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第89話:科学的管理法の死角、忠誠心という重圧は計測できない

 ギルド長の執務室。


 昼の休憩を挟み、俺とラテリスは応接用のソファに戻っていた。

 午前中に片付けたのは、現場の実態と乖離していた査定基準の問題だ。

 だが、まだ確認すべき事項は残っている。


「査定基準の件はこれで一段落つきました。ここからは、別の課題についてお話しさせてください。人員配置と、それに伴う現場の疲弊についてです」

「はい」

「その前提として、まず確認しておきたいことがあります」


 俺は言葉を選びつつ、切り出した。


「この支部には、ラテリスさんのご実家であるイルデイン家の使用人の方々が働いていますね。その理由を伺ってもよろしいですか?」


 第7支部に足を踏み入れた時から、ずっと気になっていたことだった。

 冒険者ギルドの制服に混じって、洗練された執事服やメイド服を着た人間がいる。制服というものは、組織への帰属意識を高め、指揮系統を明確にするためのツールだ。そこに全く別の組織の制服が混在している状況は、ガバナンスの観点から見ても、指揮命令系統に混乱をきたすリスクがある。


 ラテリスは、表情を変えることなく説明を始めた。


「着任した当初、私は護衛や身の回りの世話のために、実家から数名の使用人を連れてきておりました。五大貴族の人間が外に出る際の、最低限の随行です」

「はい。事情は承知しています」

「着任後、支部の現状を把握した結果、私は職員の半数以上を入れ替えないことには改革が進まないと判断しました。ですが、一度に半数を解雇すれば、当然ながら日常の業務が回りません」


 リストラにおけるジレンマだ。

 腐った木材を建物の構造から取り除くのはいいが、代わりの柱を入れなければ屋根は崩落する。BCP──事業継続計画としては当然の懸念だ。


「本部に人員の補充を要請しましたが、すぐには手配がつかないとの回答でした。第4支部から1名、熟練の鑑定士を回せるということだけが決まりました」

「なるほど、新規採用で未経験者を補充したとしても、教育が追いつきませんからね」

「はい。教える側にも、ある程度の能力と余裕を持った人間が必要になります。そこで、私に随行していた、じいや──家令が『私たちをお使いください』と提案したのです」


 じいや。

 異世界とはいえ、リアルでその名称を聞くことになるとは。ラテリスは正真正銘、本物の貴族の令嬢なのだと、ようやく実感した気がする。こんなことで。

 家令とは確か、貴族の家事や領地管理の隅々までを取り仕切る、いわば執事のゼネラルマネージャー職か。


「イルデイン家の使用人は、公爵家に仕えるため、幼い頃から高い教育を受けております。素材の鑑定、書類の処理、倉庫の在庫管理など、ギルドの業務をこなすための基礎能力は十分に備わっていました」

「それで、必要な人数の使用人を実家から呼び寄せたわけですね」

「はい。人員整理と補充を、業務を停滞させることなく行うための措置でした。ギルドからの人件費は発生しませんので、コスト面でも合理的だと判断したのです。もちろん、本部への確認は取っています」


 実家からの無償の労働力提供。

 企業経営の観点から見れば、究極のアウトソーシングだ。俺がいた世界であれば、偽装請負や下請法違反を疑われかねないグレーな運用だが、ここは中世的な身分制度が残る異世界である。『家』への忠誠心に基づく奉仕活動と言われれば、法務的にも突っ込みどころはないのだろう。

 だが、ラテリス本人の口から経緯を聞けば、非常事態における合理的なリソース確保であったことは理解できた。


「これは、新しいギルド職員が採用され、教育が済むまでの一時的な措置です。執事服やメイド服のままで業務を行っているのは、ギルドの正規職員ではなく、あくまでイルデイン家からの出向者であるという一線を引くためです」

「徐々に正規の職員に入れ替えている最中、ということですか」


 派遣社員と正社員の区別を、服装で視覚化しているわけだ。

 期間限定の措置として入れ替えを進めている以上、問題を放置しているわけではない。むしろ、出向者であることを視覚的に明示しているのは、組織としての線引きが意識されている証拠だろう。


「その提案をした家令の方は、今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「着任直後に各職員の業務処理時間を計測する作業を実施した後、実家の屋敷へ帰ってもらいました」


 ラテリスは、わずかに視線を落とした。


「じいやは私が生まれた時から見守ってくれており、少々私に対して甘いところがあるのです。ギルドの改善を進めるにあたり、じいやが私を庇い、他の職員に対して威圧的な態度を取る懸念がありました。必要な計測業務が終わった段階で、引き上げてもらったのです」


 身内に対する情と、組織の規律を天秤にかけ、後者を選んだわけだ。

 その判断力には感心するが、同時に彼女自身の口からこぼれた言葉に、彼女が抱える矛盾が透けて見えた。


「やむを得ないとはいえ、私自身が使用人たちに甘えていることは自覚しております。もっと早期に入れ替えるはずが、彼らが優秀なあまり、依存してしまっていますね」


 ラテリスは、自戒を込めるように言った。


「ご説明、ありがとうございます。事情はよく理解できました」


 俺は頷くと、話の核心へと踏み込んだ。


「では、現在の人員配置について教えてください。着任時に業務処理時間を計測されたとのことですが、それをベースに人員配置をされているということですか?」

「はい。各鑑定士の処理速度は、着任時にじいや──家令が個別に計測しました。その結果を元に、時間帯ごとの予測件数に対して、必要な人員を配置しています」

「予測に対して、時間的な余裕は設けていますか?」

「もちろんです。計測した処理時間と、時間帯ごとの予測件数から必要な人員を設定しています。鑑定士一人あたりの持ち時間にはある程度余裕を持たせており、常に限界まで詰め込むような配置にはしておりません」


 ゆとり(バッファ)がある。

 俺は、ルキアンが鑑定を打ち切るに至ったのは、ラテリスの最適化された人員配置に時間的な余裕が少なくて、負荷が集中した際に問題が起きたのだと考えていた。


 だが、現実は違った。

 ラテリスの構築した仕組みは、労働安全衛生の観点から見ても、人間の不確実性をある程度考慮し、安全係数を掛けた設計になっていたのだ。仕組み自体には、ルキアンを追い詰めるような構造的な欠陥はなかった。


 では、彼は何故、時間に追われているような焦燥感に(さいな)まれたのか。

 俺は思考を巡らせて、与えられた情報を並べ替え、繋ぎ合わせた。


 各鑑定士の処理速度は、家令が個別に計測した。

 家令。じいや。五大貴族の老執事。

 ルキアンは、イルデイン家の使用人だ。

 確か、以前ルキアンから直接話を聞いた時は、『時間がかかりそうだと思った時は、頭の中に時計の針の音が聞こえてくる』と言っていた。


 …………。

 ……。


 一つ、思い当たる可能性があった。

 それは、時間観測(タイムスタディ)という手法そのものが持つ、負の側面だ。

 管理者側が測定器を持って労働者の横に立ち、その一挙手一投足を計測する科学的管理法。これは工場の生産効率を劇的に向上させた一方で、現場の労働者に強い心理的圧迫を与えたという事例がいくつもある。


 家令である老執事が、自分の背後に立ち、懐中時計を片手に無言で時間を計っている。その重圧は、ただの業務評価の枠に収まるものではない。それは、自分が仕える家そのものから値踏みされているようなものだ。

 この世界の主従関係は、俺の知る上司と部下の関係よりも遥かに深い。忠誠を誓った家の期待に応えられないという恐怖は、俺には想像もつかない。


 監視されていると分かれば、人は普段と同じようには動きにくい。厄介なのは、計測が終わった後も『あの時の速度を維持しなければならない』という強迫観念が残り続けることだ。

 ルキアンの場合、普段はそれが集中力として機能していたのだろう。時計の針の音が聞こえると手早く処理を終えられると、彼自身が言っていた。

 だが、それは薄氷の上の均衡に過ぎなかった。イレギュラーが重なり、初めて処理が追いつかなくなった瞬間、集中力を支えていた同じプレッシャーが、一気に焦燥へと反転したのだろう。


「ラテリスさん。私も、この件では見立てを誤っていたようです」


 俺は率直に切り出した。


「ルキアンから直接話を聞いた時、私は人員配置に、時間的な余裕が少ないことが原因だと考えました。ですが、あなたの説明を聞く限り、仕組み自体には問題がありませんでした」

「はい。ですので私は、ルキアンの適性に問題があるという判断をしました。では、何が問題だったのでしょうか?」

「可能性としては、時間計測そのものです。家令の方が、職員一人一人の処理速度を個別に計測しました。その行為が、彼の中に『あの速度を下回ってはならない』という無意識の基準線を刻み込んでしまった可能性があります」

「計測については、適正な人員配置を行うための手段に過ぎないと考えていました。その結果を元に、余裕を持たせた配置を行ったつもりです」


 一拍置いて、彼女は続けた。


「ですが、計測される側の人間が、その行為をどう受け止めたのかまでは、考えが及んでいませんでした」

「これについては、計測を行ったのが家令の方だったことが影響しているかもしれません」


 俺は慎重に言葉を選んだ。


「ルキアンさんはイルデイン家の使用人です。一般のギルド職員が上司に計測されるのとは、意味合いが違います。家令の方に測られるということは、彼にとっては家への忠誠そのものを試されているように感じたのではないでしょうか」


 ラテリスは、わずかに視線を落としたが、すぐにこちらへ向き直った。


「じいやは、ルキアンたちのことを幼い頃から知っています。厳しくも温かい人です。仰る通り、ルキアンにとっては期待を裏切れない相手だったのかもしれません」


 彼女は自分の家令を『甘い』と評していた。だが、その甘さはラテリスに対してのものだ。使用人たちに向けられる視線は、当然ながら別のものだっただろう。


「はい。仕組みには問題がなく計測の結果も正確でした。ですが、計測という工程そのものに、意図せず人を追い詰める要素が含まれていた。これは、数字だけを見ていては見えない問題です」


 俺自身も同じ罠にはまってしまった。仕組みに問題があるはずだと当たりを付けて、人員配置の余裕を疑った。

 だが、本当の原因は設計図の外側にあった。計測という行為が人間の心に刻んだ見えない傷。それは、帳簿にも配置表にも、どこにも記載されない種類の問題だ。


「今回の件で言えば、ルキアンを配置替えにしたこと自体は、結果的には正しい判断だったのかもしれません。あのまま同じ業務を続けていれば、いずれもっと深刻な形で問題が表面化していた可能性もあります」

「ですが、カツラギさん。この件については、根本の問題が解決していませんね」


 あの時の裁定は即決だった。理由を問わず、結果だけを見て処置を下した。それがラテリスのやり方だった。

 今は、その判断の裏側にあったものを、自分の目で見ようとしている。


「私は、ルキアンと直接話をしようと思います。あの時は、理由を伝えただけでしたから」


 俺が指摘するまでもなく、彼女は自分でその結論に到達していた。


「本日の業務が終わった後、時間を作ります」


 人間を見ず、数字と効率だけを追い求めていたラテリスが、自分から人と向き合おうとしている。トップダウンの指示ではなく、一人の職員の問題として、対話を試みようとしているのだ。


「はい。それがいいと思います」


 俺が肯定すると、ラテリスは何かを考えるように黙ったが、やがて口を開いた。


「……カツラギさんでも、考え方を間違えることがあるのですね」


 それは非難ではなく、純粋な発見のように聞こえた。

 あるいは、少しだけ安堵したような響きすらあった。


 他人に厳格なロジックを求める俺自身が、実は大したことのない先入観で事実を見誤っていた。

 俺も完璧な人間ではない。間違えたら、それを認めて修正すればいいだけだ。


「はい。私も自分の経験則に頼りすぎて、目の前の情報を正しく読み取れていませんでした。結局のところ、仕組みを設計する側の人間も、定期的に自分の前提を疑う必要があるということです。午前中に言った、作って終わりにできる仕事はないというのは、私自身への戒めでもあります」


 室内に、短い沈黙が降りた。

 お互いの不完全さを開示し合ったことで、どこか静かな落ち着きが生まれたのかもしれない。


「人員配置については、どうするべきだとお考えでしょうか?」

「時間計測による直接的な管理は廃止して、自己申告制に切り替えることを提案します」


 俺は代替案を提示した。


「鑑定士が自分のペースで作業を行い、その処理時間を計測します。管理側は、その集計データから全体の傾向を把握するだけにとどめます。個人を監視するのではなく、全体を見守る。異常があれば個別に声をかける運用です。第9支部でも、この方法を取り入れています」


 監視のコストを削り、信頼に基づく自律的な運用へ切り替える。長期的なモチベーションの維持には、こちらのほうがはるかに有効だ。


「自己申告では、正確な数値が得られない可能性がありませんか?」


 ラテリスが懸念を示した。管理職としては当然の疑問だ。性善説だけで組織は回らない。


「着任時の計測で、各鑑定士の基本的な処理能力はすでにデータとして残っています。それを参考値として持っておけば、自己申告との間に大きな乖離があった場合、すぐに分かります。それに、今残っている鑑定士たちなら、信頼できるでしょう」


 午前中の査定所で、彼女自身が確認したはずだ。

 人員整理を生き残った彼らは、真摯に業務と向き合っている。彼らを信じることが、今のこの組織には必要だった。


「承知しました。その方向で、運用を切り替えます」

「人員配置の件についてはこれで解決に向かうでしょう。ですが、もう一つだけ、考えていただきたいことがあります」


 ここまでの改善は、いずれも仕組みの話だが、仕組みだけでは解決できない問題が残っている。


「等級化の問題も、ルキアンの件も、現場の人間は問題を感じていたにも関わらず、あなたに対して声を上げることができませんでした。これは、単なる仕組みの問題だけではありません」


 定期的な意見聴取の場を設けるなど、ルールの整備による対応はできる。

 だが、それだけでは不十分だ。声を上げられない理由が、もっと根深い場所にあるのだとすれば、仕組みの改善だけでは手が届かない。


「それは、私自身も自覚しております。私がギルド長であること以上に、イルデイン家の出身であることが、職員たちを萎縮させているのかもしれません。ですが、私は権威を振りかざすような態度を取った覚えはありません。何故、彼らは声を上げないのでしょうか」


 権威を振りかざしていないのに声が上がらない。それは、振りかざすよりも厄介な問題かもしれない。

 何が現場との間に壁を作っているのか。


 俺は考えを整理した。

 ラテリスは威圧しているのではない。

 むしろ逆だ。完璧すぎるのだ。隙がなく、感情が見えず、常に正しい判断を下す上司。そういう人間に対して「実は困っています」と声をかけるのは、想像以上にハードルが高い。

 人が意見を言えるのは、相手が聞いてくれるかもしれないと思えた時だ。彼女は、受け入れる余地のようなものが、外からは見えにくいのかもしれない。


 核心に近づいている気はするが、まだ何かが足りない。

 ラテリスの何が人を遠ざけているのか、もう少し具体的に言語化する必要がありそうだ。


 俺は黙って、ラテリスの顔をじっと見つめた。

 白磁のように整った顔立ち。金色の瞳は澄んでいるが、そこに浮かぶ感情の気配は薄い。形の良い唇は引き結ばれ、眉の一本に至るまで、微動だにしていない。


 美しい。

 だが、それは彫像の美しさだ。完成された造形でありながら、温度がない。

 いくら見つめても、そこから感情の揺らぎを読み取ることはできない。

 彼女の顔からは何も読めない。賛成なのか、反対なのか。怒っているのか、困っているのか。何一つ、手がかりがないのだ。


 数秒の沈黙の後、ラテリスが視線を逸らした。


「……何でしょうか?」

「いえ、すみません」


 俺は確信した。

 権威でも、態度でもない。

 彼女は、笑わないのだ。


 常に無表情で、感情を見せない。

 何を考えているのか分からない上司は、部下にとって接しづらいものだ。怒っているのか、評価しているのか。非言語のコミュニケーションが欠落した人間は、相手に不安を抱かせる。それは、案内板のない巨大な建物の中を歩かされるようなものだ。どこに何があるか分からないから、誰も自発的に動こうとしない。


 だが、俺がそれを指摘しても、彼女はどうすればいいのか分からないだろう。感情の表現方法は、マニュアルを見てすぐにできるようなものではないからな。


「この件については、私に心当たりがあります。今日の終業後にお時間をいただけませんか?」

「はい。ルキアンとの面談の後でよろしいでしょうか」

「もちろん。そちらが先です」


 査定基準に、人員配置。仕組みの問題は一つずつ改善を進められた。

 最後の課題だけは、仕組みでは解決できない。ラテリスという人間そのものに関わる問題だからだ。


 これに適した人材が、この第7支部に一人いる。

 明日、『彼女』に頼むとしよう。


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