戦国大名宇都宮家の終焉
白河義綱を白河直広に変更しました。
一五四〇年 下野国 祇園城 小山晴長
年を跨いで飛山城で捕縛された飛山宇都宮元綱の処刑が決まる。最後は家臣から見放されたとはいえ元綱は宇都宮家の当主。宇都宮旧臣の心情を加味して元綱は祇園城内で斬首。引き回しや晒し首は避けることにした。
彼の最期は意外と静かなものだったと言っておこう。護送されてきた頃は目の前で宇都宮の家督が落合政親改め宇都宮親綱に渡ったことで錯乱したが、処刑当日にはすっかり落ち着いていた。最期の言葉を尋ねたところ、彼が遺したのは歴代宇都宮家当主、そして妻だった直井の娘への詫びだった。歴代当主はまだわかる。予想外だったのは妻への謝罪の言葉だった。
元綱は妻を好んでいないどころか寧ろ嫌ってすらいたと聞いていた。事実、元綱は俊綱未亡人だった直井の娘にきつくあたっていた。彼は年上の妻を他人からのお下がりなうえに石女であるとして冷遇していたという。政略的な婚姻でもあるので離縁はしなかったが、元綱が妻を一方的に嫌っていることは家臣の間でも知られていた。
そんな元綱が最期とはいえ妻への謝罪を口にするとは驚いた。なにか心情の変化があったのだろうか。その場には直井の娘はいなかったので後日誰かが遺言として伝えることだろう。
白装束の元綱は少しやつれてはいたが、どこか穏やかそうに見えた。庶子として生まれ、父忠綱の敗死によって家臣の手で育てられた元綱は俊綱が死ぬまで宇都宮家の人間として扱われてこなかったという。滅亡寸前になって当主として担がれたが、そのときようやく宇都宮の人間として認められたと思ったかもしれない。
結局、元綱にとって斜陽の宇都宮家の再建は荷が重かった。心身ともに疲弊し、最後には忠臣を遠ざけて奸臣を用い、酒に逃げてしまったが、それでも最初はどうにかして宇都宮を立て直そうという意志は見えた。
今の元綱は肩の荷が下りた状態なのだろう。最期はわずかに笑みを浮かべながら首が刎ねられる。コロコロと転がった元綱の首は虚空を見つめており、その瞳からは光が失われていた。
元綱の首と胴体はその日のうちに祇園城を発ち、翌日には益子にある宇都宮家の菩提寺尾羽寺に手厚く葬られた。
元綱の処刑を見届けたあと、高照の処分を直訴してきた高規が上機嫌そうに戻ってくる。皆の前では平静を装っていたが、わずかな口角の傾きを見て高照が殺されたことを察する。そういえば高規は高照が飛山で奸臣として政を乱していると聞いたときに頭を抱えていたな。
飛山宇都宮元綱の死によって戦国大名としての宇都宮家は滅亡し、飛山宇都宮家に従っていた国人たちも小山家の傘下に加わることになる。
元綱がかつて居城とし、今後は東の要として期待される飛山城には多功城の長秀叔父上に入ってもらうことにした。飛山領は南北に伸びており、那須領に接する箇所も多い。信頼の置ける長秀叔父上に任せることに周囲から異論はなかった。
長秀叔父上が抜けた多功城は飛山宇都宮家滅亡に貢献した多功房朝に褒美として与えた。房朝は小山家に多功城を奪われていたので、ある意味マッチポンプなのだが、まさか多功城に戻れると思っていなかった房朝はしばらく呆然としていた。
「……感謝いたします。今後は小山家のためにこの身を捧げることを誓いましょう」
押し殺したような声でなんとか感謝の言葉を絞り出した房朝の姿に新たに加わった宇都宮旧臣や房朝と刃を交わした小山の家臣も涙する。一応房朝には目付役として小山の人間をつけることになるが、あまり警戒する必要はなさそうにも感じた。
その他の宇都宮旧臣の処遇なのだが、房朝と同じく小山に降った桜野城主糟谷又左衛門は所領安堵。勝山城代横田綱邑は元綱の死を見届けると出家して家督を嫡男の綱維に譲った。勝山城は小山家が管理することになるが、横田綱維やその弟たちは勝山城付きの武将として残ることになる。ただし、まだ元服前の末弟は祇園城で小姓として俺の側に仕えることが決まった。直井刑部などの武将たちも各地に配属されたり、飛山の地に代官として残ったりなど様々な道を選んだ。
元綱の妻だった直井の娘は元綱の遺言を伝えられると静かに涙を数滴溢したという。そして今後は尼として尾羽寺でふたりの夫の冥福を祈るつもりだとか。
さて宇都宮の残党を全て処理し、その勢力を支配下に置いた小山家は下野南部から中部、北西部にまで勢力を伸ばすことに成功した。同盟勢力である西部の佐野家や南東部の益子家を含めれば下野の大半を支配したといっても過言ではない。下野で小山の敵対勢力として残っているのは東部の那須家と西部の足利長尾家のみだ。
足利長尾は佐野が相手するとして、今後警戒すべきは佐竹とのつながりもある那須だ。そこで俺は那須の北に位置している陸奥国小峰城主白河直広と常陸国部垂城主部垂義元との接触を画策する。両者とも佐竹とは敵対関係であり、白河は以前佐竹によって常陸から追い出された経緯があった。また部垂も高規がもたらした情報により兄である佐竹義篤に本格的に狙われていることが判明している。もし部垂が滅べば佐竹は下野に手を出しやすくなる。すなわち小山と敵対する可能性が高いといえた。以前よりは力を落としたとはいえ、常陸源氏である佐竹の実力は侮れない。最近娘を親綱に嫁がせることになった武茂家も佐竹領に近いので佐竹の下野進出は回避したいところだ。
ある程度戦後処理が済んで俺は宇都宮家を完全に支配下に置いたことを義兄である結城政勝や古河公方の足利晴氏に報告した。宇都宮家は下野屈指の名族で小山家と同じく下野守護かつ関東八屋形の一家でもあったからだ。
晴氏からは関東八屋形である宇都宮家を滅ぼしたことには言及されず、今後も忠誠を貫くことを求められた。つまり黙認ということだろうか。
結城家からはお祝いの使者が土産とともに祇園城を訪ねてきた。義兄上からの書状には小山家の発展を喜ぶ言葉が並んでいたが、後半には結城家と因縁がある小田家との戦いへの支援を求める文面もあった。また常陸の佐竹と小田に対抗するために南常陸の江戸、真壁、鹿島、大掾といった有力国人と協力することを提案された。たしかに常陸の中では佐竹と小田の力は抜けている。利害関係が難しいとはいえ、佐竹と小田の勢力拡大を喜ばない小山と結城にとって南常陸の国人と共闘戦線を組むことができれば大きな利益になると言えた。俺は南常陸の国人とも接触を図ることを決断する。
「あと少しなんだがな……」
これにて宇都宮残党編は完結となります。後日、登場人物紹介を載せます。
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