踏鞴戸平兵衛
下野国 踏鞴戸村 加藤五郎
治部様が平兵衛殿に塩谷家の内紛について伝えると、ようやく平兵衛殿も事情を飲み込むことができたようだ。
「なるほどなあ。だから少し前に山本のところから武器を寄越せって言われたのか。なぜか出世払いにするってほざいてきやがったから追い出してやったがな。あいつら怒ってやがったが、さすがに村を燃やすほど理性は失っていなかったな」
どうやら山本は平兵衛殿に武器を求めていたようだ。時期を考えるとおそらく山本らが塩谷家への反乱を企てていた頃だろう。治部様からの話によると、ここの村は良質な鉄製品を生産しているとのことだったので、もし提供されていていたら苦戦を強いられていたかもしれない。出世払いにしようとしたのは謀反を成功させる自信があったからか。
「そういえばその後しばらく騒がしかったが、まさかそのときに山本が滅んだのか?すまんな、山奥で鉄を打ってたから詳しく知らんのだ」
「多分平兵衛殿が言っているのは小山の兵が鳩ヶ森城を落としたときだろうな。一日で落城したのであまり周囲に被害は出なかったかと」
「じゃあ今は小山が鳩ヶ森城を支配してるのか。なあ、小山の殿様ってどんな人なんだ?」
御屋形様の人となりを尋ねられた治部様は御屋形様の功績とともにどれだけ素晴らしい主君なのか平兵衛殿に熱弁するが、肝心の平兵衛殿の反応は意外と芳しくなかった。
「んー、なんかピンとこねえなあ。いけ好かねえ山本の野郎よりはまともそうなのはわかったが、儂には政治が云々言われてもよくわからん」
「ではこっちではいかがか。御屋形様はこの踏鞴戸村の製鉄技術を買っておられる。平兵衛殿たちには小山家に鉄製品を納品していただいてもらい、対価としてこれほど用意いたそう」
治部様は本格的な商談に入っていく。治部様が示された金額に平兵衛殿も興味を示したようで目の色が変わっていく。
「ほう。ずいぶん金を積むじゃねえか。守護様は金払いが良いみたいだ」
「それだけここの技術を買っていると思っていただきたい」
「それは嬉しいねえ。だが金はもう少し少なくしてもいいぜ。買い叩かれるのは嫌いだが、ぼったくる趣味もねえからな」
少しずつ平和に商談が進むようになってきた中で治部様はとある紙を取り出して平兵衛殿に見せる。それにはどうやら何か描かれているようだ。
「平兵衛殿、こちらを見てもらいたい」
「なんだこれ?絵か?いや、違えな、図面か。だが図面にしては細かく描かれてるな。しかしここに描かれているやつは見たことがねえ」
少し覗いてみると、そこに描かれていたのは小さな不思議な形をした棒のようなものだった。
「これは儂もよくわからんのだが、御屋形様自身が描いたものだそうだ。御屋形様は簡単にしか描けなかったとおっしゃっていたが、どうやらいずれ必要になるものらしい」
「おいおい、これが簡単な図だと?儂らもこんな細かく図は描かんぞ。にしてもなんじゃこりゃ。鉄の棒かと思いきや螺旋状の切り込みみたいのが描かれてやがる。一体何に使うんだこれ」
「平兵衛殿にもわからないのか。御屋形様はこれに似たものがほしいそうだ。可能ならば平兵衛殿らに造ってほしいようなのだが、難しいか」
その言葉が琴線に触れたのか、突然平兵衛殿が立ち上がる。
「おいおいおい、誰ができねえってつったよ。儂は古来より鍛冶で生きてきた一族の長ぞ。侮ってくれちゃ困るぜ。そのよくわからん鉄の棒だろうが何だろうが造ってやろうじゃねえか」
「では取引に乗るということでよろしいか?」
「おうよ。それに小山の殿様にも興味が出てきた。そうだ、治部殿はこのまま殿様のところに戻るんだろう。だったら儂も連れていってくれよ。一度小山の殿様の顔を拝んでみたくてなあ」
平兵衛殿がそんな無茶な要望を出すと、治部様は少し表情をしかめる。流石に無理だろうと儂が声を上げようとする。だがそれに気づいた治部様が手で儂を制する。
「いいだろう。一度鳩ヶ森城に寄るが、それでもいいか?」
「構わんぞ。それに一度鳩ヶ森城にも顔を出さんといかんしなあ」
独断で鍛冶師を連れてくるだけでなく、御屋形様に会わせる約束をして大丈夫なのだろうか。儂の不安そうな視線に気づいたのか治部様は小声で儂に囁く。
「心配するな。御屋形様はこういったことも織り込み済みだ。儂にも事前に鍛冶師と会うつもりがあると明かしておられた」
そう言われたら儂は引き下がることしかできない。しかしいくら御屋形様が寛容な方とはいえ、この平兵衛殿と会わせるのはちょっと怖いぞ。御屋形様よりその周囲が。
儂らはこの村で一泊したあと、平兵衛殿を連れて一度鳩ヶ森城へ戻る。鳩ヶ森城ではひとり増えたことに城代の能登守様は驚いていたようだが、平兵衛殿があの踏鞴戸村の長だと知ると納得したようで、平兵衛殿と顔を合わせると今まで放置してしまったことを詫びたのだ。これには儂らや平兵衛殿も驚き、固まってしまう。能登守様は踏鞴戸村のことを自身で解決できずに御屋形様に投げてしまったことや平兵衛殿らを放置してしまったことを本気で気に病んでいたらしく、心配していた他の家臣たちもどこか安堵した表情を浮かべていた。この能登守様の実直さが御屋形様に信頼されたのだろうな。
平兵衛殿も能登守様の態度に面食らい、能登守様の前では殊勝な態度のままだった。
「まさか城代様にあんな態度をとられるとは思わなかったぜ。こっちも変な態度になっちまった」
「儂らの前では普通に振る舞って構わんが、御屋形様の前でもさっきのような態度で頼むぞ。五郎、早馬の手配を頼む」
「かしこまりました」
儂は鳩ヶ森城から祇園城までの早馬の手配を済ませると、同時に鳩ヶ森城に滞在している加藤一族の同士に踏鞴戸村での情報を伝える。情報を渡した同士は早馬と同時に鳩ヶ森城を出発する。早馬にもしものときがあったときのための備えだ。この役目は御屋形様と加藤一族の者にしか伝えられていない。使者である治部様も知らないことだ。
早馬が出発したあと、治部様たちも準備を終えて鳩ヶ森城を後にする。平兵衛殿が加わった道中は騒がしいものだったがそれはまた別の話。
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