正統なる坂東の支配者 古河公方足利晴氏
下総国 古河城 足利晴氏
義明叔父上を討伐し、房総半島を統一してから儂はずっと内政に専念していた。支配する国が増えたことで荘園の管理や再編、国人たちの家督争いの仲介、腹心たちを古河足利家の要地へ派遣するなどやることが多かったからだ。儂に忠誠を誓っている主な有力者は下野の小山、下総の結城、上総の千葉一族だ。安房の里見は叔父上の死後、忠誠を申し出たがあの義尭という男、どうも腹に一物あるように思えてならない。今のところ大人しくしているようだが、まだ全面的な信用は置けない。
叔父上の遺児たちは未だに見つかっていない。嫡男義純の戦死は確認できているが、残っている男女の行方は掴めなかった。各国人らに呼びかけたが、それでも見つからないとなるとどこかで野垂れ死んだか、或いは何者かが房総半島から脱出させたか。仮に脱出させたとすると怪しいのは叔父上に属していた里見か、あのとき動かなかった北条だ。とはいえ証拠はない。まあ、今更叔父上の子が何かするわけでもなかろう。もしどこかで生き残っていても儂の敵ではない。
儂が警戒するべきなのはいるかいないかわからない叔父上の遺児ではない。あの成長著しい北条だ。数年前から北条に娘を嫁にとってほしいと色々言われていた。房総半島を得て北条との力の差を埋めた儂は利用させてたまるかと断り続けていたが、北条の当主、左京大夫氏綱はかなりの傑物だった。
あ奴は儂が手強いと悟ると、あろうことか儂の家臣に手を伸ばしてきた。はじめは影響力が小さい直臣、次に奉公衆、そしてついに重臣である簗田高助すら北条の味方に取り込んだのだ。しかも高助は自身の娘を儂に嫁がせており、その娘の子は嫡男の幸千代王丸だ。まさかその高助が北条に取り込まれるとは思っておらず、気づいたときには内外から北条から嫁をとるように圧力を受けていた。
さすがに内から崩されては儂もどうしようもなく、最終的に北条との縁談を承諾することになった。北条からくる娘、小春は儂より十三も歳が下だった。大永元年に生まれたようだから小四郎のひとつ下になるが、それでも十九だから適齢ではあるか。
北条は成り上がり者だが坂東では屈指の実力者だ。その娘がどう振る舞うかによって彼女の待遇は考えなければならない。公方は正室をとらず、妻は全員妾という立場だ。だがその中でも実家の身分によって上下関係ができている部分は否定できない。現状幸千代王丸を産んだ高助の娘が妾の中で優位な立ち位置にはいる。それは男子を産んだということや他の妾と比べて実家の力が強いという理由もある。だが北条は簗田とは比べものにならない。もし小春という女が北条という実家の力を背景に他の妾に高圧的な振る舞いをすれば最低限の付き合いになるだろう。
北条と事を構える気は今のところないが、性悪女の機嫌を窺ってまで北条に配慮するほど古河は弱くない。もし我慢の限界を迎えたならば北条との関係が悪化しても離縁か別居を選ぶだろうな。
そんな未来の妾のことを考えて憂鬱になりかけた頃、面白い話が下野からやってきた。それは久々の小四郎からの手紙に記されていた。公方になる前から弟のように可愛がっていた小四郎だが叔父上を討ってからは少々距離が離れていた。新年の挨拶や下野守護の件で顔を合わせたり、手紙のやりとりなどはあったが昔ほど親しく接する機会は少なくなっていた。そんな中で珍しく小四郎の方から官位などの話抜きで手紙がきたことで儂の気分は高揚する。
「どれどれ。……ほう、面白いことになっているではないか」
「公方様、それには何が書かれていたのですか?」
家臣を代表して簗田高助が上機嫌な儂に声をかける。北条との一件以降、若干関係がぎこちなくなっていたが、気分が良かった儂は笑みを浮かべながら内容を明かす。
「おうよ、小四郎が宇都宮家を滅ぼしたそうだぞ。これで下野に残るのは那須と足利長尾だけになりそうだ。ははは、あの小四郎が宇都宮を滅ぼすまでになるとはなあ。下野を統一するのも時間の問題だな」
小山家が宇都宮家を滅ぼしたことは家臣らにとって衝撃だったようで一気に周囲が騒めきだす。しかし何を驚くことがあるのだろうか。小四郎は数年前に宇都宮家当主を討っていたではないか。
「なんとあの下野の名門が滅びるとは……」
「いくら下野守護とはいえ名族を滅ぼすなど許されることだろうか」
「何か勘違いしてないか?小四郎は宇都宮家そのものは残しているぞ。たしかに今の当主は死んだが、成綱の孫に宇都宮姓を名乗らせたようだ。庶子の系統だが武茂の娘を嫁がせて生まれた男子を正統な宇都宮の跡取りにするらしい」
儂の言葉を聞くと一部の者たちは安堵したように深く息をついた。どうやら下野の名族が完全に滅んでしまったと勘違いしたらしい。宇都宮家は坂東では知らない者がいないほどの名族であることには間違いないし、過去に古河を支えてくれた一族であるため、古河内部で宇都宮を慕う者は少なくない。
「宇都宮を思うことは間違いではないが、素直に小四郎の功績を喜ばないか。小四郎は儂と義兄弟の契りを結んだ唯一の男だ。小四郎の活躍は古河にとって喜ばしいものぞ」
「さ、左様でござ」
「恐れながら公方様。それは違いますぞ」
儂に賛同しようとした八郎を遮って高助が一歩前に出てきた。
「何が違うというのだ?」
「小山家の勢力拡大は必ずしも古河に益を与えるわけではございません」
儂と高助の間で空気がひりつく。近臣たちは儂らを止めることができずにおろおろとしているだけだ。
「今の小山家は公方様に忠実ですが、何かしらの拍子で関係に変化が生じれば小山家は公方様にとって大きな脅威となり得るのです」
「儂は小四郎を粗雑に扱うつもりはないぞ」
「公方様になくとも、小山家の方が振る舞いを変えてくるかもしれませぬぞ」
「小四郎がか?」
高助は強く頷く。
「左様、力は簡単に人を変えます。小山家が翻意することもあり得るのです。もしそんな小山家が下野を統一したならば次はどの国を狙うでしょう。海を求めるなら常陸を攻めるかもしれませんし、最悪の場合、古河にもその矛先が向くことも考えなければなりません。そのように力をつけてしまえば小山家を古河で御すことが難しくなってきます。万が一のことが起きれば手遅れなのです。今後のことを考えて、今こそ楔を打ち込むべきかと」
高助の主張に一定に支持が集まる。古河周辺に領地を持っている者がほとんどだ。彼らは古河の隣に大勢力ができるのを恐れているのだ。彼らの気持ちを理解できないことはない。だが小山家は儂や古河公方家にとって恩義がある家だ。もしかしたら起こるかもしれないし起こらないかもしれない未来のために現段階で非のない小山家に楔を打ち込む気持ちにはなれなかった。
たしかに父高基のときの宇都宮家のように古河への影響力が強くなりすぎることにも懸念があった。父から聞いた話だが、あのとき宇都宮家の支援がなければ自分が公方になれなかったので、ある程度宇都宮家の意向に従ったこともあるという。
なるほど、高助の懸念も理解できる。高助は古河が小山の傀儡にされることを恐れているのだ。儂だって傀儡になるのは御免被る。だがそれを言うならば真っ先に警戒すべきなのは北条ではないのか?
多分だが高助は儂が小四郎を可愛がっていることを快く思っていない。高助ら幕臣にとって小山家は外様に過ぎないからだ。北条が他国の逆徒にもかかわらず不思議なことよ。しかしながら小山家は時代によって離反する時期があったとはいえ、初代成氏公以来公方家に従ってきた一族でもある。特に小山家の先代と小四郎は儂が公方になる前から支援してくれた数少ない味方だった。
儂としては今の小山家との関係が続いてほしいとは思っているのだが、家中の者たちにはそれを望まない勢力がいるらしい。これは内政に専念しすぎて家中の変化に気づかなかった儂の落ち度だな。北条の差し金か、高助らの意思かわからんが、古河と小山の関係悪化だけは避けなければならんぞ。儂が最も信頼している味方は小四郎なのだから。
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