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番外編2 モフモフ毛玉日和

 屋敷の片隅にある部屋で、ミュリエルが怪しげな雰囲気を漂わせている。

 ローブのフードはしっかり被り、ブツブツ何かを呟いている。今日は、ひとりで悪の秘密結社だ。


「煙が出るまで、材料を練ればいいわけね。次はネコジャラシを入れて、それから……」


 まだ本来なら読むのも実践するのも難しい上級魔術の本を片手に、ミュリエルはコソコソとある魔術を使おうとしている。

 それは、人を動物にする魔術。

 上級魔術にして禁断魔術に近い類の本をあさって、ようやく見つけたものだ。

 そんな危ない魔術を使おうと思ったのは、メルヒオルのためだ。というよりも、ミュリエルがメルヒオルと慣れるため、といったほうが正しい。

 彼が無事に人間の姿に戻ってから、ミュリエルは彼と長く、まともに会話することができなくなった。

 せっかく想いが通じ合い、婚約も仮初のものから本決まりになるというのに、見つめられるとミュリエルは倒れてしまうのだ。

 メルヒオルの本来の顔が、あまりにも美しすぎるから。

 緊張したり倒れたりするのは、ミュリエルがメルヒオルのその顔に慣れていないからというのもある。ミュリエルが知っているのは彼の獣頭の姿なのだから、見知らぬ美貌に戸惑っているのは仕方がないというものだ。

 だから、ミュリエルはひとまずまたメルヒオルに獣頭になってもらい、その姿で徐々に触れ合うことになれていこうと考えている。そうでもしなければ、愛しいメルヒオルとの仲が一向に進展しない。口づけだけでいちいち倒れていたのでは、先が思いやられる。


「それに、先生のふわふわな毛並みをまだ一度も触ったことがなかったんだもの……」


 もう一度獣頭になってもらいたいという思いには、そんな思惑もあった。想いを通わせるまでは、異性に触れるなんて言語道断。それでも、ミュリエルはいつかメルヒオルを存分にモフモフしたいと考えていたのだ。

 その野望を叶えるため、ミュリエルはせっせと鍋をかき混ぜた。


「よし、煙が出てきた! この煙を浴びれば姿が変わるわけだから、瓶に煙を詰め込んでっと……きゃあっ」


 なかなか大変な作業だと思っていたが、煙が出てからはあっという間だった。悠長に瓶に閉じ込めようなどと考えているうちに、ミュリエルは煙に巻かれてしまった。

 ガシャンと瓶が床に落ちて割れる音がして、ミュリエルはあわてて周囲を見回した。


「に、にぃっ(な、何よこれ!?)」


 鍋も部屋の三方を囲む備えつけの棚も、信じられないほど大きくなっている。天井も高い。そのことから、自分の身体が小さくなっていることには気づいた。

 だが、叫ぼうとしたはずなのに口から出てきた間抜けな声は何なのだろうか。まるで、鳴き方もまだよく知らない子猫のようだ。


「……みゃ?(何?)」


 煙がおさまってから、ミュリエルは小さくなった身体で部屋の中を歩き回ってみた。といっても、身体が小さいから一歩が小さく、なかなか思うように進めない。そうやってしばらく歩いてキラッと光ったものが目に入って、ミュリエルは顔を寄せた。

 光っていたものは、落として割れた瓶の欠片だった。硝子の表面はうっすら鏡のようになっていて、そうして顔を寄せれば自身の姿が映り込む……はずなのに、そこに映っていたのは、丸顔でモフモフした子猫だった。


「みゃうみゃうみゃー!?(どうやってるのー!?)」


 自分の子猫姿を見て、ミュリエルはあわてた。あわてるなというほうが無理な話だろう。前脚や後ろ脚を踏みしめてみたり、くるくる回って確認してみるが、どこからどう見てもふわふわコロコロの子猫になってしまっている。


「にぃ……(どうしよう……)」


 子猫はうなだれた。メルヒオルを獣頭にしようと思ったら、まさか自分が子猫になってしまうなんて。策士、策に溺れるというやつだ。

 メルヒオルにずっと獣頭でいてほしかったわけではないから、数日から一週間ほどで徐々に元の姿に戻るよう調合はしていたつもりだ。だが、子猫姿で一週間も過ごすなんて、とてもではないができそうになかった。

(ここは、素直にメルヒ先生に謝って事情を説明して助けてもらうしかないかしら。……って、どうやって? わたくし今、「にゃー」しか言えないのに!)

 メルヒオルを頼ろうと考えて、すぐに無理だと気がついた。言語を発することができないのだから、事情を説明することができない。ミュリエルだと気づいてもらうことも難しいかもしれない。

(かといって、ずっとここにいるわけにもいかないわ。そのうち、メルヒ先生が探しに来るだろうし。わたくしの姿がないと騒ぎになる前に、自分から助けを求めたほうがいいはずよね。誰か、わたくしの鳴き声を通訳してくれる人がいたらいいのに……そうだわ!)

 くるくると自分の尻尾を追いかけながら考えていたミュリエルは、名案を思いついて動きを止めた。

 よく考えたら、この屋敷には子猫のミュリエルの言っていることを理解し、それをメルヒオルに伝えてくれそうな存在がいたのだ。

 体当たりしたりドアノブにぶら下がったりして何とか苦労してドアを開け、ミュリエルはその存在のもとへてちてち走っていった。



「にゃにゃ、みゃうみゃー!(フィリ、助けてー!)」


 子猫のミュリエルが駆け込んだのは、小鳥のフィリの部屋だった。動物同士なら話が通じるし、人間の言葉を多少話せるフィリなら、メルヒオルに伝えてくれるのではないかと思ったのだ。


「ん? ねこ?」


 毛玉のような闖入者に、フィリは警戒している。身を細くして、目をひんむいている。


「みゃうみゃ! みゃうみゃうみー!(違うわ! ミュリエルよ!)」

「みゅー? みゅーなの?」

「にぃっ(そうよ!)」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて鳴くと、ようやくフィリはわかってくれた。一瞬驚いたあと、キャッキャと笑いだす。


「みゅー、ねこになっちゃったね。おかしー。おかしーよー」


 どうやらツボにはまったらしく、しばらくフィリは笑い続けた。小鳥がこんなに笑うのかというほど、激しく笑っていた。


「ふにぃ! みゃうにゃあうにゃにゃ!(もう! 笑ってないで助けてよ!)」

「わかったよ。まずは、だしてだして」

「うにゃ(わかったわ)」


 ようやく助けてくれる気になったらしいフィリに言われ、ミュリエルは鳥籠を吊るしてある支柱を登った。

 令嬢姿のときなら絶対にできないことだし、してはいけないことだ。だが、子猫の姿のときなら何だってありだと、よじよじ登っていって、口を使ってカゴの扉を開けた。


「よし、まかせろ。せなかにのせてね」

「に゛ゃっ」


 ミュリエルがスルスルと支柱を降りると、羽ばたいたフィリが背中に降り立った。これまで小鳥だとあなどっていたが、その爪は鋭く痛い。


「さあ、しゅっぱつしんこー」

「ぎにゃ」


 フィリは馬にでも乗った気分なのか、ツンツクとミュリエルのふわふわの背中をくちばしで突き始めた。その痛みに、たまらず走りだしてしまう。

 フィリのくちばし攻撃は容赦なく、少しでもミュリエルの走る速度が落ちればツンツクしてくるのだ。進む方向を間違えても突かれる。

 痛くて、禿げるのではないかと怖くて、子猫のミュリエルはただ必死に走った。

 

「ついたぞー」


 ずりずりと何度も転げ落ちながら階段を登って、二階の廊下を走ったところで、フィリが背中を突くのをやめて言った。

 止まったのは、メルヒオルの研究室の前だ。

 疲れ果て、安堵したミュリエルはドアにすがりつき、恥も外聞もなく泣きじゃくった。


「みゃうみゃうにゃ、うにゃにゃにゃにゃー」


 ドアをカリカリと爪で引っかきながら、ミュリエルは必死で訴える。それに付き合って、フィリもくちばしでドアを突いてくれる。


「メルヒ、メルヒ。フィリちゃんきたのー」


 フィリがとびきり可愛い声でそう言うと、ようやく声が届いたのか慎重にドアが開けられた。


「フィリちゃん? それと、可愛い猫の声も聞こえた気がするんだけど」

「みゃるにゃうにゃみゃー(メルヒ先生ー)」


 出てきたメルヒオルの顔を見たら安心してしまい、ミュリエルはその膝に駆け上った。背中にフィリが貼りついたままだが、そんなの関係ない。


「え? どうしたの? 子猫さん、落ち着いて、ね? よしよし。……どこの子猫さんかなあ?」


 よじ登ってきたミュリエルの身体をひょいと抱きあげ、メルヒオルはしげしげと見つめた。


「……見覚えがある毛並みと目の色だよねえ。このミルクを入れた紅茶のような毛色といい、エメラルドみたいな目の色といい……」

「フィリちゃん、わるいねこさん、つかまえたの」

「そうだよね。この子は、悪い子猫さんみたいだね」


 しばらく見つめていたメルヒオルは、どうやら子猫の正体に気がついたらしい。とどめにフィリがとんでもないことを言うから、バレてしまったも同然だ。


「……ミュリエル、君は私に内緒で、何か危険な魔術を使ったね?」

「に、にぃ……(は、はい……)」

「まったく……命の危険があるものではなかったようだから救われたものの、大怪我をしたり死んだらどうするつもりだったんだ?」

「……うみゃお(ごめんなさい)」


 首根っこを掴まれぷらぷらと揺さぶられ、ミュリエルは力なく鳴くしかなかった。口調は表情は穏やかだが、漂う雰囲気からメルヒオルがひどく立腹しているのがわかる。


「フィリちゃん、ここまでご苦労だったね。部屋まで送ろう」

「だいじょぶだいじょぶ。フィリちゃん、じぶんでかえるの」


 フィリに対しては全く怒っていなかったのに、醸し出す空気が恐ろしかったらしく、フィリは自分でパタパタ飛んで部屋に戻っていった。それを見送ってから、メルヒオルは改めて子猫ミュリエルに向き直る。

 

「仕事が片づいたら解除の魔術を発動してあげる。でも、それまでは私の膝の上だ。いいね?」

「にぃ……」


 人の姿に戻ったら、それはそれは怒られるのだろうなと考えて、ミュリエルの気持ちは重くなった。それに、怒っている人の膝の上もつらすぎると思っていた。

 だが、部屋に戻ってメルヒオルが机についた直後、予想外の出来事に見舞われる。


「あーミュリエルは何て可愛いんだ! 元々可愛いけど、子猫になるとさらに可愛いね。おめめクリクリ! きれいな髪は、きれいな毛並みになっちゃって! はあ、ふわふわだ。可愛いなあ!」

「……ふにゃっ」


 ふたりきりになった途端、メルヒオルはミュリエルをわしゃわしゃと撫で、頬ずりを始めたのだ。

 いつも穏やかで興奮することなどあまりない人だと思っていただけに、その予想外の行動に混乱する。

 ただ、そうやってたくさん撫でられ愛でられることは、少しも嫌ではなかった。

(……この姿だと、メルヒ先生のお顔を近くで見ても、倒れたりしないわ)

 そんなことに気づくと、触れられることを嬉しくすら思う。

 人の姿では、とてもではないがこんな濃厚なふれあいは無理だ。だが、こうして触れ合うことがお互いにとって大切なことはわかる。

 日頃は美形を前に少しでも長く倒れないようにするのが必死で、メルヒオルの表情に気を使えたことがなかった。

 だから自分を見つめる目が、向ける微笑みが、呼びかける声が、こんなに柔らかで優しくて甘いことを知らずにいた。

 触れ合うことで、それに気づくことができた。


「みゅう」


 大好きだという想いを込めて、ひと声鳴いてみた。

 きちんと真正面から、メルヒオルの琥珀色の目を見て。

 見つめ返す彼の目が、嬉しそうに細められる。


「私も愛してるよ、ミュリエル。……君が子猫になってしまうのも、たまには悪くないかもね」


 小さくてふわふわなミュリエルの額に自分の額をくっつけながら、いたずらっぽくメルヒオルは言う。これも、まだ人の姿ではできないことだ。

 だが、いつかできるようになりたいと思う。

 子猫の姿になって、ミュリエルは好きな人に触れられる喜びを知ってしまった。

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