宇都宮の名跡と芳賀の因縁
下野国 祇園城 芳賀高規
飛山城の落城が伝わると祇園城ではすぐに宇都宮家の名跡をどうするのかという評議が開かれた。芳賀家の元主君でもあった宇都宮家は藤原宗円以来約四五〇年続く下野屈指の名家であり、下野の国人たちの心の拠り所でもあった。
「先に言っておくが、俺は宇都宮家の断絶を望んでいない。たしかに宇都宮家は長年小山家の宿敵であったが、同時に下野を統治するうえで必要な家であることも認識している。しかしながら飛山宇都宮の当主である弥三郎に関しては助命するつもりはない。あれは下手に生かしていても他の勢力に利用されるだけだ」
御屋形様は冷酷に弥三郎殿の死が確定していることを明かすが動揺している者はいない。御屋形様のおっしゃるとおり、弥三郎殿は臣下に加えるには器量が不足し、僧籍や追放で生かしても誰かに利用されるのが目に見えている。最後は酒に溺れて人心も離れていたと聞くし、小山家にとって利用価値はないに等しい。宇都宮家の人間として認知されず、家臣の手で育てられたことは気の毒だが、一度神輿になったのだからその責任は果たしてもらうべきだろう。
「幸い弥三郎には子がいない。政略上の理由で前当主未亡人を娶ったらしいが、直井刑部によれば弥三郎は年上の妻を好ましく思っていなかったようだ。弥三郎の系統に宇都宮家を継がせるつもりはなかったからある意味好都合ともいえる」
「しかしそうなると宇都宮の血を引いている者は限られてきますな。主なところですと塩谷孫四郎殿、塩谷弥七郎殿、落合隼人正殿あたりでございますか?」
重臣のひとり青木因幡守殿が色々と列挙していくと周囲では呻き声がいくつか漏れる。どれも他家を継いでいて直系とは言い難い。
そこに御屋形様が口をはさむ。
「いや兄が宇都宮を名乗った末路を知っている孫四郎と弥七郎はないだろう。隼人正は成綱公の孫だが父が庶子だからな。そこで俺は武茂城の武茂家に声をかけるつもりだ」
「ほう、武茂ですか」
様子を見る限り、驚き半分納得半分といったところだろうか。たしかに武茂なら一理あると言えた。
武茂家は宇都宮家の一門で一度断絶していたが、後に宇都宮家の当主にもなった正綱公の代に復活し、次代を成綱公の同母兄である右兵衛尉兼綱殿が継いでいた。その右兵衛尉殿は成綱公と争い敗れたのでその後は存在感をなくしていた。
今では右兵衛殿の嫡男守綱殿が当主を務めているが、下野東部の武茂城近辺を治める程度で領土は那須と佐竹に挟まれている状況だ。なんとか独立しているが那須と佐竹の緩衝地帯という理由でどうにかなっているだけでここしばらく苦境に陥っている。
勢力は弱小なれど、血統だけ見ればあの成綱公の同母兄の系統ということもあって申し分はない。本来ならば宇都宮家当主になれるはずだった家系ともいえるからだ。塩谷以外で宇都宮家の名跡を継げる立場の者が少ない今の状態ならば武茂家から人を呼ぶのはありだろう。
しかし一部の家臣は武茂の人間に宇都宮家を継がせることにあまり積極的ではなかった。
「武茂ですか……某は庶子の系統ではありますが落合殿に継いでいただくべきかと」
「たしかに落合殿は人望もある。しかし成綱公の孫とはいえ、庶子の血統で継がせるべきかどうか」
「武茂家ならば今の当主もその子も正妻から産まれておりますぞ。格で言えば武茂家の方が上かと」
評議は徐々に白熱する。塩谷家の人間が候補から外れたことで残された落合殿か武茂家の人間かの二択まで絞られた。
「御屋形様はどうお考えなのでしょうか?」
このままでは埒が明かないと思い、若年ながら声を張り上げて御屋形様に問うと、皆が静まり御屋形様に注目する。
「ふむ、俺は武茂家から年頃の男児を小山に呼んで宇都宮家を継がせようと考えていたのだが……」
「失礼ながら、申し上げます」
珍しく御屋形様の歯切れが悪いところに三郎太殿が御屋形様に上申する。
「たしかに家格を考えれば武茂家から人を呼んで継がせるのは道理でしょう。しかしながら宇都宮家の存在は我々が考えている以上に下野の侍の中に強く根付いております。果たして一国人に過ぎない武茂家の人間が宇都宮旧臣を納得させることができる器量を持っているでしょうか?もし宇都宮の名跡に不適格な人物を継がせたとなると今後の統治に問題が生じるかもしれません」
「なるほどな。俺は血統の面を中心に考えていたが、それだけに拘って下手な人物を選べば旧臣らに小山が宇都宮の名を蔑ろにしたと思われるのだな」
しばらく何か考え込んだ御屋形様だったが、やがて顔を上げるとこう告げる。
「そうだな、武茂家から男子をとることは中止しよう。その代わりに武茂家には年頃の女子を見繕ってもらい独身の落合隼人正に嫁がせることにする。そしてふたりの間に生まれた男子に宇都宮家の名跡を継がせる」
「おお、それは良いお考えですな」
「たしかに武茂家の血を引いていれば血統の面でも申し分もない」
家臣からの同意を得られた御屋形様は続ける。
「だがその男子が生まれるまで宇都宮家の当主の座を空けるのは忍びないことだ。そこで隼人正にはその男子のつなぎとして宇都宮姓を名乗ってもらうことにしよう。それでよろしいか?」
「「「「「ははっっっ」」」」」
数日後、弥三郎殿と兄上が祇園城に護送されてくる。その際、ふたりを護送した隼人正殿に御屋形様自ら宇都宮姓を名乗るように命じると隼人正殿は恐縮しながらも承諾する。近くで拘束されていた弥三郎殿は怒りのあまり発狂していたが。このときから落合殿は名を宇都宮隼人正親綱と改めた。父業親の親という字を残すことを御屋形様が許可したからだ。
そして儂は数人の家臣と共に祇園城の牢を訪れる。見張りの兵を従わせて竹柵の向こうで捕まっている兄上に声をかける。
「久しぶりですね、兄上。最後に会ったのはもう何年も前になりますかな」
「……お前、次郎か?」
兄上が不機嫌そうに振り返るが、目の前にいるのが成長した弟であると認識すると目を丸くする。
だが久々の兄弟談義ができると思った儂の期待はすぐに裏切られた。
「おい、次郎!丁度いい、さっさと儂をここから出してまともな飯を食わせろ。そして真岡に連れていけ」
「……兄上、自分の立場をおわかりですか?それに今の儂は小山の家臣。御屋形様の命令なしで兄上を出すことはありません」
「そんなの関係あるか。弟は大人しく兄に従うべきだろう。そうだ、お前は儂の許可なしに芳賀の家督を奪ったな。本来ならば死罪に等しいが、今の儂は寛大だ。今すぐ儂に家督を返せば特別に許してやろう」
あまりの物言いに唖然とする。昔から父の悪い部分だけ抜き出したような兄だったが、記憶の中のときより悪化している。自分がどのような立場なのかわかっていない。いや、それ以前に弟ならば問答無用で兄に従うべきと本気で思っている。そういえば弟の儂に対して昔から横暴だった。飛山の奸臣だったと聞くが、弥三郎殿はなんでこのような人を信用したのだろうか。
このままでは話にならない。儂は刀を抜いた家臣のひとりを柵の向こうにやり、兄上の隣に立たせる。すると明らかに兄上は動揺しはじめた。
「兄上、なぜ儂がここに来たのかおわかりですか?実は御屋形様に直訴して兄上の処分を一任させていただいたのです。つまり、兄上の命は儂が握っているのですよ」
そこまで説明すると、ようやく兄上も理解できたのか顔を真っ青にしながら必死に命乞いをしてくる。
「ま、待て!早まるな。儂がッ悪かった。は、話をしよう……」
「そうですね、儂も兄上と話したいと思っていました。たしか父が殺されたとき、兄上は那須家に逃げていましたよね。那須には芳賀の縁者がいるので逃亡先にはぴったりなのは理解できましたが、その那須家に逃げた兄上はなぜ飛山に仕官したのですか?どうやら話を聞く限り、牢人だったようですが。那須家の情報と一緒に話してくれるなら命は助かるかもしれませんね」
命が助かると思った兄上はペラペラと自身の苦労話を口にしはじめる。とは言ってもそれは主観的な苦労話で一般的には自業自得としか思えない内容だった。
那須に逃げた兄上は縁者を頼って那須家の世話になっていたらしい。しかし元守護代の芳賀家の当主としての自尊心が強い兄上は居候の身ながら尊大な口調で色々と那須家の人間に無理を言ったらしい。当初は那須家の人間も当主の正妻の一族ということで穏便に済ませていたが、那須の重臣である千本家の人間と諍いを起こしたことがきっかけでついに那須家を追い出されてしまったという。そして牢人になったあと、飛山に拾ってもらったとのこと。
「そうですか。ですがあまり有益なものありませんね。兄上がいたときのことでも構いませんので那須家の情報を話してもらいたいです」
「そ、それは……」
「命が助かるかもしれませんよ」
「は、話す!話すから、命だけは助けてくれ!」
兄上がもたらした情報の中にはいくつか有益なものがあった。
ひとつは壬生の倅が那須に匿われているということ。入れ違いになったらしいが間違いなく那須家は壬生綱雄を迎えたという。たしか鹿沼城での戦いの際に綱房殿は斬首されたがその息子には逃げられていた。まさか那須まで逃げていたとは。
そしてもうひとつは佐竹の動向だ。兄上がいたとき烏山城の那須修理大夫殿は佐竹との和睦に動いていた。その中で佐竹は遠くないうちに常陸の部垂を滅ぼすつもりがあるという情報が那須に伝わったという。
部垂は佐竹家当主の弟で、昔公方様との戦で引き分けに持ち込んだあとに和睦の条件で佐竹からの独立を勝ち取っていたはずだ。その後は佐竹の方針もあり、小競り合いはあっても全面抗争には発展していなかったが、佐竹が滅ぼす方向に動いているとは。これらは御屋形様に報告だな。
「知ってることはすべて話したぞ!約束どおり、解放してくれ!」
「そうですね、約束は守りますよ──やれ」
儂の合図で家臣の刀が兄上に振り下ろされる。
牢に血しぶきが舞った。
「な、なんでぇ……」
血だまりの中、兄上はか細い声で小さくつぶやく。
「ああ、まだ生きてたのですね。約束ですか?たしかに命を助けるかもとは言いましたが、助けるとは断言してなかったでしょう」
それに、と儂は続ける。
「兄上のこと、大嫌いなので」
ニッコリと満面の笑みを浮かべながら。
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