13.αとΩとβの結末
ローゼンディア家の錚々たる面々の前に跪き、ディセルとニコは今まさに朗々と結婚の報告を終えたところであった。ディセルは鼻息荒く、子供が初めての狩りの成果を自慢するかのように嬉々として、父や兄から褒められ待ちの体勢でいる。
ニコはというと、もっと緊張するかと思っていた事前の不安も今や吹っ飛び、ただ目の前の光景に瞠目してあんぐりと口を開けていた。
あのシュネーが、現当主であるディセルの父親の隣にぴったりと張りついて、しなだれかかっているのだ。
ディセルの母親は数年前に既に逝去している。寡夫として家や領地を治めていた父は、温厚で物腰の柔らかい、引退を見据えた中年であったはずだ。それが今やギラギラと、目も肌もすっかり若返ってシュネーの腰を抱いているのだから、さすがに呆れてしまう。
ニコの視線に気づいたシュネーは、ペロリと舌を出してこっそり笑って見せた。そうだ、「家の実権を握れる立場が欲しい」と彼はのたまっていた。いずれ握りたい、ではなく。
次期当主の4番目の妻の座などで、あの悪魔のごときΩが満足できるわけも無かったのだ。屋敷中に濃厚なフェロモンをあえて振り撒いていたのは、ディセルでもハインツでもなく、当主を標的にしていたからに他ならない。
あれが義理の母になるのかよ……
ニコは眉間を押さえた。
だがそのおかげか当主は、平民βのニコに対しても思いの外好意的になっていた。ニコの知らぬ間に、東方より連れ参ったのは息子の結婚相手ではなく、当主本人の再婚相手となるべく麗しのΩだった、という話に見事にすり替わってしまっているようだ。皆がそれでいいならまあ、こちらも別に構わないのだけれど。
ちなみに現在は、兄ハインツやその夫人たちから恭しい祝福の言葉を順番に頂戴している最中である。あまりきちんと聞いていなかったが、ニコのように聡明なしっかり者がディセルの手綱を握ってくれるなら何よりだ、というような内容が何度も表現を変えつつ述べられている。ヘラヘラ喜んでいるディセルは、言葉の真意を果たして理解できているのだろうか。
意外とβであることは咎められないものだなあとニコが拍子抜けしていたとき、第2夫人がおっとりと微笑みながら言った。
「おめでとうございます。ところでディセル様には、Ωのフェロモンがあまり効かないのかしら?」
いささか無作法な問いではあったが、確信犯であろう。夫であるハインツを横目に映し、第2夫人は次にシュネーのほうをチラリと見やった。
「……ゴホン」
気まずそうにハインツが口を押さえて咳をする。よほど近頃シュネーのフェロモンに惑わされていたに違い無い。便乗した第1夫人にまで睨まれてしまっている。上級αがこうもやり込められている姿は貴重だし、案外滑稽だ。こうして見ると、兄弟で似たところもあるのかもしれない。
だが、ディセルは真剣な顔でしばし思案して、また家族のほうに向き直った。
「シュネーが……、あっ! いやっ! は、義母上?シュネー様?が、本気でフェロモンを出しておられたら、オレはひとたまりも無かったと思います。でもシ、シュネー様はヒートのときには自室に籠り、お1人で薬で耐えておられました。最初から、オレを落とす気は無かったのでしょう」
元婚約者候補にして今や父親の再婚相手となった男を何と呼ぶべきか、言葉遣いにも戸惑いながら、ディセルは赤裸々に答えた。
そんなことがあったとは知らなかった。Ωのヒートとは相当につらいものだと聞く。ヒートにあてられたαもまた、耐え難いほどの欲求を誘発されてしまうとか。ディセルはさらに続ける。
「それにオレには、Ωのフェロモンよりもβのフェロモンのほうが魅力的なのです!」
「βの……?」
「βにフェロモンが?」
「まさか」
ザワザワと辺りはざわめいた。
待て。嫌な予感がしてニコは顔を引き攣らせた。しかしディセルの勢いは止まらなかった。
「風呂に入っていないニコは汗臭いのです! その臭さがたまらなくて!」
やめろあほ坊!!
それはフェロモンじゃない、ただのマニアックな性癖だ!!
ズラリと並ぶ美しく優れたαやΩたちからクスクスと笑われて、ニコはこの場から消えてしまいたい衝動に駆られ頭を抱えた。当主も笑っているが、シュネーに至っては足をバタつかせてまで大爆笑している始末。……あの野郎。
次に第3夫人ファルファラが、まだ笑いの余韻を残したまま祝辞へと移った。恥ずかしくて顔を上げられないニコをひとまず放置して。
「おめでとうございますディセル様、ニコ。フフ、きっとこうなるだろうと私は思っておりましたよ。だってディセル様はもうずーっと長い間、ニコのことが大好きでしたもの、ね?」
「え」
「え」
咄嗟にニコは、そしてディセルも、意外な顔をして聞き返してしまった。初耳だが? しかし優美な笑顔を浮かべてファルファラは、そっとディセルとニコをそれぞれ指し示すように両手を前へ掲げた。
「ニコが来た頃からディセル様は、薄茶色や空色ばかりを身につけるようになりました。それはニコの髪と瞳の色だからでしょう?」
「え」
「え」
またしても芸も無く1文字ずつ、2人は揃って声をあげる。ファルファラはさらに鷹揚と加えた。
「それにニコのそのブローチの赤い石は、ディセル様のお色だわ。愛する人の色を纏いたい、愛する人に自分の色を纏わせたい。……ディセル様って、とってもロマンチストなのね」
「……」
「……」
とうとう声の出なくなったニコとディセルは、互いに顔を見合わせ赤くなってしまった。
ディセルの様子からして、どうやら無自覚だったらしい。ディセル本人にもニコにも特に似合いもしない色を選んでいた理由にまさか、そんな真相が隠されていたなんて。ファルファラの慧眼には驚かされる。
正確にはニコの髪も瞳も、ディセルの服や宝石ほどキレイな色をしているわけではない。ただ、生まれつきニコは全体的に色素が少し薄いのだ。これまで自分では、薄らぼんやりとした曖昧な色味だとしか認識していなかったのだが。
逆にディセルは、赤みが艶めいて流れる髪色に、陽の光に当たったときだけ深い赤を内包して光る瞳が、どちらも実に美しい。そうか、このブローチはディセルの色であったのか。下町でボロ着につけていたときのようにすぐに下を向いてしまうわけではないけれど、ニコは手癖でつい、ブローチをクイッと上へ向けて笑みを漏らした。
「何とも似合いの組み合わせだな。2人の子が出来るなら見てみたかったが、まあ致し方無い」
当主が微笑ましそうにこちらを見て笑い、何度か頷いた。
「父上、孫ならもうこんなにいるではありませんか」
「ハハハ、そうだな」
すぐにフォローを入れてくるハインツの気遣いには感謝だ。実際、ハインツと夫人たちの後ろにも、弟妹たちのそばにも、たくさんの子供が好奇心を憚ること無く勢揃いしてニコを見つめている。小さくとも誰もがαばかりだ。母は皆Ωだし、βが身内になる事態はさぞ珍しかろう。しかし世継ぎとしては充分過ぎる人数である。
もちろん子を成せない負い目は今もある。しかしそれでも良いとあっけらかんと告げてくれたディセルの言葉を、ニコは信じるしか無い。
するとそこへ、悪魔を優に超えてもはや魔王のような貫禄すら携えたシュネーが、当主の耳に唇を触れさせながら囁いた。囁きというにはいささか大きな声であったけれど。
「でも、強いαの精をたっぷりと注ぎ込まれたβが、後天的にΩへ属性変異した例もあるそうですよ? これからディセル様に思う存分愛されれば、もしかしたらニコも……、なんちゃって♡」
おい、ジョークにすら色香を発生させて官能話へ発展させるんじゃない。子供もいるんだぞ。
そもそもバースの二次変異なんて、運命の番以上に根拠の無い与太話だろう。呆れて溜め息を吐きながら、シュネーに非難の目を向けるニコ。
だがその隣では、……ああ、そうだった。性にはとことん初心で純真なディセルが、ハクハクと口を何度も開閉させ、ブローチの石よりも真っ赤になりながら涙ぐんでいた。
かわいそうに、なんてカワイイんだ。
2つの心が同時にニコの胸をギュンと突き刺してくる。こうなるともう、シュネーには負けていられない。ついつい意地悪をしてしまいたくなるんだよな、この人には。
「どうぞ。受けて立ちますよ、旦那様?」
「……ヒィ」
ニコの扇情的な煽りに短い悲鳴をあげ、ディセルはプシュウと頭から蒸気を発してへたり込んでしまった。
◇ ◇ ◇
- epilogue -
「ニコ、下町へは行かなくていいのか?」
「部屋はもう引き払いましたからね。……ですがまあ、第1夫人から軽い頼まれごとがありまして、近々人探しの仕事を再開するかもしれません」
「そうなのか?」
「私には他に取り柄も無いですし、徐々にでも」
指南書のようなむず痒い手順を踏みながら少しずつ、ディセルとニコの仲はそれなりに順調に進展していた。βからΩへ変異しそうな気配は当然ながら微塵も無いが、ニコは案外幸せな今の自分を気に入っている。
「……下町では、もう暮らさないのか?」
けれどもディセルは、何だかソワソワと言葉を濁す。何だ? 下町へ行かせたいのか?
倦怠期にはまだ早いだろうとムッとするニコだが、頬を染めてはにかむディセルに、はたと思い立って眉を吊り上げた。
「あなたまさか……、下町の汗臭い私のほうがいいんじゃ……」
「ちっ、違う!!」
その性癖は是非とも封印していただかなければ困る。
まだ睨みつけているニコへチラチラと目線を寄越しながら、ディセルは小さく呟いた。
「……ニコには自由に生きて欲しいんだ。従者として優秀だったのは確かだが、今はオレの妻だ。窮屈な思いはさせたくない」
「ディセル様……」
「あ、あと……」
「……ディセル様?」
うっかり感動しかけたニコに、ディセルは恥ずかしそうに告げる。
「……オレに怒鳴っていたニコも、好きだ」
「ん?」
怒鳴ったか? ……怒鳴ったな。下町の面々の空気に引きずられて、そういえばそんなこともあったかもしれない。
「ディセル様……、αでドMって珍しいですね」
「ちちっ、違あーーーう!!!」
大声でしきりに「自由なニコが!」「自然体なニコが!」と繰り返しているが、果たしてどうだろうか。もしも本当にドMなら今夜、してあげられることもわんさとあるが。
「違うぞニコ、愛ゆえだぞ!!」
「ハイハイ」
「おまえもっと敬えオレを!!」
「結婚すれば身分は対等なんでしょう?」
「妻としてだ!! 夫だぞオレは!!」
「ハイハイ、……アハハ!」
後半はもう、笑ってしまって駄目だった。いっしょに暮らしていると、毎日こうしてつい笑わされてしまう。幼い頃からあまり声をあげて笑うタイプでは無かったし、そもそもニコは最初ただ、彼の『運命のΩ』を探していただけだったはずなのに。
どうしてこうなった?
「私も愛していますよ、私だけのα様」
fin.




