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エピローグ

「おっはよう」

 鉛筆を走らせる伊織の耳に、元気な声が届いた。顔を上げると、明生がてくてくと机と机の間を歩いてくる。

「おはよう、明生」

「やあ」

 急いで文章の終わりまで書き上げ、ノートを閉じ、後ろの席を振り返る。明生は目くばせし、鞄の荷物を机に放り込むと、身を乗り出して、

「なあ、例の話、どこまで書けた?」

 伊織に耳打ちした。

「ええとね、昨日は結構進んだよ。僕が……いや、主人公が、女中になりすました怪盗の手下と出会うところまで」

「へえ! あとで読ませてよ」

 あの事件から三か月。帰郷してしばらくは、伊織は一躍時の人となり、新聞や雑誌の取材でもみくちゃにされた。もっとも、事件の真実を伝え、黒揚羽の株を上げるチャンスだと思ったので、分別のありそうな記者には真面目に答えておいたのだが。

 新学期が始まると、今度は学校中の注目の的となった。黒揚羽に出会ったとき、伊織が鈴倉海産社長の息子だということが広まったときに続いて、これで三度目だが、言うまでもなく今回がいちばん大騒ぎだった。とはいえ、黒揚羽自身が予想していたとおり、人々の非難はもっぱら佐々木に集中し、危機に陥っても人を殺さず、かたきであるはずの総一郎を助けた黒揚羽は、そして彼女に味方した伊織は、むしろ温かい目で迎えられた。

 なお、鈴倉一族のその後だが、総一郎は一命は取り留めたものの寝たきりの生活となった。鈴倉海産は、予定どおり小泉という男が継いだものの、売り上げも株価も風評も急落した。埋蔵金のおかげで倒産はまぬがれているものの、将来が明るいとは決して言えない。

 鈴倉海産の動向については、一人前に経済新聞で調べている伊織であったが、八雲の近況を知るすべはなかった。ただ、何かあったらせめて手紙で知らせてくれることを願うのみだった。

 嵐のような日々が過ぎ去り、ようやく日常を取り戻しつつあった今日このごろ――。伊織は自分の体験を記録することを思いついた。間接的にではあっても黒揚羽たちとつながっていたかったし、ともに過ごした日々を忘れたくない。また、短いながら数馬との思い出を形に残しておくことで、父への追悼にもなるような気がしたのだ。出版社に持ち込もうなどという考えはなかったが、明生にだけは読ませるつもりだったので、関係者の心情に配慮して(もちろん、黒揚羽たちの情報がもれてもいけないので)、人の名前や容貌を変えたり、台詞を脚色したりはしている。今まで小説は読むばかりだった伊織だが、書くという作業も思いのほか面白く、これを書き上げたら、完全に想像に基づいた小説を手がけてみたいとも思っていた。

「だけど、あれから黒揚羽の噂聞かなくなったよなあ」

 ふと、明生が頬づえを突きながら、残念そうにつぶやいた。

「うん、そうだね……」

 伊織も声のトーンを落とす。そう、今までは一月に一度くらいの割合で世間を騒がせていた黒揚羽なのに、この三か月というもの音沙汰がなかった。

「神出鬼没の女怪盗」、そう自称した黒揚羽のいたずらっぽい笑顔。あれは伊織を安心させるための方便だったのか? やはり不本意だったとはいえ、佐々木を傷つけてしまったことを気に病み、怪盗稼業を休業しているのだろうか? まさか永遠に再開しないつもりではないと思うが――。それとも、もしかして体の具合でも悪いのか?

 彼女のことを思うたび、伊織の胸には切ない痛みが走るのだった。


 十一月初めの土曜日、伊織は明生と連れ立って、放課後、勉強会と称して長谷川という同級生の自宅にお邪魔することにした。

 学校や会社帰りの人々でにぎわうプラットホームを、強い風が吹き抜け、線路は穏やかな陽に照らされている。

「長谷川の妹ってさ、すごく可愛いんだろ?」

 明生が秘密めかして、口元を手で覆って言った。

「そんなことないって」

 否定しながらも、長谷川はまんざらでもなさそうだ。

「それに、お母さんも料理上手なんだよね」

 色気より食い気の伊織である。

「まあね。今日は昼飯だけじゃなくて、手作りのおやつもごちそうするって言ってたぜ」

「ほんと? 楽しみだな」

 顔を輝かせた伊織は、何気なく反対側のホームに目をやった。その瞬間、電車を待つ列の最前に並んだ三人組に、視線が釘づけになる。意匠は違うがともに学校の制服を着た、誰が見ても姉妹に見える二人の少女。父親にしては若いが、兄にしては年の離れている、背広姿の品のよい男。その面差しはまぎれもなく――。

(黒揚羽! 千里! 成瀬さん!)

 伊織は思わず叫びそうになった。折悪しく電車がホームに滑り込む。あきらめずに車内に目を凝らすと、三人はドアの前に立って、窓から伊織を見やった。年かさの少女が微笑んだような気がする。そのとたん、ガタゴトと車輪が回り出し、電車が発車する。すぐに三人の姿を認めることはできなくなってしまった。

「伊織? どうしたの?」

 明生に声をかけられて、伊織は我に返った。

「ううん、何でもない」

「腹が減りすぎてぼうっとしてたんじゃないの」

 長谷川の冷やかしに、伊織は曖昧な微笑で答えた。

 間違いない。あれは黒揚羽と千里と成瀬だ。伊織の胸は幸福の色に染まり、目頭まで熱くなってきた。

 それにしても――。涙が浮かばぬよう目をしばたたきながら、伊織は考える。三人そろってどこへ出かけるのだろう。買い物や行楽という可能性もあるが、あんなふうに制服や背広で変装しているということは、何か計画があるのではないだろうか。埋蔵金伝説を手土産に、伊織の家を訪れたあの日のように。

 今度はどんな活劇を繰り広げてくれる? たとえ参加はできなくても、ずっと見守ってる、応援しているよ。秋晴れの空の下、どこまでも続くような線路の先を見つめながら、伊織は心の中で三人に語りかけていた。

ようやく全文を掲載することができました!

5~7日間に1話ほどの頻度で更新するつもりでいたのに……。リアルタイムで執筆していないと、案外忘れてしまうものですねA^_^;

これを書き上げたのは約2年前なので、未熟な部分も多々ありますが(いえ、今でもまだまだ未熟なのですが)、自分にとって愛着のある作品であることは再認識できました。

では、またどこかでお会いできますことを。

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