下野の梟雄
下野国 鹿沼城 壬生綱房
『見よ、この宇都宮の繁栄を。皆が楽しそうに笑っておるわ。儂はな、この光景を下野中いや北関東中に広げたいのだ』
かつて宇都宮城から城下を見下ろして豪快に笑っていた成綱様。その理想は志半ばで終わりを告げた。四十九歳だった。跡を継いだ忠綱様、興綱様、俊綱様は偉大なる成綱様の理想を理解していなかった。
いつからか儂は宇都宮家を見限りだしていた。だからいつか宇都宮に代わって理想を実現するために日光に取り入って権力を得ようとしたりした。
だが足りない君主に仕え続けるうちに儂の思考はかつての理想から遠ざかっていった。宇都宮家の衰退に巻き込まれて我が壬生家も壬生城を奪われるなど力を失っていったことも影響したのだろう。儂はいつしか自身の権力の強化、宇都宮家の簒奪を目論むようになった。高経に先手はとられたがその高経は死に追いやった。
そして俊綱様の戦死で儂はついに宇都宮家の乗っ取りに動いた。宇都宮城は小山に奪われたが良綱を傀儡にすることで宇都宮家を裏から支配しようと企んだ。元綱の存在は誤算だったが。
それでも那須家と通じ、塩谷や良綱、昌念と連携することで勢力を回復させ、小山を宇都宮から追い出して自らが宇都宮城主となる。そのつもりだった。裏では山内上杉家にも救援を求めようと動きはじめてもいた。
だが小山家の躍進が儂の野望を再び蹴散らそうとしている。
儂が小山から寝返りさせた国人共はあっという間に制圧され、村井城襲撃も失敗。却って味方を分断されてしまい、今では居城である鹿沼城が攻められていた。
「今更ながら亡き御屋形様の言葉を思い出すとはな」
「殿、ここも危険です。早く大夫殿郭へ!」
小山の兵に城内への侵入を許したことで本丸にいた儂らは本丸より高所にあってより守りが堅い大夫殿郭に移動する。しかし移動したときには西の郭や二の郭など主要な郭は落とされており、鹿沼城の落城は誰の目から見ても明らかだった。
こちらもできる限りのことは尽くしたが、味方の援軍を阻止され、内応者が出てしまってはどうしようもない。まさかかつてすでに終わった家だと思っていた小山家に滅ぼされる寸前まで追い込まれるとはな。当主の隼人佑という男、なかなか策謀に長けているではないか。
それにしてもあの轟音が鳴る兵器は厄介だったな。あの城柵を破壊した兵器のせいで我々の兵は完全にひるんでしまった。
やはりあのときは気乗りしていなかったが、祇園城を攻めたときに城を落とせていればこんなことにはならなかっただろうな。いやはや、今更後悔したところで仕方なしか。
だが儂はまだ諦めるつもりはない。この大夫殿郭の井戸には隠し通路が存在する。その隠し通路は城外にまで繋がっていた。城門を破られた際にすでに倅を西方の倅といった若い衆と一緒に隠し通路から脱出させている。彼らが無事に逃げられたかはわからんが、今は上手く逃げたと信じたい。
「殿、儂はここで敵を食い止めます。殿とはここでお別れでございます」
そう言って自ら大夫殿郭に残って時間を稼ぐと宣言したのは重臣の合羽主計助吉房だった。その名が表しているように房の字は儂が彼に与えたものであり、合羽家は代々壬生家を支え続けてきた忠臣だった。そんな男の最期の覚悟だ。儂はそれに応えるだけだ。
「主計、今まで世話になったな。地獄で再び会おうぞ」
「……儂は殿に仕えられて幸せでございましたぞ」
主計助以下数十名は郭に残って最期の戦いに臨むことを決意していた。儂は彼らにねぎらいの言葉をかけて残りの家臣を伴って井戸の中へ潜っていく。水面に浸かる直前に横に大きな穴がある。隠し通路だ。大きさは大人ひとりがかがんでなんとか通れるほどしかない。甲冑に水と泥まみれになりながらも城外へ続く長い通路を這って進んでいく。高齢の儂には厳しい道のりだったが生き残る一心で身体に鞭を打つ。
やがて通路の先に光が見えはじめる。ようやく出口に辿り着いたとき一同は安堵の表情をこぼす。ここからは逃避行がはじまる。目的地は塩谷宇都宮家の本拠である多気山城だった。距離はあるが唯一身を寄せられる城はそこしかなかった。
だが運は儂らをすでに見放していた。隠し通路から出てきた儂らを待ち受けていたのはこちらを囲んでいる小山の兵だった。
「馬鹿な、この隠し通路が知られていただと」
「それは儂の手柄ですよ、殿」
「お前は……」
小山の兵に紛れて儂らの前に現れたのは壬生一族でありながら戦の直前に姿を眩ませた壬生刑部丞だった。そうか、一族だった彼なら隠し通路のことを知っていてもおかしくないか。
「おっと、無駄な抵抗はやめてくださいね。この数では勝負にならないでしょう。おい、奴らは敵の総大将だ。捕縛せよ。ふふふ、これで儂も隼人佑様の覚えが良くなるぞ」
家臣らは抵抗しようとしたが大人数で襲いかかってきた小山の兵に組み敷かれてしまう。儂も兵らに四肢を掴まれて捕縛されてしまい、敵の本陣へと連行されていく。
「隼人佑様、敵の総大将である壬生中務少輔以下壬生家の将を生け捕りにしましたぞ」
ニヤニヤと笑みを浮かべている刑部丞によって儂らは小山隼人佑の前に連れ出される。
「そうか、刑部丞と言ったな」
「はい」
「二言はない。お前は今すぐ下がれ。いいな」
「なっ、そ、そんな」
刑部丞は抗議するが、隼人佑の圧に怯えて渋々本陣を後にする。その際に儂らを睨んでいたがその程度大したことなかった。
「さて顔を合わせるのは初めてになるな。儂が小山家当主隼人佑晴長だ」
改めて彼の顔を見てみる。倅ほどではないが若い、まだ十代後半といったところか。
「儂が壬生中務少輔綱房じゃ。隼人佑殿、此度は見事な手腕だったな。してやられたわ」
「敵将から褒められるとはな。お返しというわけではないが、俺は中務少輔の存在は宇都宮家以上に厄介に感じていたぞ。河原田の戦いのときからな」
奴の言葉に疑問が生じる。忠綱様をあえて見殺しにしたあの戦はもう十年以上前の話だ。
「そんなときからだと?あの頃だとそなたはまだ幼子ではなかったか?」
「ああ、そうだ。そのときから俺はそなたを危険視していた。だからこのときを迎えられて心底安堵している」
「俊英とは聞いていたとはここまでとはな。これなら祇園城を攻めたときにそなたを討ち取れればよかったわ」
「ああ、俺もそう思う。あのとき俺が負けていたら歴史は違ったものになっただろうよ」
儂の愚痴に隼人佑も同意した。あのときの小山家は周辺の国人を降ろしていたがそこまで脅威ではなかった。そこで討ち取れなかったことは本当に悔いが残るな。もし討ち取れていればまさに歴史が変わっただろうに。
「さて、中務少輔。俺は後顧の憂いを断ちたいと思っている。悪いがそなたの首は刎ねさせてもらうぞ。だが、最後にそなたと話せたことは幸運であった」
「すでに覚悟はしていた。好きに首を刎ねるがよい。だが忘れるな、儂が死んでも壬生はまだ死んでいない。必ずや小山に牙を剝くだろうよ」
隼人佑は周囲がざわめく中、儂の言葉を黙って聞いていた。
「それで最期の言葉を聞いておこうか」
「ならば最期は壬生の方角に向かせてほしい。それだけだ」
ここからでは見えないはずの壬生の地。だがなぜか儂には懐かしき故郷の地が鮮明に見えていた。
もしよろしければ評価、感想をお願いいたします。