復興と新たなる影
下野国 祇園城 小山晴長
長かった雨季がようやく去り、俺は各地の城主や城代に被災した地域の復興を指示し、地域によって人手が不足していた場合は祇園城から人を派遣させた。同時に洪水後は病が発生しやすいことから瓦礫などの撤去の際は素肌をできるだけ露出させないよう注意を呼びかける。
祇園城周辺では思川の氾濫を避けられたことで被害は微少にとどまっていたが、多量の濁流を支えていた堤などに傷みが生じたので修復作業がおこなわれている。作物に関しては大雨の影響は受けたが、洪水に巻き込まれなかったのである程度の被害で抑えられていた。
「小山荘付近は無事だったが、やはり他の地域では作物の被害が大きいか」
小山領では鬼怒川と中川の氾濫による被害が集中していた。特に鬼怒川の氾濫で浸水した大久保城と城下の中川が氾濫した松ヶ嶺城は早々に廃城が決まった。大久保城は城自体が損傷しており、松ヶ嶺城は今回の洪水で泉城への移転の予定を早める格好になった。そして鬼怒川と中川付近の村落も被害を受けており、場所によっては作物が壊滅状態だという。被害を受けた村落の今年の収穫量は激減に近い数字になりそうだ。
雨の影響が完全になくなったことで多功城に避難していた富士や竹犬丸らも祇園城に帰還していた。そこそこの期間、祇園城を離れていたことで竹犬丸の状態が心配だったが叔父上の報告どおり竹犬丸は元気なままだった。今も奥の部屋ですやすやと昼寝をしている。体調面も発熱などの症状が出ることもなかったという。今のところ竹犬丸が大きな病を患っていないがもちろん油断はできない。来年史実どおりに疱瘡が流行るなら免疫力がない竹犬丸はかなり危険だ。下手すれば命を落としかねない。あの伊達政宗も幼少期に天然痘にかかったせいで片目を失明したと聞く。
「御屋形様、よろしいでしょうか?」
「ああ、段蔵か。で、どうだった?」
段蔵には周囲の偵察に向かわせていた。やはり忍の者は機動力が高い。数と質を揃えられれば良質な情報が手に入る。
段蔵によると鬼怒川沿いの土地が多い飛山宇都宮領は鬼怒川の氾濫の影響を強く受けたようで被害が深刻だという。鬼怒川沿いのいくつかの城が損傷し、その城下も無視できない被害を受けている。当主元綱は家臣に調査を命じたと噂になっていたらしいが、実態は逆でどう動けばわからない元綱に業を煮やした家臣たちが自発して調査に乗り出したのが真実だという。
元々家臣の手で育てられた元綱は当主としての経験が欠けていた。これまで独立し続けられたのは小山が壬生と塩谷を優先していたことと飛山が小山と那須の緩衝地帯であったからだ。おそらく今後は重臣の多功房朝らが主導して動くことだろう。だが今の状況では復興作業に手をつけるのは時間がかかりそうだ。
一方那須も大雨による被害に見舞われていた。当主那須高資の居城である烏山城付近を流れる那珂川も氾濫を起こし、烏山城下に少なからず被害がでていた。また上那須方面ではいくつか土砂崩れが起きており、民たちに犠牲者が出てしまっていた。
やはり両者とも被害が出ているか。となると秋は十中八九食糧を求めて動いてくるだろうな。特に飛山宇都宮は土地が川沿いな分、作物への被害が深刻だ。動かないという選択肢はないだろう。叔父上や勘助、資清を中心に備えさせるべきだな。
そして今回の大雨は下野以外にも大きな被害が出ているようだった。太日川や利根川の下流では洪水が発生したようで古河など下野国外の勢力にも被害が出ていた。北条や上杉も例外ではなく、緊張状態だった両者も戦どころではなかった。関東の大名たちは軒並み復興作業を優先することになるだろう。
季節が進んで夏を迎える。雨季を過ぎれば例年どおりの暑さと天候に戻る。復興作業も進み、少しずつ日常を取り戻そうと皆が動いている中、すでに次の異変は起きはじめていた。
それに最初に気づいたのは祇園城下の農民のひとりだった。幸いにも氾濫に巻き込まれなかった田畑の様子を見ていると、たまたま成育中の稲に小さな影があることに気づく。その正体を探ろうと稲に近づいて影を捕まえたが、それの正体に拍子抜けしてしまう。その者はそれを籠に仕舞おうとしてふと周囲の様子に目をやった。目をやってしまった。田畑にその影が複数存在していることに。
その者は急いで村に戻ると村の者たちに慌てて伝える。
イナゴがたくさん稲についている、と。
事前に小山家から蝗害を警告されていた小山の民たちはすぐに自らの田畑を確認していく。そこには大量とまでとはいわないが間違いなく例年以上より多くのイナゴの姿があった。
「なにっ、たくさんのイナゴが出ただと!?」
「はっ、村の者からの申し出がありまして。こちらも確認したところ、間違いなくイナゴでございました」
そのことを谷田貝民部から聞いた俺は危機感を強める。こっちも史実どおりに発生してくるとは。もとより覚悟していたことではあったが、実際に目の当りにすると衝撃も大きい。蝗害が起きれば作物が深刻的な打撃を受けることになる。
「急ぎ、家臣たちを集めよ!緊急招集だ」
「ははっ!」
俺は家臣を集めて蝗害が起こり始めていることを共有する。家臣たちも本当に蝗害が起きつつあることに動揺を隠せない。話し合って解決策を考えるが、蝗害は現代でも化学農薬の大量散布程度しか策がない。他の者たちは祈祷を挙げるが、それに効果は期待できない。とはいえ、根本的な対策も立てられないのもまた事実だった。
後日、小山家は領内にイナゴを多く捕獲した者には褒賞を与えるというお触れを出す。またイナゴの積極的な消費も呼びかける。
「はたしてこれがどこまで効果が出るのやら」
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