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飛山の変

 下野国 祇園城 小山晴長


 天文八年(一五三九年)の師走、清原家との縁談が纏まって比較的落ち着いたところに宇都宮城の政景叔父上から驚きの情報がもたらされた。


 飛山宇都宮家の重臣である多功房朝らが寝返りを申し出たのだ。多功房朝といえば宇都宮家に忠義を尽くし散々小山家を苦しめてきた多功長朝の嫡男で、自身も宿老筆頭として飛山宇都宮家を支えてきた忠臣だったはずだ。一体何が起きたのだろうか。


 原因は秋に飛山宇都宮弥三郎元綱がおこなった小山領侵攻にあったという。大雨や蝗害の影響で飢饉に陥った飛山宇都宮家は食糧を求めて小山領に攻めてきたが、その動きを察知した政景叔父上らによって返り討ちに遭った。その結果、飛山宇都宮は少なくない家臣を喪うことになる。


 普通ならここで家臣たちを慰撫することで求心力の低下を防ぐのが定石だが、元綱は人員補充のために各地の牢人を多く雇いはじめた。人員補充自体は悪いことではないが、その人選が問題となった。


 新たに雇われた牢人の中に芳賀高規の兄高照が含まれていたのだ。この高照はかつて父高経とともに宇都宮家に反旗を翻したが敗れて那須に落ち延びていた経緯があった。逃げたことで芳賀家の家督を高規に奪われた高照は力を取り戻さんとして甘言を弄して元綱に接近した。


 古参の家臣らはかつて反乱を起こした経緯と甘言で誑かそうとする高照の姿勢を危険視して元綱に高照を重用しないように苦言を呈するが、元綱は自身に厳しく接する古参の家臣を疎ましく思い、当てつけかのように高照を重用しはじめたのだ。



「愚かな……いや、仕方ないことかもしれんな。弥三郎は今まで宇都宮家の人間として扱われてこなかった。そんな風に育てられた人間がいきなり家を率いる立場になったところで上手くいかないのが当たり前だ。問題はそれを克服する覚悟があるかどうかだったが、どうやら弥三郎にはそれがなかったようだ」


「多功殿は忠臣として名高いのですが、そのような者の声も届かないのですね」


「忠臣だとしても弥三郎から見れば小言が多い面倒な輩に過ぎないのだろうよ」



 義弟の三郎太勝定の声に俺はそう返す。


 事実、元綱はある時点から政を家臣に丸投げするようになっていた。はじめはやる気があったかもしれないが、斜陽の宇都宮家を率いるのは生半可な覚悟ではどうにもならなかった。元々宇都宮の家臣の手で育てられた元綱には苦難に立ち向かう覚悟がなかった。だから厳しいことも指摘する多功房朝らとは対照的に甘い言葉を囁く高照を重用するという判断をしてしまったのだ。


 直臣に取り立てられた高照は元綱の寵愛を得ていることを良いことに新参ながら増長し、房朝らを軽んじる発言を繰り返した。高照の行動が原因で古参と新参の対立は深刻化していたが、元綱は高照を窘めるどころか房朝らを遠ざけるようになり、ついには房朝に蟄居を命じたのだ。元綱からすれば小うるさい古参を排して自分に都合が良い高照らを用いただけという認識なのだろう。この命令は家臣の反発によってすぐに撤回されたが、この一件が古参が元綱を見限る決定打となった。


 宇都宮家への忠誠が強かった者すら忠臣である房朝を排した元綱に愛想を尽かしたのだ。房朝も最後まで宇都宮家に殉じるべきか悩んだようだが、周囲の説得によりついに小山に通じることを選んだ。


 房朝の他に小山家に通じた者の中には俊綱の死後に元綱に嫁いだ俊綱未亡人の弟である直井刑部や落合業親の子である落合隼人正政親、飛山城の支城である桜野城主糟谷(かすや)又左衛門、勝山城代横田肥後守綱邑(つなむら)とその息子たち六人といった飛山宇都宮の中枢を担った人材が多く含まれていた。


 予想以上の内通の数に驚くが、叔父上と勘助が加藤一族と共に彼らの内通に裏があるか探ったところ罠の可能性は低いという。つまり本当に飛山宇都宮の主力が小山に降ろうとしているのだ。さらに付け加えられた文面を確認すると大きく深呼吸をして天井を見上げる。



「御屋形様?」


「三郎太、これを読んでみろ」



 勝定は手渡された書状に目を通すと驚きで目を丸くする。



「これは、これは……まさかあの多功殿が飛山城を攻めるときに道案内役を買って出るとは」


「罠だと思うだろう?だが勘助によると罠の可能性が低いそうだ。加藤の者にも確認がとれているという。つまり純粋に弥三郎の人望が失われたということよ」



 あんなに苦境の宇都宮を支えてきた者たちが元綱を見捨てるとはな。余程高照の増長が酷かったのか、或いは元綱が忠臣の房朝を排したことで我慢の限界となったか。まあ、理由はどうでもいい。とにかく予想外の形で好機がやってきたのだけは事実だ。



「今年はもう動くつもりはなかったが、ここまでお膳立てされたのなら動かないわけにもいかんな。だが祇園城が動けば向こうも勘づく。飛山城攻略は叔父上と勘助に任せるとしよう」



 だがふたりにはもし飛山城の攻略に手間取ることがあるようならば即座に撤退するようにとも伝えていた。兵糧に余裕があるわけではないからだ。それに冬場の城攻めは士気の低下が早い。万が一ということもあり得た。



「そうだ、少々気は早いが城が落ちたら武茂に使いを遣るか」


「武茂……ああ、そういうことですね」


「あそこは那須に囲まれているからな。塩谷領を経由して向かわせるつもりだ」



 俺の下知を受け取った叔父上たちのそこからの動きは早かった。政景叔父上と勘助はすぐに軍勢を整えると夜闇に紛れて鬼怒川を渡河して飛山宇都宮領へ侵入する。すでに小山領との境を守る飛山宇都宮の人間は小山に降っており、小山の軍勢がやってきたことを飛山城の元綱に伝える者はいない。また房朝が自ら道案内役を買って出たことで新たに小山家に降る者が続出した。飛山城下に到着する頃には寝返った又左衛門らの軍勢も合流しており、その数は二〇〇〇以上に膨らんでいたらしい。


 飛山城の門番たちがようやく軍勢に気づいて慌てて元綱のもとに報告を入れるが、このとき元綱や高照ら近臣は年末の宴会で出来上がっており、まさか年末に襲撃に遭うわけがないと完全に油断していた。それは城兵も同じだったようでほとんどが酒に酔っていたり、眠りこけていたりしていた。


 半分眠っていた元綱は鬨の声とともにようやく自身の危機に気づいたが最早手遅れ。城に詰めていた兵は三〇〇足らずでその半分以上が戦闘の準備が整っていなかった。城内にいた直井刑部らの手引きもあり、ほぼ無抵抗で飛山城に侵入した叔父上たちは城内を蹂躙し四半刻足らずで飛山城を落とすことに成功した。こちらの戦傷者は両手で数えられる程度しかいないという完勝ぶりだった。


 突然の襲撃に混乱した元綱と高照は寝巻姿のまま城の抜け道を使って脱出を試みようとしたらしいが、事前に抜け道の先で待ち構えていた房朝の兵に捕まったようだ。この後、祇園城に護送される予定だ。


 こうして宇都宮家遺臣によって擁立された飛山宇都宮家は元綱の一代限り、それもほぼ自滅に近い形で終焉を迎えることとなる。


 そして飛山宇都宮家の終焉によって数年続いていた宇都宮家残党の掃討が完了したことを意味した。戦国大名宇都宮家はこの日、終わりを告げたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新ありがとうございます。 久しぶりの感想投稿になります。 宇都宮家は平安時代から続く名門ですから血脈が途絶えるか心配してましたが、落合政親が小山の家臣になるなら宇都宮姓を名乗らせれば血…
[一言] 更新ありがとうございます。 とうとう宇都宮の残党が滅んだか。 後は元綱と高照の処罰をどうするかだが……
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