第1話 〈奴ら〉は日曜夕刻に現れた
岩門家のインターフォンが鳴ったのは10月半ばの日曜夕刻─正確には午後4時前のことであった。
一家の大黒柱である駿平(43)はいつものように競馬中継を視聴していたが、これからお目当てのメインレースの開始直前とあって忌々しげに舌打ちし、どうやら席を立つつもりはないようであった。
『ふん、丁度マイクが故障しててよかったぜ……ホントに大事な用向きなら2分間ぐらいそこで待っとけってんだ……』
いつもなら真っ先に飛び出して行くはずの長男で小6の駿之介は友人宅に遊びに行っており、妻の絵理子は朝から入院中の友人の見舞いに出かけ、更に現在離婚調停中の妹の相談に乗るため実家に寄るとかで帰宅は午後7時過ぎになると言っていたから目下家には彼と長女の莉音しかいなかった。
そして現在高2でそろそろ受験に向けた足固めに入る時期である彼女は自室で勉強に励んでいるはずであったが、それにしてはバタバタと階段を駆け下りる音があまりにも早く響き渡ったことが父を訝しがらせた。
『……おかしいぞ、どう考えても反応が素早すぎる。
もしや、初彼氏の御入来かッ!?
しかももう夕方だぞッ!
と、いうことは……まさか今から外出するつもりなのかッ!?
たしかに明日は振替休日だが……。
だとしたらオレもナメられたもんだ。
よりによって在宅確実の日曜を急襲するとはなッ!
そうはいくかッ、全くいけ図々しい……一体どんな野郎だッ!?』
気色ばみつつ壁のモニターを確認してみた駿平は黒ずくめの三人組が玄関前に佇んでいるのを目の当たりにして絶句した。
「さ、三人も……り、莉音、おまえ一体何を考えてるんだ……!?」
しかも目を凝らしてみると若者たちの年齢はまちまちで菓子折めいた箱を抱えて真ん中に立つ最も大柄な青年は20代半ば、左側の少年は丁度娘と同年代の高校生風、そして二人から一歩下がって俯いている少年は中学生にしか見えないではないか?
ここに至ってようやく色恋関連ではなさそうだと思い至った駿平は、そういえば朝から隣家に引っ越し業者が慌ただしく出入りして結構な騒々しさだったのを思い出し、妻からも転入者の〈阿津間さん〉が挨拶に来られるかもと告げられていたのを思い出した。
『──チッ、よりにもよってあんなチャラい連中が越してきたとはな。
しかも始末の悪いことに、揃いも揃ってアイドル並みのイケメンじゃねえか……!
こりゃ間違いなくミーハーな娘はのぼせ上がっちまうぜ……それだけならまだしも嫁までトキメキやがったら一体我が家はどうなっちまうんだ……参ったなこりゃあ……』
もはやレースどころではなく決してブサイクではないがあくまでも平均的な中年顔を歪めて煩悶する中堅運送会社傘下の物流倉庫事務課長の鼓膜を「お父さん、何グズグズしてるのッ!?お客さんがお待ちよッ!!」という愛娘の怒号が震わせ、『そうだ、ここで毅然とした態度を見せとかねえと一生ナメられちまうな……そうはいくかッ!』と意を決した駿平は足音も荒々しく玄関に向かった。
──案の定、訪問者と光の速さで打ち解けたらしい不肖の一人娘は舞い上がっていた。
その証拠にあたかも十年来の知己のごとく和やかに談笑し、はしたなくも姦しい哄笑すら上げているではないか!
この不愉快な事象によって必然的に険しい形相となった家長は、愛想笑いを浮かべる敵方の将をグッと睨みつける。
「──夕飯前の慌ただしい時刻にお邪魔して申し訳ありません。
本日より隣に越して参りました阿津間と申します。
私は嫡男の景之、これが次男の景充でして……ほら、ちゃんと前に出て顔を上げんか(と最年少者の襟首を掴んで上向かせ)、末っ子の景彦でございます……何卒お見知りおきを」
深々と頭を下げる長兄に追従する二人の弟であったがその会釈はどう見てもおざなりで、敵対感情に支配されている駿平の目には阿津間家の躾は到底行き届いているとは認められない。
「と、いうことは……ご両親は同居なされぬのですか?」
敵意を隠そうともしないトゲトゲしい声音に莉音が目を三角にして振り向くが、彼らを“平穏な家庭の破壊をもくろむ悪魔”と決めつけた厳父はビクともしない。
「実は、そうなんです。両親は現在海外におりまして……っていうか3年前から移住しておりますもので……」
奥歯に物の挟まったような口ぶりに忽ち突破口を見出した駿平は、ここぞとばかりに攻勢に出る。
「ほう、それは羨ましいですな……海外移住か、我々のようなしがない庶民にとってはまさに夢のような話だが、どちらのお国に?」
ここで返答に窮するようなら否応もなくクロ判定するつもりだったが、相手方もそれは想定していたのか「シンガポールです」と即答してみせた。
「なるほど。ということは私の浅い知識から想像すると投資関連のお仕事をされてらっしゃる……?」
「ははは、お詳しくていらっしゃる……まあそういった所ですね。
もうお気付きでしょうがあちらに居を移したのはご多分に漏れず税制面の優遇措置に惹かれたからなのですが、何故か子供には日本でとことん苦労させようという方針らしいです……」
「それはご立派なお考えでいらっしゃる。
ということは、現在はあなたが弟さんたちの親代わりとなって奮闘されておられるということなのですね?」
留まるところを知らない駿平の詮索に困惑と怒りが入り混じった表情の莉音が「父さん、失礼よ。プライベートなことをそんなに根掘り葉掘り伺っちゃあ……」と割って入るが、家庭防衛の大義に凝り固まった岩門駿平は「おまえは黙ってなさい」とピシャリと言い放ち、傲然と腕組みしながら返答を待つ。
しかし新参者の引け目か、阿津間景之は何ら心証を害した様子もなく「はい、仰るとおりです」と穏やかに応じるのであった。
「──失礼を承知でお伺いするが、お仕事はどのようなことを?」
新たに不躾な質問が発せられたのと殆ど同時に玄関口に轟いた莉音の絶叫が場を凍り付かせた!
「いい加減にしなさいよッ、アンタのせいであたしまで品の無いゲス人間だと思われちゃうじゃないッ!もーサイアクッ!!」
かくて双方が気まずい沈黙を余儀なくされたが、その救いのない空気を打ち破るかのように阿津間景之の携帯が鳴り、若き家長は申し訳なさそうに断りを入れて電話に出ると「運送屋からです。頼んでた荷物が届いたようですね……」と報告するが、最愛の存在から生涯初の痛撃を食らった岩門駿平は放心状態で一言も発し得ないようであった。
「そういえば、さっきトラックの音がしたみたい……まだ新居の状況も整ってらっしゃらないでしょうし、どうかそちらに専念なさって下さい。
ご丁寧なご挨拶ありがとうございました。
ご無礼の程はくれぐれもお詫び致します、誠に申し訳ございませんでした。
改めまして、こちらこそ末長く宜しくお願い致します……!」
深々と頭を下げる隣家の長女に弾かれたように応じる三兄弟だが、その返礼は家長へのものとは比較にならぬほど丁寧で誠意の籠もったものであった……。




