下野北部の関東八屋形 唯我独尊の猛将那須高資
下野国 烏山城 那須高資
「あの糞親父が!隠居前に余計なことばかりしやがって!」
儂が酒を片手に膳をなぎ倒すと小姓が怯えながら汚れた床を掃除しはじめる。そんな様子に気にすることなく酒を浴びるように飲むが父の愚行に苛立ちが収まらない。父とはかれこれ二十年近く争ってきたが昨年末に飢饉と小山家の勢力拡大もあって和睦を結んだ。だが佐竹と通じて儂を滅ぼそうとした父との和睦に乗り気ではなかったので条件として父の完全な隠居を唱えたところ、父は簡単に隠居を受け入れて和睦を結ぶことに積極的だった。あれだけ家督を取り戻そうと儂を攻撃していたにもかかわらず簡単に隠居を選んだことに拍子抜けしたが、これで儂を脅かす者がいなくなるので和睦は受け入れた。
だが問題はこのあとだ。父は隠居する直前に異母弟の次郎を当の昔に断絶していた森田家の名籍を継がせ、まだ元服前の国幸丸には上那須の福原資衡の娘と婚約させて福原の婿養子に入れやがった。まだ幼い弟たちに後ろ盾を与えたかったかもしれないが、許せないのは儂に無断でそれを実行したことだ。
特に国幸丸を福原の婿養子に入れたことは断じて許されることではない。あれは側室の子だが上那須の連中とつながるのは今後のことを考えても面倒なことだ。ただでさえ上那須の奴らは父を支持し儂と対立してきた。和睦によってようやく上那須の連中も儂に従わせることができると思っていたが、父に味方する愚弟たちと血縁関係を結ばれるとこれからの統治に影響が出る。
あいつらは元々那須家の庶流のくせに素直に主家に従おうとしない。父がやった愚弟たちの他家入りを取り消そうとしたら関係のない伊王野や蘆野らも揃って反発してきやがった。儂はそんな声を押し切って無理矢理にでも取り消そうとしたが儂に忠実な大関美作守や千本常陸介にも窘めてしまい最終的に愚弟らの他家入りを認めることになった。
父とは昔から反りが合わなかったが、ここまで露骨に儂を逆撫でするような行動をするとはな。そういえば年末に小山に攻め込もうと考えたときも父は飢饉を言い訳に強硬に反対してきた。儂からすれば消極的に見える小山を攻めるには絶好の機会だったが、和睦が成立したばかりなこともあり、儂が珍しく父に譲歩したことで小山攻めは中止となった。だが結果はどうだ。小山は年末に兵を動かして飛山城の宇都宮を滅ぼしてしまったではないか。これで小山と那須の緩衝地帯が消滅してしまった。これも父のせいだ。父が反対しなければこんなことにはならなかった。だから儂は決めた。もう周囲に変な気遣いはしないと。
年始、儂は烏山城に下那須の家臣に加えてそれまで父の派閥にした上那須の連中も呼びつけた。烏山城には重臣の大関美作守や千本常陸介をはじめ、上那須の蘆野日向守資豊、福原大和守資衡、先日家督を継いだばかりの伊王野又十郎資宗なども参列した。上那須の連中が烏山城に登城するのは何年ぶりだろうか。あの上那須の奴らが儂に首を垂れている姿はいつ見ても愉快なことだ。
「さて宴の前にひとつお前らに伝えることがある。皆も知っているだろうが、儂と父は昨年和睦を結んだ。それは飢饉もあるが、それ以上に小山が脅威であるからだ。そこで那須がひとつとなった今、小山を攻めることに決めた。これ以上、下野を奴らの好きにさせたくはないだろう?」
儂の問いかけに各々が「応!」と大声を上げる。よし、掴みはいいな。これならいけるだろう。
「認めたくはないが小山の力は強大だ。真正面から戦っても勝算は低いだろう。そこでだ。儂は佐竹と協力し、手始めに小山と同盟を結んでいる益子を攻め落とす。益子には先代に好き勝手されたが今代の当主はさほど優秀でないと聞く。ここを落とせば下野東部は我らの物だ。そうなれば小山に敵意を抱く者たちの協力が得やすくなるはずだ」
そこまで言って周囲の様子を見るがなぜか雰囲気がおかしい。下那須の家臣や大関らは驚きの声を上げるも基本的には賛同しているようだったが、問題は上那須の連中だった。小山を攻めることを表明したときは他の奴ら同様盛り上がっていたが、益子を攻めるとなると途端に冷めたような視線を儂に送っていた。
「何か言いたいことでもあるのか?」
儂が凄むと上那須の奴らは視線を向け合うと、やがて福原大和守が一歩前に出てくる。
「恐れながら、もし攻めるのであれば益子より塩谷ではないでしょうか。たしかに益子の今の当主は優れているとは聞きません。しかし塩谷は上那須と下那須の中間に位置する地域。内紛で弱体化していると耳にしております。優先度はこちらの方が高いかと」
「ほう、塩谷を助けられなかった上那須の奴らが塩谷攻めを唱えるか。だが儂の意見はかわらんぞ。佐竹の通路を拓くためにも益子攻めは決定事項だ。それにお前らが塩谷攻めを唱えるのは自分らの土地から離れた益子に遠征するのが嫌なだけだろうが!」
「そ、そんなことは……」
「美作守はどちらを攻めるべきだと思うか?」
「御屋形様のおっしゃるとおり、益子かと」
儂に振られた美作守は涼しい顔のままそう答える。重臣の美作守の賛成を得たことでこの中で外様の上那須の連中は不利に陥った。
「くっくっく、御屋形様も人が悪い。遠征を嫌がる者の意見など聞いても時間の無駄でしかありません」
「なっっ!?」
上那須の連中を嘲笑したのは美作守の嫡男である弥五郎だ。大和守は顔を真っ赤にするが怒りのあまり声すら出ない。
「なんだ、図星か?そうでなければ益子攻めに反対する理由はあるまい。もしそれでも塩谷攻めを推すのであれば、そういう理由と捉えるぞ」
そこまで言うと、大和守も何も言わずに静かに席に戻る。それを賛成と捉えると儂は家臣らに準備が整い次第、益子を攻めることを宣言する。上那須の連中は複雑な表情をしていたが下那須の者たちの表情は輝いていた。
やがて宴が開き、家臣らが酒や食事を楽しんでいる様子を上座から眺めていると末席で静かに食事をしている少年の姿が目に止まった。近くの小姓に彼の名を尋ねて返ってきた名前を聞いて儂の口角が上がる。ゆっくり立ち上がると家臣らの視線を気にすることなくその少年の前まで歩みを進める。
「こうやって会うのは初めてか。森田次郎よ」
少年の名前は森田次郎資胤。そう、儂の異母弟だ。元服したばかりでまだ少年の顔だちをした次郎は恐る恐る視線を上げる。
「お初にお目にかかります。那須政資が次男、森田次郎資胤と申します。え、っと兄上と及びしてもよろしいでしょうか?」
「兄上?ああ、そうか母が違うとはいえ儂はお前の兄だったな。許す……とでも言うと思ったかっ!」
持っていた扇子で次郎の頬を強くひっぱたく。次郎は受け身もとれずにそのまま膳の中に倒れる。周囲が騒めく中、儂は次郎を足蹴にしながら怒声を飛ばす。
「勝手に森田の名を継いだ愚か者が何を言うかと思いきや兄と呼ばせてほしいだと?お前のような者が弟など片腹痛いわ!」
小姓が止めに入るが、それを振り払って倒れている次郎に顔を近づかせる。
「そういえばお前の母はたしか大俵の者だったな。父が何を好んで大俵の女を抱いたか知らんが、なるほどたしかにお前も血を引いているようだ。愚か者の大俵の血をな!」
「御屋形様、どうかそこまでに。せっかくの宴ですので」
ようやく美作守が高笑いする儂を宥めに入ったが、その声には震えとたしかな愉悦が含まれていた。
「それもそうだな。変な奴のせいで興が冷めるのもつまらんからな。とはいえ、儂は疲れた。部屋に戻るぞ」
酒などで服が汚れた次郎を放置して儂は小姓を従わせて部屋に戻る。次郎が何かを呟いていたことに気づかずに。
部屋に戻るとすっかり酔いは覚めてしまっていた。そのせいで上那須の連中の態度に苛立ちが収まらない。やはり上那須の奴らは油断してるとすぐにつけ上がる。真の意味で那須に従わせるには力ずくで押させるべきだな。
「小山め、せいぜい今を謳歌しているがいい。最後に勝つのはこの儂だ」
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