必要不可欠となる資源
下野国 祇園城 小山晴長
榛名山の開発を任せていた小山弦九郎から鉱山開発の進展があったと報告があった。榛名山から大量の金だけでなく、銅や鉄、そして紫色の水晶も見つかったという。紫色の水晶というとおそらくアメジストだろう。榛名山から金以外の様々な鉱石を発見できたのは僥倖と言えた。
だが鉛の存在は確認されていない。それは由々しき事態でもある。今後においても鉛は極めて重要だ。これまではそこまで需要が高いとは言えなかった鉛だが、遠くないうちに国内だけでは需要が追いつかなくなるからだ。その要因は主にふたつある。
まずは数年前に明から日本に伝わった金銀を抽出する灰吹き法。この灰吹き法で純度が高い金銀を抽出するには鉛が必要になるという。灰吹き法に関しては本来ならまだ下野まで伝来していないが、史実で灰吹き法が石見銀山で導入されていることを俺は知っている。
そしてもうひとつは火縄銃の弾に使うからだ。まだ火縄銃は手元にない段階だが、今後のことを考えると必然的に火縄銃の需要は高まる。実際史実でも火縄銃の普及により鉛の需要は高まり、海外から輸入も増えてきた。主な鉛の輸入先は明や朝鮮だが、タイ産の鉛もあったという。タイ産の鉛はおそらく南蛮貿易の際に開かれた航路からきたものだろう。しかし現在、明との貿易は大内が独占しており、ポルトガル人を乗せた船もまだ日本に漂着していないことから南アジアの航路は開拓されていない。倭寇という手もあるが、鉛の輸入は極めて難しいと言ってよい。
灰吹き法も弾丸も鉛がないため導入できていないが、どちらも今後絶対に必要となるので早めに導入したいところだ。そこで俺は下野屋を呼び出し、鉛の購入が可能かどうか聞き出す。
「鉛でございますか。某が知るところですと、対馬や飛騨の神岡、摂津の多田あたりが有名ですな」
「対馬、摂津、飛騨……やはり東国では鉛は採れんか。下野屋、それらから鉛を買うことはできる可能か?」
「直接のつながりはありませぬが、多田ならどうにか。今、多田を治めている塩川殿は摂津での立場が苦しいようで資金を欲しているとの噂。堺には摂津に明るい者もおります。それなりに金額が出せれば向こうも喜んで鉛を売ることでしょう」
曰く、多田を治めているのは一庫城主塩川伯耆守国満で国満の父政年の妻は現在の都の支配者である細川晴元との争いに敗れた細川高国の妹だという。そのため塩川は高国の残党とされ、晴元派から狙われているようだ。晴元らは小山産の焼酎の取引相手でもある。
しかし鉛はほしい。それに小山家は晴元らと直接交流があるわけではない。関東で鉛を得る手段が限られている今、背に腹は代えられない。俺は下野屋に資金を提供する代わりに塩川から鉛を購入するよう命じた。流石に対馬は下野屋でも無理だという。
一方で神岡に関しては下野屋より小山家とのつながりがある清原家に頼んだ方が良いことがわかった。神岡を支配しているのは飛騨の国人である江馬左京進時経で彼の娘は南飛騨に勢力を置く三木大和守直頼の息子良頼の妻だった。そしてこの三木家は飛騨国司で公家の姉小路家と結んでいた。
現在姉小路家は小島・古川・向の三家に分裂しており、それぞれが飛騨国司を名乗っていたが直頼と結んでいたのは宗家で本来の飛騨国司である小島姉小路時秀・時親親子。一時衰退していたが直頼と結んだことで姉小路家の中で復活を果たした。時秀こそ官位は低いが、時親は正五位下に相当する左少将に任じられており、衰退していたとはいえ朝廷での地位はそれなりに高い。しかし直頼に頼り切りの状態で金銭には困窮している状態らしい。直頼も飛騨の有力国人に過ぎない。公家屈指の財力を誇り、最近少納言から宮内卿に昇叙した業賢には及ばないようだ。そういえば業賢の子供で俺と同い年の頼賢は時親と同格の正五位下と聞いた。頼賢とは直接の面識はないが順調に出世街道を進んでいるという。
姉小路家と三木家を経由して江馬時経につなぐのは時間がかかりそうだが、飛騨に縁のない下野屋に通商を結ばせるよりは可能性が高そうだ。そう考えると今後のことを見据えて清原家とのつながりは強めていきたいところ。かつて向こうから縁談の打診があったがそのときは互いに年齢のことがあって成立しなかった。
周囲に相談する必要があるが、清原家とのつながりを大事にしたいのは家中も同じだろう。もちろん上手くいくとは限らない。しかし話し合う価値はありそうだった。
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