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第83話:シャドーエコノミーの形成、正論で腹は膨れない

 馬車が停まった。


 御者が扉を開けると、鼻を突くような独特の匂いが流れ込んできた。多種多様な薬草を煮詰めたような植物の青臭さと、微かな甘みだ。

 馬車を降りると、目の前には飾り気のない石造りの建物が佇んでいた。ここがベレンテの工房か。


 後ろの馬車から、ラテリスが降りてきた。彼女の両脇には、執事服を着た2人の使用人が控えている。

 先導するイエナリーラに続いて、俺たちは建物の内部へと足を踏み入れていった。


 建物の中は、細長く伸びたワンフロアの空間が広がっていた。石造りの床には等間隔に巨大な調合釜が据え付けられ、白い湯気を上げている。壁際には床から天井まで届くほどの棚が並び、薬草の束や色とりどりの液体が詰まったガラス瓶が、種類ごとに規則正しく収まっているのが見えた。


 数人の従業員たちが釜を見張り、あるいは素材をすり鉢で粉砕している。彼らは俺たちという異分子の訪問に気づいても視線を向けただけで、すぐに作業に戻っていった。

 私語はないが、第7支部で感じたような無機質な静けさとは違う。それぞれの工程が滞りなく流れていく、活気ある生産現場特有の規則正しいノイズだ。


 違法取引の元締め。そう聞いて、てっきりスラムの裏路地にあるような薄暗いアジトを想像していたが、とんだ見当違いだった。作業通路には物が置かれておらず、熱源である釜の周辺には十分な安全距離が確保されている。ここは安全衛生管理が敷かれた、極めて真っ当な工房だな。


「お待ちしておりました。私がベレンテです」


 奥から、一人の男がこちらへ歩いてきた。

 40代ぐらいだろうか。着古した革のエプロンを身につけ、袖口をまくり上げた腕は太く日焼けしている。髪には少し白いものが混じり、目元には年齢相応のくたびれた影が落ちていた。長年同じ仕事を続けてきた人間特有の、地に足のついた落ち着きがあるように見える。

 彼が、この加工場の責任者であり、第7区の裏の流通を取り仕切る男、ベレンテか。


「急な訪問に応じてもらい、感謝する」

「とんでもない。立ち話もなんですから、奥へどうぞ」


 シヴィリオが簡潔に告げると、ベレンテは俺たちを工房の奥へと案内した。

 通路の突き当たりにある部屋の前で立ち止まると、彼は扉を開けた。


 そこには、すでに先客がいた。

 革の鎧を着た若者たちが3人、壁際に固まるようにして立っていた。おそらくは第7区を拠点とする冒険者たちだ。

 彼らは俺たちの姿を見るなり、警戒と畏れが入り混じったような視線を向けてきた。


「彼らも同席させてもらいます。昨日お話しした通り、素材を持ち込む冒険者の声も聞く必要があるでしょうから」


 ベレンテは落ち着いた声で、部屋の奥にある長椅子を勧めてきた。

 俺とラテリスが座ると、シヴィリオとイエナリーラは壁際に立った。ラテリスの使用人たちは扉の内と外に一人ずつ控えている。


「これからの聞き取りは、このカツラギ殿が担当する」


 シヴィリオが切り出すと、ベレンテと若者たちの視線が一斉に俺へと集まった。


「彼は第9支部の職員のため、第7支部の人事権は持っていない。貴君らはありのままを話してくれればいい」


 利害関係のない第三者を前面に立てることで、相手の警戒心を解き、心理的な逃げ道を用意してやる。実務を知り尽くした監査官ならではの手回しだった。事前の取り決め通り、彼はあくまで観察者に徹し、この場の主導権を俺に委ねるつもりのようだ。


「では、ベレンテさん。単刀直入に伺います」


 俺が口を開くと、室内の空気が一段と張り詰めた。


「この第7区において、ギルドを通さない素材の直接取引が行われていると聞いています。そして、あなたの工房がその取りまとめを行っていると。それは事実ですね?」


 ベレンテは目を逸らすこともなく、真っ直ぐに俺を見て頷いた。


「はい。事実です」

「どの程度の規模で行われているのでしょうか?」

「全容を正確に把握しているわけではありません。ですが、少なくない数の業者が、何らかの形で直接取引に関わっているはずです。体感としては、第7区で商いをしている加工業者の、およそ3割といったところでしょうか」


 およそ3割。

 区の経済そのものがギルドから完全に離脱しているような数字ではない。

 だが、決して『一部の不届き者による小遣い稼ぎ』と切り捨てられる規模でもない。


 先日、ギルドからの追加発注を打診した業者の大半が断ったという報告があった。その全てが、違法取引との関与によるものというわけではなかったのだろう。単純に急な増産に対応できるだけの余裕がなかった業者も混ざっていたはずだ。

 そのノイズを差し引いたとしても、3割という業者が正規のルートを外れている現実は重い。これは個人の倫理観の欠如ではなく、明らかに構造的な問題として扱うべき数字だった。


「その取引はどこで行われていますか?」

「うちの工房の裏手にある、空き倉庫を開放しています。そこで業者が自分の目で素材を確かめて、冒険者と直接価格を交渉して買い取っています。私はただ場所を提供して、揉め事が起きた時の仲裁に入っているだけです」


 それは実質的に市場の管理者だな。法を犯している自覚がありながら、それでも秩序を保とうとしているわけか。


「王都の法に触れる行為であることは、ご承知のはずですね?」

「はい。理解しています」

「では、何故ですか?」


 俺はベレンテの目を見据えた。


「何故、法を犯すリスクを背負ってまで直接取引に踏み切ったのですか?」


 俺の問いに答えたのは、ベレンテではなかった。壁際に立っていた若い冒険者の一人が、たまらないといった様子で身を乗り出した。


「ギルドの査定が厳しすぎるんだよっ……!」


 絞り出すような声だった。若者の手は、怒りか恐怖か、わずかに震えている。


「俺たちは命懸けでダンジョンに潜って、素材を獲ってきてる。なのに、前の基準なら普通に買い取ってもらえた状態の物でも、等級ってのを落とされる。酷い時には『規格外』だって突っ返されるんだ」

「等級を落とされたら報酬は減る。突っ返されたら、その日の稼ぎが十分に得られない時もある。割に合わないって、別の区の支部に行っちまった奴らもいるんだ」


 別の冒険者が、吐き捨てるように続けた。

 彼らの言葉に、俺はラテリスの顔を横目で見た。彼女は姿勢を崩すことなく、冒険者たちの声に耳を傾けている。


 事の背景が見えてきた。

 ラテリスが導入した厳格な品質基準。納品される素材の規格を一定以上に保つこと自体は、品質管理の定石だ。問題は、その基準が現場の実態からどれだけ離れていたかだ。


 表面に多少の傷があろうと、実用上は問題ないだろう。

 だが、マニュアルに書かれた『規定の状態を保っていること』という表面的な仕様(スペック)だけが絶対視され、本来の『加工品の材料』という目的が見失われているのだ。

 手段の目的化。品質保証の厳格化が現場の実情と乖離し、過剰な品質を要求するだけの形骸化したルールに成り下がっている。


「クエストの達成者が減れば、我々業者に回ってくる素材の総量も減ります」


 若者たちの言葉を引き継ぐように、ベレンテが口を開いた。


「冒険者たちがせっかく素材を持ち帰っても、ギルドの窓口で弾かれる頻度が増えました。これでは、我々は安定した仕入れができません」


 彼は小さく息をついた。


「ギルドにクエストを出しても、受けてくれる者が減りました。我々は冒険者を繋ぎ止めるために、クエストの報酬額を引き上げるしかなかったのです」


 ラテリスは、良質な品質の素材しか流通させないという強固な実績を作った結果、業者からのクエスト報酬額が引き上げられ、支部の価値が上がった証拠だと分析していた。だが、実態は全く逆だったのだ。

 供給不足によるインフレと、下請けである業者が身銭を切って行っていた延命措置。現場の悲鳴を、業績の向上と誤認する。売上が伸びていると喜んでいたら、実は値上げで客数が減っていただけだった、というやつだ。数字は嘘をつかないが、読み方を間違えれば真実を隠す道具にもなる。


「始まりは、ほんの小さなことだったんです。ひと月ほど前でしょうか。ギルドで規格外とされて弾かれた素材を持った冒険者が、捨てるぐらいなら安くていいから買ってくれないかと持ち込んできました」


 それは、ギルドの定規で測れば『不適合品』だったのだろう。


「うちの釜に入れれば、十分に質の良いポーションになる素材でした。最初は、断りました。王都の法に触れることは分かっていましたから。ですが、同じような相談が日増しに増えていったんです」


 ベレンテの語り口には、義憤も、自己正当化も感じられなかった。

 この男の人柄が分かった気がする。法を犯すと分かっていて、最初はちゃんと断った。断った上で、それでも受け入れざるを得なくなった。その葛藤の重さは、想像に難くない。


「業者が自分の目で見て、使えると判断すれば取引は成立します。ギルドの画一的な基準ではなく、それぞれの用途に合わせた判断です。そうすれば、冒険者は報酬を得て飯が食えるし、我々業者は必要な素材を確保して店を回せます」

「だから、場所を提供したのですね」

「はい。最初はうちの裏手だけでしたが、他の業者も自分の倉庫を開放するようになりました。私が主導したわけではありません。皆、生活を守るために、自然とそうなっていったんです」


 悪意など、どこにもなかった。

 誰もギルドを陥れようなどとは考えていない。彼らはただ、厳しくなった基準の中で生活を守るために、自分たちなりの方法を見つけただけなのだ。


「一つ、確認させてください」


 俺は、核心となる問いを口にした。


「先日、ギルドから各業者に対して、近隣支部の有事に備えた在庫の提供要請がありました。純粋に余裕がなかった業者もいたでしょうが、それでも大半が要請を断わっています。在庫はあるはずなのに、何故応じなかったのでしょうか?」


 ベレンテは苦渋の表情を浮かべた。


「それは……出せなかったんです。直接取引で仕入れた素材から作ったポーションを、自分の店で売る分には出所を問われることはありません。ですが、ギルドという公的な機関に卸すとなれば話は別です。納品時に、必ず記録が残りますから」


 なるほど。現代の商流で言うところの、追跡可能性(トレーサビリティ)の問題だ。

 正規の伝票が存在しない、帳簿外取引で作られた製品。それを一次問屋であるギルドに納入してしまえば、監査が入った際に『不正規な製品』だと露呈する可能性がある。


「私一人が処罰されるだけなら構いませんが、素材を売ってくれた冒険者たちまで処罰の対象になるかもしれなかった。彼らを巻き添えにするわけにはいかなかったんです」


 業者は、ギルドからの発注を悪意を持って断ったのではない。

 法令遵守(コンプライアンス)違反の発覚を恐れ、納品することができなかったのだ。


 部屋に沈黙が落ちた。

 ベレンテの告白は終わった。若き冒険者たちは、すがるような、あるいは諦めきったような目でこちらを見ている。


 俺は、隣に座るラテリスを見た。

 彼女は表情一つ崩さずにベレンテを見つめている。その事実に対して何を思っているのか、横顔からは全く読み取れない。

 ラテリスのルール至上主義からすれば、情状酌量の余地などなく、即座に業務停止を命じるべき場面なのかもしれない。

 だが、彼女は口を開かなかった。ただ、重い沈黙だけがそこにあった。


 俺自身も、すぐには言葉が出なかった。ベレンテの話は、どこにも悪人がいない物語だった。全員がそれぞれの立場で正しいことをしようとして、結果として全体が歪んでしまった。そういう問題が、一番厄介なのだ。


「事情は、よく分かりました」


 このまま沈黙が続けば、場が硬直する。俺は進行役として、この場を収めるべく口を開いた。


「お話していただいた内容は、重く受け止めます。本件の対応については、本部の監査官、および支部内で協議の上、後日正式に通達します」

「すぐに処罰されるわけではないということですか?」

「はい。ですが、結論が出るまで現状は維持してください。軽挙妄動は慎むようにお願いします」

「分かりました。お任せします」


 ベレンテは安堵した様子もなく、頭を下げた。冒険者たちも、彼の落ち着いた態度を見て肩の力を抜いたようだった。


---


 話が終わると、俺たちはベレンテに見送られて馬車へと戻った。


 車輪が石畳を叩く単調な音だけが響く中、シヴィリオは何も言わず窓の外の景色を眺めている。彼の傍らではイエナリーラが彫像のように粛然と座っている。


 第7区で何が起きていたのか。その全容が、ようやく見えてきた。

 ラテリスが構築した管理システム自体は、間違っていなかった。品質基準を設け、業務を標準化し、数字で管理する。その方法論は正しい。


 だが、基準が厳格すぎた。

 現場で実用に耐える素材であっても、マニュアル上の規格に合わなければ減額され、あるいは弾かれる。冒険者の実入りは減り、割に合わないと感じた者が他区へ流れているという声もあった。

 クエストの達成数が減れば、ギルドを通じて業者に回る素材の総量も減る。業者は仕入れの不安定さに悩み、クエスト報酬を引き上げて冒険者を繋ぎ止めようとした。ラテリスはそれを支部の価値が上がった証拠だと読んだが、実態は供給不足が引き起こしたインフレだった。


 やがて、ギルドで弾かれた素材を持った冒険者が、業者に直接持ち込むようになる。業者にとっては十分に使える素材だ。断る理由がない。小さな取引だったものが、ひと月のうちに第7区の加工業者の3割を巻き込む規模にまで広がっていった。今はまだ3割だが、直接取引の方が双方にとって合理的である以上、放置すればこの数字は増えるだけで、減ることはないだろう。


 誰も悪意で始めたわけではない。一部の業者と冒険者が生活を守ろうとした結果、ギルドの流通網の外側に、もう一つの経済圏が静かに出来上がっていたのだ。


 問題は、この状況をどうやって正常化させるかだ。

 表面上の取り締まりで市場の3割を締め出せば、この区画の流通網は緩やかに、しかし確実に痩せ細っていくだろう。


 必要なのは、業者や冒険者たちを無理やり縛り付けることではなく、彼らが自然と『ギルドの流通網に戻ってくる理由』を作ることだ。


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