那須の援軍
一五三九年 下野国 蘆野資興
肌寒い冬のある日、枯草と霜を踏む音があちらこちらから聞こえる。冬が厳しい那須と比べればやや寒さが和らいでいるように感じる。儂らは那須壱岐守政資様の命で塩谷で乱を起こした岡本内匠頭の援軍として那須方の最前線拠点である沢村城に向かっていた。
五〇〇の兵を率いながら儂はこの状況下でいかに勝利をもぎ取るか思案を重ねていた。内匠頭は序盤こそ塩谷の重臣を味方につけて優勢に立っていたが、塩谷家当主孫四郎が君島を味方にすると息を吹き返して川崎城を攻めていた内匠頭らを追い返した。さらに孫四郎が下野守護の小山に援軍を求めたことを知った内匠頭は壱岐守様に泣きつき、援軍を要請してきた。以前より内匠頭に泣きつかれていた壱岐守様は塩谷が小山の手に渡るのを良しとせず、ついに援軍の派遣を決めた。
それでも壱岐守様が出せた兵はわずかに五〇〇。小山の援軍は二〇〇〇近くだと聞く。これでは焼け石に水に等しいが、どうにかするのが総大将を任せられた儂の仕事だ。幸い移動速度は兵数が劣る我らが上回っているらしい。それに鬼怒川が増水しているようで小山の援軍の到着が遅れているという。これは好機でもあった。
「日向守殿、日向守殿はかの高名な太田道灌殿に兵法を学んだとお聞きしましたが、それは真なのでしょうか?」
そう儂に話しかけてきたのは体調不良の父に代わって今回援軍として出陣することになった伊王野又十郎資宗殿だ。今回が初陣らしい。倅より若い青年は目を輝かせて儂の言葉を待った。どうやらこんな隠居同然の老い耄れに興味があるらしい。
「ああ、真だとも。だが儂が道灌殿に教えを受けたのは少年時代の数年程度じゃがな。それでもあのときの教えは今の儂の血肉となっておる」
道灌殿は扇谷上杉家の家宰という立場ながら人に学問を教えるのを好むお方だった。下野の一国人の倅のひとりに過ぎなかった儂が道灌殿のもとで学べたのは本当に幸運なことであった。
「しかしどのような経緯で道灌殿のもとへ?道灌殿は武蔵の人ではなかったのですか」
「それは儂の父のおかげじゃ。自分で言うのも恥ずかしいが幼い頃の儂は神童と呼ばれておった。周囲からもてはやされた儂は増長してしまっていてな。それでは良くないと判断した父が伝手を使って儂を武蔵の扇谷上杉家の家臣のもとへ奉公に出されたのだ。片田舎から来た儂の鼻はすぐに折れてしまったがな。そこで道灌殿に見いだされて短い間ながら世話になったのよ」
我ながら波乱万丈な半生を送ったものだ。道灌殿が主家に討たれた後は扇谷上杉家が混乱に陥ったこともあり蘆野に帰還することになったが、道灌殿ほど人生に影響を与えたお方はいない。
「さて世間話はここまでだ。そろそろ沢村城に到着するぞ」
塩谷と那須との間で奪い合いになっている沢村城は現在那須方の城であった。沢村城は川崎城の目と鼻の先にあり、塩谷攻めの拠点にはぴったりだった。沢村城に入城を果たすとすぐに軍議を開き、岡本内匠頭らの動向を確認することになった。
川崎城攻めに失敗した岡本内匠頭らは現在それぞれの居城に逃げ帰ったらしい。一応反撃の用意はしているようだが今すぐ動く気配はない。
「那須に援軍を求めておいて自分たちで戦う気すらないのか!」
若い又十郎が岡本らの不甲斐なさに怒りを見せる。他の将たちも少なからず不満はあるようだ。援軍といってもこちらは五〇〇しかない。策を考えなくては確実に苦戦を強いられるのは目に見えて明らかだ。
「ふむ、急ぎ岡本殿らに川崎城を攻めるよう連絡を入れよ。小山の進軍が遅れている今こそ川崎城を落とす好機ぞ」
「かしこまりました」
使者がすぐ沢村城を出発する。口ではああ言ったが、小山が到着する前に川崎城を落とせるかは不透明だった。だが小山が間に合えば川崎城を落とすことは不可能に近い。時間との勝負にはなるが、岡本らがこちらの思惑どおりに働けば間に合うかもしれん。
だが彼らからの返答はこちらの予想を裏切るものだった。
「なんだと、準備ができていないからまだ時間がほしい?奴らは今の状況をわかっていないのか?小山が到着してからでは遅いのだぞ!」
連中は何を悠長なことを言っているのだ。いや一度負けたから臆病になったのか?
「もう一度使者を送らせろ。今度は連中が何を言ってきても川崎城を攻めさせるのだ。しかししくじったな。連中がここまで使い物にならないとは思わなかった。これならば沢村城に集めさせるべきだったな」
手間だが一度沢村城に集合させてこちらに主導権を握らせるべきだったか。いちいち連絡を待つ時間を考えればそっちの方が良かった。この無駄な時間を過ごしている間に小山が間に合ってしまえば一気に不利になるのはこちらだぞ。
しかし無情にも天は我らを味方しなかった。増水の影響で遅れていた小山の援軍が川崎城に到着したのだ。その数は二〇〇〇を下らないという。軍議の場が一気に重苦しいものになる。
「このままでは岡本殿らに攻めさせても返り討ちに遭うだけです。仮に我らが加わったとしても五〇〇の兵だけではどうしようもありません」
「しかしだからと言って見捨てれば壱岐守様のお顔に泥を塗ることになりますぞ」
「だが、敵は強大だ。正攻法では太刀打ちできん」
議論はやがて口論となり、雰囲気も悪化していく。黙って状況を見つめていた儂は軍配を振り下ろした。
「各々方、これ以上は議論にはなりますまい。一度頭を冷やすべきではなかろうか」
「日向守殿……」
盛り上がっていた場の空気が一気に冷水を浴びたかのように静まりかえる。
「どう嘆いても小山が間に合ったことは認めなければなりますまい。そこで我らがどう動くべきか。それが肝要じゃ」
「しかし、この状況下でどうすれば」
「策はある。勝算は低いがの」
もはや小山を相手するほかなかった。そのためには総大将を任せられた儂が骨を折らねばならん。もしかしたらこの老い耄れの最期の戦場になるかもしれんな。
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