たたらの里
下野国 某所 加藤五郎
「ここから先が例の村か」
今回の使者である谷田貝治部様が傘を上に傾けながら細道が続く山地に視線を向ける。
「はい、ここからは更に道が細くなりますのでお気を付けください」
「そうか、しかしこんな山の中に御屋形様が欲しがるものがあるとはな」
今回、儂が治部様とこうして村を訪れるきっかけは鳩ヶ森城代である石渡能登守様の御屋形様への上申からだった。
塩谷郡にある鳩ヶ森城は元々塩谷家の家臣山本伊勢守が支配していたが、その伊勢守が滅ぼされて今は小山家の支配下に置かれていた。御屋形様から城を任されていた能登守様が城下の確認を進めていたところ、ある村の存在に気づいたという。どうやらその村だけ伊勢守から軍役を課せられておらず、代わりに武器の提供をおこなっていたらしい。さらに能登守様が調べるとその村は昔からたたらが盛んな地域で良質な鉄器を製造しているということが判明した。その特異な村を知った能登守様はそのまま鳩ヶ森城の支配下に置くより小山家に直接伺いを立ててこの村をどう扱うべきか御屋形様に判断を委ねることを決断なされた。
能登守様から報告を受けた御屋形様は家老の方々と相談し、我々加藤一族に村の情報収集を命じなされた。その結果、御屋形様はその村のたたらの技術を大いに評価し、その村を直接小山家の傘下に置くことに決定。村に赴く使者に御料地の代官から側近に出世していた治部様を指名し、村までの案内役にこの五郎が選ばれた。
我々は準備を整えると祇園城を出立し、宇都宮城を経由して一度鳩ヶ森城に入城する。鳩ヶ森城で能登守様から最新の村の情報を仕入れてから、鳩ヶ森城から箒川に沿って南下し村を目指した。
そしてようやく村の入り口近くに辿り着く。箒川より西に進む山道を抜けると遠くに柵のような物が現われ、その奥には住居らしき建物が見えている。
「何者だ!?」
柵の向こう側から大声でこちらに問いかけてくる男の声。加藤一族自慢の視力で確認すると弓矢を構えてこちらを威嚇している者が数名いる。治部様は相手の声を聞いて一瞬表情を硬くするが、刀を抜く仕草も見せずに冷静にこちらに問いかけてくる。
「相手は何人いる?」
「見える限りだと五、六名ほど。見た目は軽装でおそらく村の見張りだと思われます」
儂の返答に頷くと、治部様はすっと息を吸うと見張りの者に負けないほどの大声を発する。
「我々は小山家から赴いた者である。是非この村の長と話がしたい!」
不思議なことに治部様の返答を聞いた見張りたちは困惑した様子で互いを見つめ合い、何かを話している。見張りの者のひとりが村の奥に去っていくのが見えた。しばらくした後、見張りから返答がくる。
「用件は知らぬが、頭はそなたたちと会うことを決めなさった。これより弥勒院に案内する!」
我々は見張りの者に案内されて村の中に入ることができた。村は三方を山に囲まれているが意外と拓けており建物の数もそれなりにある。弥勒院と呼ばれる村の高台にある寺に通されたが、村人たちの様子にどこか違和感を覚えていた。
「五郎、気づいたか?」
「はい、なぜか村人からは物珍しそうに見られているようです。まるで知らないところから人がやってきたという風に感じられます」
「ああ、その認識は間違いではないだろう。しかしなんだこの違和感は」
繋がりそうで繋がらない違和感。それに考えを集中させようとしたとき、ドスドスと床を踏み鳴らす音が聞こえてくる。やがてその音と同時にひとりの男が我々の前に現れる。
それは我々と同じ人間かと思ってしまうほど大柄だった。背丈は六尺近くあるように見えた。無精ひげを蓄え、顔に大きな切り傷らしき痕を残している。その背丈もそうだが、特筆すべきはその腕の太さだ。並の者の倍近くある腕は脂肪ではなく、純粋な筋肉によって構成されていた。だが武辺者の腕でもそこまで太くならないだろう。
「儂に用があるって話だな。待たせて悪かったなあ。さっきまで鉄を打ってたからよ。で、あんたら何者だい?」
儂は思わず男の無礼さに怒鳴りつけたくなりそうだった。だがただの案内役でたまたま同席している儂に何か言う権限はない。対して治部様は男の無礼に激昂するどころか涼しい顔で受け流している。
「某は小山家から参った谷田貝治部と申す。今回、我が主君の命によって──」
「小山だあ?聞かねえ名前だな。山本の野郎の親戚か?ちっ、また武器の融通をしにきたのか?そんなに武器が欲しけりゃそれ相応のものを用意してこい」
男は治部様の言葉を遮り、舌打ちしながらこう言い放った。これには治部様も目を丸くするしかなかった。いくら山奥の村といっても鳩ヶ森城を支配している小山家を知らないのは予想外だ。しかもこの男の言い方だとまだ山本が生きていると思っているようだ。どうやら前提条件が大きく異なっているようだ。そしてそのときあの違和感の正体に気づく。
この村はいまだに山本が小山家によって滅ぼされたことを知らないのだ。しかも今の鳩ヶ森城を支配しているのが小山家であることも知らない。
治部様もそのこと気づいた様子でいまだに名乗らない男の言葉を制すると、ゆっくりと事情を話し出す。
「どうやらこの村は最近の出来事をご存知ないようだ」
「ああん?それはどういうこった?」
「そなたの言う山本とはおそらく鳩ヶ森城の山本伊勢守殿を指しているのだろうが、その伊勢守はすでに我が小山家に滅ぼされている。そしてその山本伊勢守の主家である塩谷家は小山家の従属下にある」
「は?」
「あと、そなたは小山家を知らないと言ったな。たしかにこの村では小山の名は馴染みがないだろう。だが言っておくと、小山家は下野国小山荘祇園城を本拠としており、この鳩ヶ森城をはじめ皆川・壬生・宇都宮・塩谷等を支配している下野守護に任じられた関東八屋形の一家である。努々忘れなきよう」
色々と不満が溜まっていたのであろうか、治部様は淡々と事実を述べているが額に青筋が見える。
「下野……守護」
男はようやく事情を理解したのか、その立派な体格に似合わない青ざめた表情を浮かべると一瞬で治部様に平伏しはじめた。
「まさか下野守護様の使者とはつゆ知らず、無礼な振る舞いをしちまった。この礼儀知らずの儂の首で足りるとは思わんが、何卒村の奴らには手を出さないでくれ」
男の変貌ぶりに静かに頭にきていた治部様も拍子抜けした様子。
「わかってくれればそれでよい。それでそなたの名前を伺いたいのだが?」
「儂はこの踏鞴戸村を治めている踏鞴戸平兵衛連武だ。村の奴らからは頭とは呼ばれているが一応鍛治屋が本業だな。だから礼儀などはあまり期待しないでくれ」
立場が一変した治部様の問いに答える踏鞴戸村の領主である平兵衛と名乗る大男。
これが土豪でありながら下野一の鍛冶師である踏鞴戸平兵衛と我々の最初の出会いだった。
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