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第35話  勝利の美酒

***



アベルが最後に取った策。

それは、自らの身に砲弾を浴びせさせるという狂人的なものであった。

彼がこの策を決行するきっかけになったもの。

それは山の中から光を送っていた鏡の反射光である。

彼がこれを初めて見た時に浮かんだ感情は苛立ちであった。


(俺が死にかけているのに……山の連中は呑気に信号なんか送っているのか……!)


クライムが結んだ呪いのため砲撃を行うことは出来ない。

その状況で見せられる光など目障り以外の何物でもないからだ。

だが、すぐに思考が一つの疑問にぶつかった。

なぜ、彼らは無意味なこの行為を行っているのかと。


(奴らはクライムの直属の部下のはず……。つまり呪いの存在も知っているはずだ……。しかし、見ての通り彼らはこの無駄なことをしている……。)


すでに盗賊たちは山の中から脱出しているころであろう。

つまりあの光の正体は間違いなくクライムの部下。

その彼らが行っているこの行為。

何か意味があるはずだとアベルは考えた。


(指示が行き渡っていないということは考えにくい……。あの男はふざけているように見えるが実に狡猾だ……。)


答えを求めるにしては如何せん情報不足。

それどころかオルガと向き合っているこの状況でよそ事に気を取られるなど論外ともいえるこの行動。

だが、この時精神的に追い詰められていた彼は何でもいいから思考の逃げ道が欲しかった。

そうでもしなければ死を恐れ震える体を止めることは出来なかったであろう。


(いや、まさか……!)


もし、神がいたのだとしたら奴はきっと恐ろしく気まぐれな性格なのだろう。

ここまでさんざんアベルを追い詰めたくせにこの土壇場で彼に幸運を運んできたのだから。


(あの光が示す意味……。本当にそうなのか……?)


偶然という幸運が彼の思考に道を示す。

まさに活路、霧の中をさまよう船の視界に飛び込んできた松明の光の如く希望への光。


(撃てるのか……! 大砲が……!)


彼に与えられた最後の武器は大砲。

人類の科学の集結ともいえる最高火力のこの兵器。

直撃すれば鬼とてただでは済まないはずだ。


(だが、あれは使えないはずだ……。呪いの制約で俺たちはあれを使用しないと誓った……。)


本来であればその理由一つでこのような意味のない考えなど捨て、もっと実用的な策を練るべきである。

彼には一刻の猶予もないのだ。

しかし、彼はこの疑問にしがみついた。

何か確証があったわけではない。

ただ何となく、それだけの理由ではあったが彼はこの無駄とも思えるこの疑問に答えを求めようとした。

そして、一つの推測へと辿りついた。


(もしかして……呪いなんて最初からなかったのか……! あれはすべてあの男の虚言、ブラフ、デタラメ……!)


この戦いにおいて彼らだけではなく大勢の人間を縛っていたこの呪いという存在そのものを否定するというものであった。

もし、そうであれば大砲が使用できる。


(思えばあの男の動きそのものが不自然……! いや、全てにおいておかしな男ではあったがそれを差し引いてもおかしい……!)


そう考えだすとクライムの行動や言動に不自然な点が浮かび上がってくる。

何気なく見ていれば気づかないようなわずかな違和感を一つ見つけられればそれだけで確信が持ててくる。


(なぜ、俺に大砲の合図の仕方と砲撃位置を教えたんだ……? なぜ、砲撃手の位置を村長宅の前だけに絞ったんだ……? よく考えれば実に不合理、無意味な言葉……!)


仮にこの考えが当たっていればクライムの『勝てる条件はそろえた』という言葉の意味も納得がいく。

アベルはその意味をてっきり狭い範囲での戦闘という自分に有利な場所を作ったという意味だと思った。

これはあまりにも理不尽な話だとその時は嘆いたが、不意打ちで大砲を撃てるという条件をそろえたという意味であれば話は別だ。

勝率がぐんと跳ね上がる。


(これが事実なら勝てる……! 俺に最後の手札が舞い込んできたんだ……!)


彼はそのことの喜びに胸を躍らせた。

見たくない不穏な考えについては無意識に目をつむったままに。

なぜ、クライムがこの情報をアベルに教えなかったという最大の疑問を解こうとはしなかったのだ。


(だが、奴が立っている場所は着弾位置からは離れてしまっている……。これでは駄目だ……。何とかしてやつをこの場所に呼ばなくてはならない……。)


すでに砲撃できるものとしてアベルの思考は傾いていた。

だが、すぐにかわすことのできない問題に直面する。

全ての嫌な事柄を無視できるほどこの世は甘くできていない。

逃げた先でも必ず代償は払わされるのだ。


(ここに来てくれるのが最善ではあるが……それは無理。奴の足を攻撃してしまった。身動きが取れない奴をここにおびき寄せることは出来ない。)


足を攻撃したという事が悪手となった。

事実、オルガは明らかに待ちの体勢に入っている。

時間をかければ距離を縮めてくるかもしれないがそれを待つことは出来ない。

彼に残された命の砂時計が示すのはわずか1分。

足りないのだ、圧倒的に時間というものが。

赤子から老人まですべての物に等しく与えられるそれが全くない。


(しかし、この策しかないんだ……! 俺が勝つのはこれしか……!)


もう通すしかない。

仮に無茶で無謀なものであってとしても彼がすがることが出来る最後の砦。

これに頼るほかないのだ。


(何か閃け……! 何でもいい……! 死以外の対価なら何でも払うから……!)


その覚悟がもたらした策とも呼べぬいびつなものが脳裏によぎる。

チップにするのは命ではないにしろ己の五体、精神、覚悟、そしてこの後の生活。

今、彼が持てるそのすべてを払うことを要求する苦肉の策。


(俺が……奴と砲弾をつなぐ架け橋になればいい……! 俺が砲弾を受け止めその衝撃を奴に送る……! そうすれば距離なんぞ問題ない……!)


乗れば地獄の片鱗を味わわねばならない。

しかし、彼はこれを飲み込んだ。

心をむしばむ絶望より生きようとする意志が勝ったのだ。

こうして彼はこのいかれた策を実行に移したのだ。



***


(砲弾が来る……! だが、問題はない! 意識さえ残れば俺の能力は発動し続けられる!)


指を鳴らし砲弾の指示を出した。

クライムらしいきざな命令の仕方である。

だが、その行動を警戒してかオルガは寄ろうとしない。


(それでいい……! 俺に集中しろ……! ナイフに気が付くな……!)


アベルが架け橋と呼んだもの。

それはマントの糸であった。


(あのナイフには糸を巻き付けてある……! 細い糸だが俺には最強の武器だ……!)


彼はオルガに斬りかかった時から彼を剣で殺す気はもうなかった。

あの時点で本命は糸を巻き付けた二本目のナイフ。

より自然に怪しまれない様にそれを差し込むことが目的であった。


(右手を失ったことは逆に好機だった……。そのおかげで自然にナイフへの攻撃に移れたからな……。やっぱり俺はついている……!)


そして、彼はそれを成功させた。

見事にオルガの右前腕に刺せたのだ。

彼に出来る準備はすでに整え終わっている。

後は本当に砲弾が飛んでくることを祈るしかできない。


(砲撃が来れば後は糸を伝いナイフから衝撃を放つだけ……! それだけが俺に残された仕事だ……。)


彼の能力の射程範囲は自分に触れているものにまで及ばすことが出来る。

つまり今、彼とオルガには細い死を呼ぶ糸で繋がっているのだ。

普段であればオルガもこのような幼稚な策に引っかかるほど間抜けではない。

だが、血を失い思考と目がかすれつつある今ならこのような子供騙しなものでも通用する。

まさにすべての状況、状態がアベルに勝利を運ぶためのように動いている。

今彼は最も勝利の女神に近い男であると断言しても過言ではないだろう。


(さあ、撃て! 俺の輝かしい未来のための祝砲を! この化け物を殺すための正義の砲撃を! 撃て! 撃て! 撃て! 撃てえええええ!)


その願いが届いたように山の中から小さな火が見えたと思った瞬間にアベルの周りの土が吹き飛んだ。

飛んできた砲弾は計4発。

そのうち1発は外れたものの残りの2発は彼の近くに着弾し残りは見事彼に直撃した。


「うがああああああああ!」


だが、着弾したという事は当然のことながら彼を業火で焼く。

僅か5分足らずで3回も体を焼かれるなど地獄に行ってもお目にかかることはそうはないだろう。

彼はこの地獄を意識を持ったまま正気で耐えなければならない。


(気をしっかりもて! 俺の能力で糸はちぎれない! さあくたばれ、化け物!)


その異常とも呼べる状況の中で彼は左手に握った糸から衝撃を送る。

爆炎が上がって見えないが手ごたえを感じた。


(決まった! やったぜ! 前に進んだのはこの俺だ!)


砲撃を受け終えた彼はまるで水に溶かしたわしのように力なくうつ伏せに地に倒れた。

能力が切れたのだ。

体には異様な倦怠感が押し寄せまともに身動きさえ取れない。

顔は火傷でただれ、もう元の顔の面影もわずかしか残っていない。

恐らく治ったとしても火傷の後は一生残るであろう。


(能力が切れたか……。だが間に合った……。俺は生きている……!)


右手の指は薬指と小指の2本だけになってしまった。

剣も振るうことが出来なくなったのだ。

もう騎士としてのプロメッサ・アベルは死んでしまった。

これが彼が払った代償である。


(俺が生き残った……! 勝ったのは……俺だ!)


そのことを何度も何度も心の中で繰り返す。

感動、安堵、苦痛、喜びという様々な思いが彼の心をぐるぐると駆け回る。

それは勝者だけが味わえる愉悦という名の美酒であった。


(これで……終わったんだ。すべてが……すべてが。あの悪夢のような時間はあの鬼の死と共に終わりを告げたんだ……!)


その酒はあまりに美味く、指の痛みなど忘れてしまいそうだった。

だが、今だけはいいだろう。

血肉を削り、涙をからし、知恵と勇気という対価を払い続け勝利を掴んだものにはその程度の褒美があっても問題ないはずだ。


(これで……始まるんだ! 俺の栄光の道が……! 俺を裏切った馬鹿どもを見返すことが出来る輝かしい未来が……!)





そう、勝者であればその褒美を受け取ることが出来る。

勝者であればだ。


次の更新は日曜日です。

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