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北条と古河公方の縁談

 下野国 祇園城 小山晴長


 来年晴氏が史実と同じく北条の娘を妾に迎える。とはいえ状況は史実と大きく異なり、勢力で言えば北条は房総半島に進出しておらず、代わりに晴氏が房総半島一帯を支配していた。北条は河東に進出して駿河の今川義元と争っており、武蔵でも扇谷上杉と山内上杉との争いが続いている。そのため味方がほしい氏綱が第三勢力である晴氏と結びたいと思うのは自然なことであった。


 しかし史実では氏綱が弱体化していた古河公方からの足利義明討伐の依頼に応え、褒美として関東管領を補任されたという経緯があったが、この世界ではそういった事実はない。氏綱は房総半島進出を企てていたらしいが、晴氏が自力で義明を討ち、房総半島を支配下に置いたため、北条は房総半島に進出することはなかった。伊豆、相模、河東、南武蔵を治めるこの世界の北条は史実より勢力圏が狭く、晴氏から関東管領を補任されることもなかったため、復活した古河公方との力関係にあまり差はない。だから氏綱の嫁入り工作は難航を極めていたはずだった。


 実際、晴氏は北条から新たに嫁をとることに積極的ではなかったし、何度か断ってもいた。だが相手は傑物の氏綱。氏綱は古河の重臣簗田高助に働きかけてきたのだ。高助は晴氏の重臣でもあり、その娘は晴氏の妻だった。その高助すら味方に取り込んだ氏綱は北条に良い感情を抱いていなかった古河内部にも味方を増やして再度晴氏に嫁入りを打診したらしい。本来反対すると踏んでいた高助が北条に肩入れしたことを知った晴氏は渋々北条との縁談を承諾したという。


 晴氏には現在高助の娘との間に幸千代王丸という男児がいる。この幸千代王丸、史実の足利藤氏にあたる人物だ。噂によると今年で七つになる幸千代王丸は晴氏の唯一の子のようで、晴氏は幸千代王丸に英才教育を施しているらしい。晴氏と交流のある高僧を古河に招いて学問や芸術を学ばせているようだ。また晴氏は自身が親子関係に苦しんだことから積極的に幸千代王丸に関わっているらしく、一生懸命に課題をこなす幸千代王丸を溺愛していると聞く。


 ただ史実では晴氏と北条の娘との間に後の古河公方である義氏が生まれている。力関係が史実ほど大きくないとはいえ、晴氏が北条を軽視するとは考えづらく、史実通りに北条の娘との間に子を成す可能性は高い。そのときは史実の再現となってしまうのかと一抹の不安が頭をよぎった。


 幸い氏綱は晴氏に対して友好的な姿勢をとっている。だが問題は跡を継ぐ氏康だ。原因は明らかになっていないが、史実では氏康と晴氏は不仲になってしまい、後の河越夜戦の遠因のひとつとなった。河越夜戦では山内上杉や扇谷上杉と結んだ晴氏が大軍で北条方の河越城を包囲していたが、援軍にきた氏康の奇襲に遭って大敗を喫してしまう。この敗北により古河公方は力を失ってしまい、北条に屈服。扇谷上杉は滅亡し、山内上杉も大きく弱体化してしまい、数年後には関東を追い出される。逆に北条はこの一戦をきっかけに関東支配に大きく踏み出した。


 今の段階ではすべて杞憂に過ぎないが、史実のことが頭に残っているとどうしても最悪な事態を想定してしまう。以前いただいた手紙の内容から察すると晴氏は北条に悪感情をさほど抱いていないようだが、同時に警戒もしていた。この世界の晴氏は聡明だ。縁談の成立に持ち込んだ氏綱の手腕を警戒しないはずがなかった。晴氏は北条の実力を見くびってはいない。


 今回の縁談は晴氏が望んだものではなかったが、北条と古河公方の縁談の成立は関東に衝撃を与えるものとなった。


 特に反発しているのは北条と争っている山内上杉と扇谷上杉だ。前者に関しては当主憲政が激怒しているという噂が下野でも流れているほど。山内上杉側からすれば他国の凶徒と罵ってきた北条が公方の身内になるのだから憲政の怒りも理解はできる。ましてや北条は山内上杉と扇谷上杉の領土を侵攻している真っ最中だ。戦況こそ多方面に敵を抱える北条の情勢もあって小康状態ではあるが、領土の大半と居城を奪われた扇谷上杉にとっては厳しいことに変わりはない。


 扇谷上杉の当主朝定は家臣の居城である武蔵松山城を拠点にし、山内上杉の援軍でなんとか堪えているが実質山内上杉に従属しているに等しい立場に追いやられている。憲政と朝定からすれば今回の縁談の成立はかなりの脅威に映ったはずだ。それは上杉とは別に北条と敵対している今川や武田も同様だろう。


 今の古河公方家は房総半島の支配を優先しており、武蔵や常陸への進出はあまりしていなかったようだが、北条と結んだことで武蔵に進出することになる可能性は否定できない。晴氏が北条の勢力拡大を望んでいるとは思えないが、北条から援軍の打診があれば断るのは簡単ではないだろう。もし晴氏が武蔵に兵を出す決断をすれば我が小山家にも号令がかかるかもしれない。



「史実通りとはいえ、この世界の北条と古河の縁談がここまで影響を及ぼすとはな。河越夜戦のような事態は起きないでほしいが、下手すればそれ以上のことも起こる気がしてならない」



 俺は毘沙門天像を拝みながら史実の再現が起きないように祈った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 川越夜戦について北条の遺臣三浦浄心の書いた「北条五代記」に「四月二十日午の刻に至って合戦」とあり、この戦は夜戦でなかったらしく、「新編武蔵風土記」には「川越夜戦の年月区々の説あり、或いは天文…
[一言] まあ山内上杉と古河公坊なんてずっと敵同士だし
[良い点] 北条云々おいといても古賀公方の勢力がしっかり残ってるとなるとワリ食うのは関東管領ですよねぇ そろそろ信玄もオヤジ追放して乗り乗りになってくる頃だし 北じゃ伊達が天文の乱とかはじめる頃だし …
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