杉の血を継ぐ者 常陸守護佐竹義篤
常陸国 太田城 佐竹義篤
従兄弟である佐竹東家当主九郎義堅、佐竹北家当主又七郎義廉そして弟の三郎こと佐竹南家当主次郎左衛門義里とともに儂は頭を抱えていた。前年に起きた弟である部垂四郎義元との戦いで又七郎の兄で北家前当主だった義住が戦死してしまったからだ。
那須親子の和睦によって下野に兵を向ける口実を失ってしまった我々は部垂城の四郎を討つべく部垂に兵を差し向けたが、結局部垂を落とせなかったばかりか義住をはじめとした有力な武将を何人か失うことになってしまった。敗北したわけではないが、負けに等しい戦だった。まだ若かった義住には跡継ぎがいなかったので、義住の葬儀後に彼の弟である又七郎が佐竹北家の家督を継ぐことで父が創設した佐竹北家の断絶は回避することはできた。
しかし六、七年前に相次いで又七郎や九郎の父である叔父上たちを失い、政務を制御できる人物が不在になっていた中で奮闘していた義住の死はようやく落ち着きを取り戻しつつあった佐竹家に混乱を生み出してしまった。儂に次いで一門の中で政務に通じていた義住を失ったことで統率されかけていた家中は再度乱れはじめる。
妹婿である水戸城の江戸弥太郎忠通や佐竹の宿老ながら独立心が強い山尾小野崎出羽守成通らが不穏な動きを見せはじめたのだ。江戸家は数年前に陸奥の岩城家らとともに佐竹領に侵攻してきた過去がある。その際は恥ずかしながら陸奥守護である伊達左京大夫植宗殿に和睦の斡旋を願い出てなんとか収まった。それ以来江戸は佐竹とは諍いを起こしていなかったが、部垂四郎討伐の失敗で風向きが変わってしまった。出羽守もやはりあの戦の後から妙な動きが増えてきた。
討とうとしていた四郎も年々力をつけてきており、今や久慈川以西の国人の多くが彼を支持していた。久慈川以西の国人たちは父上と父上を太田城から追放して自害寸前まで追い込んだ山入家が久慈川以東で争っている間に独自に力を広げており、佐竹宗家の支配に反発して四郎を担ぎ上げた経緯がある。ゆえに反佐竹派のあちらの士気は高く、毎回苦戦を強いられていた。厄介なのは四郎に今宮家を継いだ兄上が味方していることだ。兄上は常陸の修験者を統括しており、葛城衆という修験者の組織を率いている。そのため情報収集では些か不利な状況だ。
「四郎の討伐が上手くいかなかったことと義住の死がここまで響くとはな。もし出羽守が本気で反旗を翻すならば同調する者も多くなるだろう。西に部垂、南に江戸、北に白河と岩城を抱えた現状では対抗することも難しいかもしれぬ。そのときは父と同じく城を追われるだろうよ」
「気を強くお持ちくだされ。たしかに出羽守殿は怪しい動きを見せております。しかし大山因幡守殿や石塚大膳亮殿、石神小野崎大蔵大夫殿などお味方になってくれる方も多いことをお忘れなく」
「左様、勿論我らも御屋形様を見捨てることはありませぬ。それは亡き父や兄の遺志に背くことになりますゆえ」
九郎と又七郎の言葉に弱気になりかけていた儂の心に再び灯火が灯る。どうやら知らないうちに不仲だった兄や弟に反乱を起こされた頃を思い出していたようだ。あのときの儂と今の儂は違う。ふたりの叔父上たちはいなくなったが、儂自身経験を積んだし、こうして儂に従ってくれる一門衆や家臣らもいる。なにを弱気になることがあろうか。
たしかに前年の戦は上手くいかなかった。だが一度の失敗がなんだ。父は自害寸前から太田城に舞い戻り、家を大きくさせた。その息子である儂が数回の失敗でめげるわけにはいかない。
「そうだな、まだ何も終わっていない。義住の死は痛いが、彼の死を無駄にしてはならない。そのためにもこの難局を乗り越えなくはな」
そして立ち直った儂に追い風が吹く。烏山城の那須修理大夫高資から正式な同盟の打診が届いたのだ。元々佐竹は修理大夫の父壱岐守を支援しており、修理大夫とは敵対状態だった。親子間で壱岐守の隠居と修理大夫の正式な家督相続を条件とした和睦が成立したとき、那須との関係が手切れになると思っていた我々にとってそれは朗報に近い報せであった。
すぐに家臣らと相談し、佐竹は那須の申し出を受諾することにした。周囲に不穏な動きを見せている勢力がいる中でひとつでも味方を増やしたかったからだ。それに下野には佐竹に従属している茂木城の茂木上総介もいる。彼らを見捨てるわけにもいかないし、那須と結ぶことで断念しかけていた下野の進出も果たせる。西の四郎が厄介だが下野の土地が奪えれば四郎を包囲できるし、那須からの援軍も得やすくなる。
那須は下野南東部に勢力を置く益子を狙いに定めているらしい。この家は下野守護の小山と同盟を結んでいるが、今代の評価はさほど高くない。内部からの切り崩しもできそうで、上手くいけば楽に益子を奪えるかもしれない。岩城や江戸が妙な動きをする前に力をつけなくては再び苦難の道が待っているだろう。
問題は勢いのある小山を敵に回すことだが那須と結ぶ時点ですでに仮想敵国だ。もし小山が那須を滅ぼして下野を統一した場合、次に狙われるのは常陸になるだろう。下野には海がない。商いに力を入れている小山なら海の重要性を理解しているはずだ。
ここが踏ん張りときだ。嫡男である徳寿はまだ幼いし病弱だ。徳寿の兄である太郎は健康体だが妾腹の子で継承権はない。跡継ぎに不安がある中、ここで儂が倒れるわけにはいかないのだ。幸い信頼できる一門や家臣もいるし、白河との争いではこちらが有利に立っている。益子さえ落とせれば那須と協力して小山や四郎に対抗することもできるはずだ。修理大夫は戦上手として北関東で知られている。そう簡単に崩れはしない。
だが遠征中に四郎らに留守を突かれることもあり得るな。義兄である小田左京大夫殿にも助力してほしいが、あっちは下総の結城と長い期間争っている。多賀谷を扇動して結城内部で謀反を引き起こしたせいで遺恨は根深く、一時的な停戦はあっても和睦には至っていない。それに常陸南部の国人たちも小田を警戒している。援軍を求めるのは少々厳しいか。
そして佐竹と那須が同盟を結んだ数日後のことだった。
「申し上げます。部垂四郎様が笠間城の笠間殿、水戸城の江戸殿と手を結びました!」
これで間章は以上になります。関東には小田、千葉、里見、両上杉もいますがこれ以上は蛇足になりそうでしたので、次回からは新章に入ります。
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