プロローグ
新界と呼ばれる世界がある。
かつて存在した三つの世界、すなわち人が科学の力を発展させた人界、弱肉強食の掟が支配した魔界、神々が人らを見守った聖界の三つが、”大崩壊”によって融合し一つになって生まれた世界だ。
新生した世界に混乱する人間を滅ぼさんとした大魔王を勇者が倒した古代、人々が相争う事を思い出した中世、大陸を超え世界を巻き込んだ大戦を七英雄が終結させた近代を経て。
人類が世界平和と呼ばれるものを手に入れることができたのが、現代という時代である。
***
魔道大陸フェレンダーナ。古来より世界でもっとも魔法研究が盛んな土地であり、多種多様な魔法が生み出されて来た歴史を持つ大陸である。
フェレンダーナ大陸においても勿論土地の支配を巡る国同士の争いが勃発したが、その一方でそうした国同士の諍いから一線を引いてただ魔法の研究のみをする組織もまた存在した。
通称"塔"と呼ばれる組織は、国同士の争いに介入しないという理念の元、大陸中に散らばって各所の魔法を収集し、研究し、そして新たに生み出して来た。
約半世紀前の大戦以後は解体されたが、それを引き継ぐ組織として魔法大学、魔術大学、魔導大学が設立され、大陸としての魔法研究は続けられている。
塔や大学は様々な魔法を収集しデータベース化して来た。現在世界的に使われている魔法分類である、精神、霊体、理力、物質、生体、情報という六元と、強化、弱体、変化、具現、操作、付与の六法を掛け合わせた六元六法を生み出したのもまたこれら機関である。
が、これら機関の収集を逃れている魔法もまた存在した。
その理由は例えば一族の秘伝であるとか、悪用される事を恐れてとか、様々である。
そして偽霊術もそうして秘匿されて来た魔法の一つ。
何かを"模す"事に特化した、ある一族の秘伝魔法であった。
***
その少年の父は警察官であった。
単純に言えば正義の味方であり、少年も母もそれを誇りに思っていた。仕事に没頭するあまり家に帰ってくる事は少なかったものの、たまに帰ってくる父からの土産話を聞くのは好きだったし、純粋な憧れを父に持っていた少年は父がいない時でもそれを母と会話するのが大好きだった。
そんな母が病気で帰らぬ人になったのが、軋みの始まりだったのかもしれない。日々弱っていく母を近くで見守りながら、しかしずっと一緒でいてくれる訳でもない父に対して、少年は少し思う所が出来た。
それでも母が、正義の仕事をしている父を邪魔したくないのだと言うのだから、少年もそれを信じた。きっと法に従って正義を執行する警察の仕事をしている父は正しいのだと。家庭を多少振り返らない事があっても仕方が無いのだと。
……それは、母を失った少年が、自分を見てくれない父に対して抱くには、やや歪んだ思いだったのかもしれない。
母を失った父は家に帰る理由を無くしたのか、それとも母を思い出すのを嫌ったのか、ますます仕事に没頭するようになった。少年は寂しさを「でも正義の仕事を邪魔しちゃいけないから」と我慢することで押しつぶしていた。
父の仕事は大切なのだと。誇らしいのだと。だから自分はそれを応援すべきなのだと。
子供を一人にはしておけないと、少年は祖父に預けられる事になったが、それについて文句も思いつかなかった。
「正義の仕事をしている父を邪魔してはいけない。応援するんだ」
それが子供心に少年が胸に抱いていた思いだった。
***
そんな父が死んだ。
母と同じ病気や、もしくは捜査中の事故や事件で負った傷と言う事であれば、悲しくはあっても少年はまだ納得できたかもしれない。
だが、父は殺されていた。しかも、殺したのは父がかつて捕まえたにも拘わらず、裁判で有罪にしきれずに釈放された相手だった。
彼を裁くはずの法が邪魔をして証拠を集められなかった結果として解放された犯人は、自分を捕まえた事への報復として父を殺したとのことだった。
その後その犯人は死んだらしいのだが、それはもはや少年にはどうでも良かった。
法を信じて頑張った筈の父が、法に裏切られた。
少年はそう理解してしまった。
もし法が正義でないのならば。その仕事に従事している父が絶対の正義の味方で無かったと言うのならば。
父に会えずに死んでいった母と、それでも父を誇りに思い続けた自分は、なんだったというのか――。
***
少年と祖父との暮らしは静かなものだった。
いつも仕事で家にいない父と違って、祖父は家で静かに時間を過ごしていた。古くからの貴族であるという厳格な祖父は、父とは全く違う世界を生きているようだった。そして大して干渉される事も無かったため、少年はいつも祖父の傍らで父の事を考えていた。
父がどんな仕事をしていようとも家族が待つ家に帰らないというのはあまり良く無かったのだと今では少年だって理解できる。だが父は遊んでいた訳では無い。法に則った正義の仕事をしていたはずだ。それが報われて欲しい、と思うのがそんなに間違った事なのだろうか?
いくら考えても少年には答えは出なかった。父の死に方が、その生き方の集大成だったというのならば、法に従っても不幸になるだけという事になってしまう。
だが、父が正義にかける思いだけは本当に素晴らしいし、かっこいいと少年は思っていたのだ。
それを否定したくはないのだが、いくら考えても答えはでてきてくれなかった。
少年がその答えを身近の大人に求めたのは当然の事だった。時間を過ごすうちに、全く違うと見えていた祖父の中に父の面影を見た少年は、少し心が上向いてきた。そこである食事中に祖父に問いかけた。
「おじい様。法に従うというのは間違っているのでしょうか? 正しいのならば何故父は死ななければならなかったのでしょうか?」
「……法とは皆が平和に暮らす為のルールだ。しかし、時代と共に価値観が変われば、ルールも変化に対応する必要がある。わかるか? 絶対に正しい法は存在しない。しかしそれをないものとして扱っては、人の社会は成り立たない」
「法を守る事には一定の意味があると言う事でしょうか? では何故父は死んだのでしょうか?」
「運命論を語りたいのかい? 人の生の因果はそんなに綺麗に整ってなどいないよ。だけれども一つ言えるのは……あいつには力が足りなかったのかも知れないな」
「力、ですか?」
「法の正しさを上手に使う為にも力が必要なんだよ。だから、法の正しさに目が眩みすぎて、自分の力と誤解してはいけないと言う事さ」
「父は……法の正しさに頼りすぎたという事でしょうか?」
「自らが正しく正義であるという思いに突き動かされすぎると、足元が見えなくなることもある、と言う事さ」
「しかし逆に法を盾に使って悪事をするものもいます。父はそれで有罪にすることができずに、逆に殺されてしまいました。……つまり法とは、ツールに過ぎないと言う事なのでしょうか?」
そう言われた祖父は眦を下げて微笑んだ。少年は祖父がここまでの笑顔を見せたのを初めて見た。
「お前は聡い子だ。何が善で何が悪か。何が正しくて何が間違っているか。どれも正解があるものではないが、自分で必死に考えて答えを出そうとしている。法を絶対視もしていなければ、軽視もしていない。――そんなお前にならば、私は力を与えてあげられるかもしれない」
「力――ですか? 父には与えられなかったのですか?」
「あれは正義感が強すぎた。それではうまく使いこなせない力なのだよ。――我が一族に伝わる秘伝の力だ。どうかね、私の手を取るか?」
祖父から差し出された手を前に、少年は考えた。
いつの間にか部屋には二人だけになっていた。少年はまだ祖父が何を語ろうとしているのかは分かっていなかったが、父が決して踏み込む事ができなかった領域に、祖父の側へと歩み出そうとしている事だけは理解した。
そして――少年は手を伸ばした。
***
少年はそれから、祖父から一族秘伝の魔法を叩き込まれた。
そしてそれと同時に祖父の正体を知る事にもなる。それに対して少年が覚えたのは決して反発心や恐れでは無く。逆に大いなる夢と希望を抱かせる事になった。
少年が成長し祖父の手から離れた後。半世紀前に暗躍した人物の名を継承し"大怪盗"ラウルと名乗り、仲間と共に各地で活躍してその名が売れ始めた所から、物語は始まる。




