資興の策
下野国 沢村城 蘆野資興
小山の援軍が川崎城に到着した今、我々の勝率は著しく下がったと言わざるを得ない。せめて岡本らがもう少し勝利に貪欲であったならば小山の到着前に川崎城を攻めることができたかもしれないが、もはや後の祭りだ。
この圧倒的不利な状況の中で儂がひねりだした策も一発逆転を狙うものではない。軍議では皆賛同してくれたが我々の負担が大きい策だ。下手すれば壊滅の危険もある中でも勇猛な那須の武士たちは儂の策を採用してくれた。
「もし策が成ったとしても長く過酷な戦いになる。皆々、引くなら今ぞ」
「何をおっしゃいますか。このままお味方を見捨てる真似をとればそれこそ武士の名が泣きます。某は日向守殿についていきますぞ」
若い又十郎殿がいち早く声を上げると若造に負けるものかと諸将も声を張り上げる。やがてひとりの将がえいえいと鬨の声を挙げるとその熱気は足軽たちにも伝わり、城全体に響くほど声は大きくなる。士気はこれ以上なく高まった。これならば十分に戦えるだろう。
「これより川崎城下を襲撃し、小山の兵たちを引きずり出す。皆の者、臨機応変に対応せよ!」
「「「応!」」」
儂らは過半数の兵を率いて沢村城を下り、川崎城下を目指す。いわゆる城下での狼藉を働くことになるが、狙いはそれを阻止せんと出てくる小山の兵だ。出てくる兵が少数ならばそのまま交戦してしまえば良いし、もしこちらを上回る数を出してきたなら即座に撤退するだけだ。
城下まで辿り着くと住人は城か山に逃げたのかほとんど人気はなかった。それでもわずかに残っていた住民らを襲ったり、無人の家から財を漁っていると思惑どおり川崎城から小山の家紋を掲げた軍団がこちらに迫ってくる。
数はおよそ一五〇〇を少し超えたほどだろうか。事前の打ち合わせのとおり、儂らは狼藉をやめてすぐさま後退を開始する。小山も追撃してくるがこちらはそっちに目もくれず後退し続ける。やがて小山が追撃をやめると今度はこちらが反転して小山の背後を襲う。そして小山が反撃に移れば再び攻撃をやめて後退する。
小山は川崎城から離されていることに気づいてはいるようだが、下手に追撃をやめて戻ろうとすればこちらが攻撃してくることがわかっているため、こちらの思惑に乗らざるを得ない。
一度はその場でとどまってこちらを仕留めようとしていたが、挑発を繰り返しておびき寄せるなどを繰り返せば頭に血が上った雑兵らが深追いしてくるので向こうの作戦は上手くいかずにいた。
やがて小山の兵は川崎城からどんどん引き離されていつの間にか沢村城下まで辿り着いてしまっていた。さすがにまずいと判断した小山の武将らは我々を無視してでもこの場から離れようとしていた。だがその判断は少し遅かったな。
儂は合図の法螺貝を鳴らさせると城下に潜んでいた伏兵が小山を挟撃する。混乱に陥った小山は一時的に恐慌状態に陥るが、流石は下野屈指の実力者。そのまま総崩れせずに立て直すと伏兵の数が多くないことに気づき、反撃を開始する。こちらの想定以上に立て直るのが早かったことで伏兵が削られてしまったが、すぐに撤退の合図を送れば兵たちは沢村城に退いていく。
ついに沢村城内に撤退した儂らをどうするかで小山は頭を悩ませているようだった。現在の儂らは堅固な沢村城に籠城している状態で小山は城下で陣を敷いている。このまま沢村城を攻めるか、儂らを無視して川崎城に戻るか。前者を選べば必然的に小山の兵が川崎城から引き離されて沢村城に引きつけられる。後者を選べば川崎城に戻れるが追撃の危険に遭う可能性が高い。
実際もし小山が撤退しようものなら儂は小山を追撃するつもりでいた。兵数差は倍以上あるが後退する敵の背中を狙うなら数の不利は誤差でしかない。
追撃を怖がったのか小山は沢村城を包囲する方向に固めたようだった。兵を展開し、沢村城を包囲する。しかし包囲され、籠城策をとった儂らの表情には笑みが浮かんでいた。
「流石は日向守殿。策が見事に嵌りましたな」
又十郎が興奮気味に鼻息を荒くさせる。
「落ち着きなされよ。まだ敵の主力を引き離せただけじゃ。儂らの役目はこのまま籠城して敵を引きつけておくこと。ここで満足してはならぬぞ。あとは岡本殿が上手くやれるかどうかだが……」
儂の考えた策とは那須の援軍を囮にして小山の援軍を沢村城におびき寄せることだった。川崎城下へ襲撃をかけ、それに対応してきた小山を後退と追撃を繰り返して引きつける。そして小山を沢村城まで引き連れて戻るようならば伏兵を使った追撃、沢村城を攻めるなら籠城して時間稼ぎをする。
この策の本懐は手薄になった川崎城を儂の要請で動く岡本らが攻め落とすということだ。小山の主力を引き離し、油断している川崎城を攻め落とすことは難しいことではないだろう。すでに岡本らの態勢も整っているはずだ。今度こそ落としてもらわねば策は成らぬ。
「あとは儂らがすることは川崎城が落ちるまで耐え抜くことじゃ。幸い沢村城は連郭式の山城で空堀が幾重にも巡らされている堅牢な城。五〇〇の兵もいれば十分小山の攻勢にも耐えられる」
「しかし岡本殿らは川崎城を落とせるでしょうか?」
「それは天に祈るしかあるまい」
懸念材料を強いて挙げるのならば敵の陣に当主下野守らしき人物が見られなかったことだ。かの御仁はまだ十代らしいが、斥候の話では陣に若い人物は見当たらなかったそうだ。ということは恐らく下野守は川崎城にいる。もしや手薄だと思っていた川崎城には他にも優れた武将が残っているのではないか。そんな不安が頭をよぎる。いや、それでも数の利があれば岡本もしくじることはないはずだ。そう信じることにしよう。
事前の策も、籠城までの道のりも上手くいった。あとは川崎城が落ちるか、小山が根を上げるまで耐えるだけだった。しかし儂は忘れていた。あのとき岡本が動かなかったときのように儂らが天に恵まれなかったことを。
籠城自体は上手くいっていた。小山も積極的に攻めなかったこともあってか、ひとつの郭も落とされずに数日間耐えられていた。
川崎城攻めが失敗し、塩谷安房守と油井備前守、岡民部が討ち死に。山本伊勢守と岡本内匠頭が捕縛されたと聞かされるまでは。
「……天は儂らを味方しなかったか」
「日向守殿の策は間違っておりませんでした。実際に小山の主力を沢村城に引きつけることには成功しておりました」
「だが負けは負けじゃ。内容がどうであろうとも戦は結果が重要じゃよ。幸いなのはこちらの兵力をさほど失わずに済んだことくらいか」
岡本内匠頭が捕縛され、乱を鎮圧されたことで儂らが戦う意義が失われた。これ以上の抵抗は無意味とした儂は沢村城を開城する条件として那須の援軍の撤退を申し入れる。小山はそれを許諾し、儂らは沢村城を敵に明け渡して那須に帰還することになった。
この敗戦によって塩谷は小山の手に落ちるだろう。さて壱岐守様はこれからどう動くのだろうか。相変わらず修理大夫様と家督の座を巡って争うのか。
まあ、儂は今回の責をとって本格的に隠居じゃろうな。倅もいい歳だし、儂も余生をゆっくり過ごすとしようか。最期に下野国中を巡るのも悪くはないかもしれんのう。
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