老塩谷の覚悟
下野国 川崎城 塩谷天的(孝綱)
「一体どういうことですか、父上!?」
儂の小山に降るべきという発言に周囲が騒がしくなり、孫四郎が焦った表情で儂に詰め寄る。儂に話を振った油井備前守もまさか儂がこう言うとは思わなかったのか顔を青く染めていた。
「どういうことも何もさっき言ったとおりだ。儂は小山に降るべきだと考えておる」
儂は騒ぐ家臣らを手で制す。ようやく静かになった家臣や孫四郎は儂に視線を集中させて次の言葉を待つ。
「これは塩谷の隠居の言葉として聞いてほしい」
と、前置きをしたうえで自分の考えを家臣らに伝える。
「はっきり言っておく。今の塩谷では小山の侵攻を食い止めることはできない。那須の援軍があればどうにか抵抗できないことはないが、今の那須の状況ではまともに援軍を派遣されることはないだろう。つまり小山と敵対すれば塩谷は援軍の見込みのないまま戦いを強いられることになる。すでに塩谷は弥六郎のこともあり、小山から敵と見られている。ならば事態が悪化する前に塩谷の家を守るために小山に降るべきだと儂は考えた」
小山への降伏、従属。
長年宇都宮家の一門として君臨してきた塩谷家にとって苦渋の決断だがこれが最善の策だと儂は考えていた。
小山家の勢いは留まることを知らない。あの河原田の戦いから少しずつ大きくなっていた小山は皆川、宇都宮、壬生、芳賀を支配下に置き、佐野と結城、益子と繋がっており、さらに公方様の覚えも良い。塩谷は宇都宮そして塩谷宇都宮側の陣営として二度敗れた。もはや塩谷単体では抗えない。仮に那須の援軍があったとして最終的に敗れることだろう。
それならば早めに小山に降って塩谷家の保全をした方が塩谷家の未来がつながる。今だけの意地で未来を閉ざすことはあってはならない。
しかし儂の思いは家臣たちには届かなかった。
「何を弱気なことをおっしゃられるのです。一戦も交えずに小山に降る?そんなこと到底できませんぞ」
「左様、塩谷家は誇り高き宇都宮家の生き残り。主家を滅ぼした小山風情に頭を下げる必要はありませぬ」
「どうやらご隠居様は病を得てからお心が弱くなってしまったらしい」
自尊心の高い家臣たちはこのまま小山に降ることに反発する。最初に小山と争うことに消極的だった者も小山に降ることまでは考えていなかったようで、儂の意見に賛同する者はいなかった。
「ご隠居様は臆病になりましたな。以前のご隠居様ならそんなことは言葉にしなかったはずです。民部大輔様を失って覇気を失いましたか!?」
あのとき儂に話を振ってきた油井備前守が声高に儂を非難する。評議の場は過熱し、多くの家臣が備前守の主張に同意する。義尾が場を収めようとするが家臣たちは話を聞く耳を持たずに小山に降ることを拒絶する。
儂が家臣たちを抑えるために言葉を続けようとしたそのときだった。急に胸が苦しくなる。
「うっ、ごほっ、がはっ!」
咄嗟に手で口を押さえるもその手が赤く染まる。吐血だった。病み上がりにこの心労は身体に毒であったか。
胸を押さえてうずくまる儂の姿に家臣たちは動揺する。それまで儂を糾弾する空気は霧散し、小姓が駆け寄り、医者を呼ぶ声が聞こえる。義尾も駆け寄ってきて必死に儂の名前を呼びかける。
先ほどより薄くなってきた意識の中で両脇を抱えられていることが理解できた。儂はこのまま自室に移動することになるのだろう。だが儂の中でこのまま退場すれば塩谷は小山と敵対する道に歩むことなると警鐘が鳴っていた。それだけは駄目だ。それでは塩谷は宇都宮と同じく滅亡してしまう。
儂は最期の力を振り絞り、抱えていた小姓の手を払いのけて大広間に戻ると朦朧とする意識の中で家臣らに呼びかける。
「よいか、もう一度言うが、家を、所領を守るために我らは小山に降るべきだ。力の差や那須のことだけではない。小山家の当主隼人佑は儂の父に勝るとも劣らない傑物だ。小山と敵対すれば滅びの道が待っているが、共存の道が歩めれば塩谷は新たな未来を得ることができるはずだ。皆の者、決して小山と敵対してはなら……ぬ」
そう言い終えた瞬間、全身の力が抜けていくのを感じた。ゆっくりと身体が床に崩れ落ちていく。
「父上!?」
「ご隠居様!?」
先ほどまで儂を襲っていた苦痛がスッと抜けていき、身体が軽くなったように感じる。妙に楽になった身体に儂は己の最期を悟る。
暗転していく意識の中で必死に儂を呼びかける皆の声を聞きながら、塩谷の未来を案じて儂は永遠の闇に身を委ねたのだった。
もしよろしければ評価、感想をお願いいたします。




