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第八話 とある元営業マンの手記(前編)

 僕はとある中堅リフォーム業者の、いわゆる外回り営業マン。

担当の住宅地を一軒一軒、家のリフォームの契約をお願いして回るんだ。


 その日は、会社から程近い新しい地区の営業だった。

うだるような暑さの中、スーツ姿で街を歩く僕。

これぞ夏といった風情でセミがけたたましく鳴き叫んでいる。


先輩にもらった地図をみながらようやく目的の住宅地にたどり着いて、

お目当ての地区をぐるりと一周。


営業前にその住宅地の状況を把握しておくのは基本中の基本。

後でお客さんとの会話の材料になるからね。


さて、それじゃあお仕事開始といきましょうか。


一軒目のチャイムを鳴らす。


……反応なし。

僕はいつもチャイムを押して、反応がないとき1分間待つ事にしている。


これは先輩から教わったテクニックで、それ以下で立ち去ると、

手当たり次第にチャイムを鳴らしているように見えてしまう。


逆に1分以上いると、不審に思われてしまう。あくまで待つのは1分間。

これが大事だ。


……1分。

誰かが出てきたり、窓のカーテンが動いたりする様子もない。

これは留守かな。

この仕事を長く続けていると、留守か居留守かはなんとなく見分けがつく。

出鼻をくじかれた形だけど、仕方ない。次の家に移ろう。


隣の家の玄関前にたち、チャイムを鳴らす。


……返事はない。


こういうときのテクニックもある。

すこし大きめの声で名乗ること。


所属している会社の名前と、

今日来た目的を家に向かって発して、

”ただのセールスマン”だと表明する。


これは数回しか使えない切り札的なワザ。

多用すると印象は最悪だ。


が、その切り札も不発に終わってしまった。

これをすると、大抵は隣の家の人も、ちらっとでも覗きに来たり、

なんらかのアクションを起こすものだけど、どうにもその素振りすら見えない。

これはここ2、3軒は留守のようだ。


おかしいとは思うけど、無いわけじゃない。

以前も授業参観だとかで、その地区の半数ぐらいが留守にしていたことがあった。

今回もそのたぐいだろう。


気をとりなおして、数軒先に移動して再びチャイムを鳴らす。

静まり返った住宅街にチャイムの音が鳴り響く。

……1分。

留守だ。


チャイム。

……1分。

留守。


チャイム。

……1分。

留守。


……これは流石に異常だ。


十数軒。連続で留守。


セールスマンは嫌われがちな職業だけど、

なにも嫌っている人ばかりじゃない。

話し相手が欲しい人、ちょうどリフォームを考えていた人。

そんな人たちに売り込むのが一番の目的だ。


普段なら向こうから声をかけてくれる人もいるくらいなのに……


しかも今回は明らかに居留守をつかっているわけじゃなく、

すべての家が”完全に留守”。なんだこれは。


避難訓練?集団夜逃げ?

頭が答えを求めて突拍子も無い事を次々挙げる。

ふと、昔読んだマンガで不発弾が見つかって町中が避難したエピソードを思い出し、

僕はもしやまずい場所に居るのではという思いが湧き出す。


とにかく、売り込む相手がいないのでは仕事にならないと、

得体の知れない不安感を振り払い、あくまで冷静にと自分に言い聞かせる。


一旦、出直すことにした僕は、

営業所までの道のりをえっちらおっちら、歩いて戻る。

行きにかいた汗はすっかり引いて、今は変な汗がジワリと身体を濡らす。


来た時よりも道が長くなってるような錯覚さえ感じる。

今のところ誰ともすれ違わない。


住宅街でまったく人とすれ違わない日というのは実は割とよくある。

皆、仕事に出かけたり、家で家事をしていたり。

昼間に住宅街を移動中の人間というのは意外と少ないのだ。


が、今日に限ってはそれがますます僕の不安を煽る。


やっとの思いで我が社の営業所に帰り着くと――


――自分の会社も留守だった。



 なにが起こったのかわからなかった。ドッキリにしては手が込み過ぎだし、

そんな単純なものじゃないことは、道中、薄々感じていた。


「部長ー!先ぱーい――」

思わず呼びかけてみたが、静まり返ったオフィスに我ながら間抜けな声が響き渡っただけだった。


――と、ふと動くものが目に入った。

先輩のデスクの上、おそるおそる近付いてみると、


湯気だ。

コーヒーから立ち上る湯気。


ーー飲みかけのコーヒーを残して先輩は消えた。


それを認識した瞬間。

僕は今、普通じゃない事態に巻き込まれているという事を理解した。


メアリーセレスト、フィラデルフィア、バミューダトライアングル、

いろんな都市伝説が頭の中をよぎる。

自分は今、都市伝説みたいな状況に陥っている。

その事実が僕を混乱させる。

これから僕はどうすればいいんだろう。


どこかに誰かいないか探す?

この状況の原因をさぐる?


――いや、まずは。


さっきから空気を読まずにくぅくぅ鳴いているお腹の虫を黙らせるのが先決だ。


幸い、お昼に食べようと買ってあったサンドイッチは消えてなかったし、

共用のコーヒーポットにも熱々のコーヒーが入ったままだ。


紙コップにコーヒーを注いで、サンドイッチの包装を剥がして、

休憩スペースの端に座り、コーヒーを一口すする。

仕事中は毎日欠かさない、いつもの動作。


こうしていると、本当はなにも起きてなくて、全部勘違いで、

そろそろ先輩が、「よ、今日は早いじゃないか」

なんて声をかけてくるんじゃないかって、そんな気がしてくる。


だけど、サンドイッチを食べ終わり、

コーヒーを飲み干しても、先輩は現れなかった。


頭では当たり前だとわかっていても、

なぜだかひどくがっかりして、改めて孤独を意識する。


そして、さっきとおなじ問いを頭の中で繰り返す。


――これから僕はどうすればいいんだろう。


 お腹がふくれて、冷静になった頭で

最初に出した答えは、家に帰ることだった。


人を探すにしろ、このままこの悪夢が覚めるのを期待して生活するにしろ、

まずは色々と準備を整えないといけない。

とはいえ、一人暮らしの家だ。そこまで物があるわけじゃない。

あとでホームセンターにでも行って足りないものを揃えよう。


そうと決まれば善は急げ。

幸い、僕の家はそこまで遠くはない。

いつもは健康のために徒歩で20分くらいかけて通勤している。

自転車を使えばもっとはやく着くだろう。


問題は、僕が自転車を持ってないということだけだけど。

先輩がいつも自慢している電動アシスト付き自転車。

あれを借りることにしよう。


先輩のデスクからキーを拝借して会社の駐輪場に向かう。

目的の自転車はすぐに見つかった。

派手な色のマウンテンバイクのような見た目のアシスト付き自転車。


『このタイプのアシスト自転車はなかなか無いぞ。

しかも、このメタリックミントグリーン!これは限定カラーなんだ。

強く、美しく、そしてそのなかに一筋のやさしさを感じる。

まるで私のためにあるかのような色だ!

どうだ?乗ってみるか?』


先輩のドヤ顔がセリフと共に思い起こされる。

あの時はまたの機会にお願いすると言ったけど、

いまがその機会ですよね!先輩!


さすがに自慢するだけのことはあって、

色はともかく、抜群の乗り心地で、予想外にスピードが出る。

どうやら下り坂で充電してるらしくバッテリーもかなり燃費が良らしい。


道路に人がいないということもあってか、あっという間に家に着いた。


スーツから動きやすい服装に着替えて、

非常持ち出し袋に、買いだめてあった当面の食料なんかを追加して

再び家を出る。


目指すはホームセンターだ。


こっちもあっという間に着いてしまった。

通りに人がいないと、こんなに早く着くのか。


と、そこでふと、疑問が湧いた。走っていた車はどこへ行ったんだ?

先輩は飲みかけのコーヒーを残して消えていた。

なら、走っていた車から人が消えて、

クラッシュした車があちこちに突っ込んでいてもおかしくない筈だけど、

そんな光景は一度も見なかった。


そしてなにより、ここ、ホームセンターの駐車場には、車が普通に止まっているんだ。

先輩の自転車も残っていたし、動いてたものが全部消えたのか?

うーん。わからないな……



 食料、水、キャンプ用品、ダクトテープ……は要るかな?まあ一応。

必要そうなものをカゴに入れながら、ふと、思い立ってペットショップの方に足を向けた。

人間以外の動物はどうなっているんだろうと気になったからだ。


答えはすぐにわかった。ペットショップはもぬけの殻だったからね。

犬、猫、ハムスター、熱帯魚にメダカまで、みんな綺麗さっぱり消えていた。


もしや、と思って、サバの缶詰をあけてみる。

が、予想に反して中身はちゃんと入っていた。


となると、やはり動いていたものが消えたのか?


いや、その理屈なら時計も消えてないとおかしい。

時計コーナーが眼に入って、考えを改める。


僕は昔から考えるのが好きだ。

理由のわからない事象があると、ついつい理由を考える癖がついている。

いつもなら、考えた末にスマホでちょいちょいっと検索すれば

答えが出てくるからスッキリするんだけど、

あいにくスマホは圏外で、会社のパソコンもネットに繋がってなかった。


まあ、つながっていたところで、答えは出てきそうにないけどね。

だから、今は自分の頭だけが頼り。考えて、試してみて、また考える。

話し相手が誰もいなくなってしまった今、思考は僕にとっての娯楽だ。


なんとなく習慣でレジに向かって歩きつつ、

サバの缶詰を売り物のフォークで食べながら考察を続けていると、


ふいに、


――キャン!キャン!


という甲高い音が聞こえた。

何の音か、とっさには理解できなかったが、


何度も不規則に繰り返されるそれが、犬の鳴き声だと、思い当たった。

ひどく怯えたような小型犬の鳴き声だ。


動物の鳴き声がするはずないと思い込んでいたから、理解が遅れたようだ。


場所はさっきまで僕がいたペットショップコーナーの辺りだと思う。

さっきは何もいなかったはずだけど、何処かに隠れていたのかな。


だけど、これで希望が出てきた。

そうだよ、僕が消えてないってことは、

他にも消えてない動物や人間がいてもおかしくないってことじゃないか。


その怯えた声に一抹の不安を感じながらも、

自分以外の生き物の存在に希望を見出していた。


――のだが、声のする辺りの角を曲がった瞬間、希望は絶望に変わった。


な ん だ あ れ は。


見てはいけないモノを見た。

反射的に身体を引っ込め、呼吸を整える。

動悸が速くなり、全身の毛穴から冷たい汗が噴き出る。

アレは絶対にヤバイ。この世のものとは思えない。

恐る恐る陳列棚の隙間から様子を伺う。

アレの姿をどう表現すればいいのか、

例えるならばスライムだろうか。

それも日本のRPGに出てくるようなものじゃなく、

海外のファンタジーに出てくるようなおぞましいものだ。

泥と腐肉の塊。

実際のところはわからないが、そんな風に見える。


アレが犬の鳴き声を……?


あっ!いや!犬だ!犬がいる。

トイプードルか?

狂ったように跳ねまわり、

どうにかアレから逃れようとしているが、

どうやらその試みはことごとく失敗しているらしい。

じわじわと犬に迫っていくアレは、

心なしか、狩を楽しんでいるように見える。


今すぐ逃げなくては。

次にああなるのは僕だ。


そろり、そろりと、後ずさる。

映画なんかだとここで音を立ててしまうのがお決まりだ。

見ている分には面白い展開だけど、

実際にその場にいる人間としてはそんな展開はまっぴらごめんだ。


周りのものにぶつかったりしないように、

細心の注意を払って陳列棚から抜け出すことに成功した。


半ば駆け足でその場を離れる僕の背後で、犬の鳴き声がだんだん激しくなる。


――そして、ついに、ぴたりと静かになった。


あとはもう振り返ることなく全力で店を飛び出して、無我夢中で自転車を走らせた。


目的地も決めずにがむしゃらにに走り回ったつもりだったけど、

気づくと会社の前まで戻ってきていた。


僕にとって安心できる場所は、ここなのかもしれない。

仕事一筋で生きてきたわけじゃないけれど、実家を離れて一人暮らし、

人とのつながりを感じられるのはやっぱり会社だったりするのかも。



 オフィスに戻って、ひんやりとした空調の風を感じながら、

持ってきた水を飲んで一息つく。悪夢から目覚めたような感覚だ。

実際にはまだ続いてるんだけど。

とにかくしばらくはあの辺りには近づかないようにしよう。


だけど、アレがどういう存在なのか、

一匹だけなのか、沢山いるのか、

あそこを根城にしているのか、それとも常に動き回っているのか。

これはなんとかして知りたい。

どこからくるのかわかならないまま怯えるよりも、

ある程度予測のつく状態にしておいたほうが精神的にも良い。


自分のデスクでぼぅっと考えをまとめていて、はたと気づく。

……空調が効いている。


電気が来ているのだ。

給湯室に行き、水道の蛇口をひねる。

水が出た。ガスも普通に使える。


人や動物は消えたが、飲みかけのコーヒーや停まっていた乗り物は消えてない。

そして電気や水も消えてない。

だけど携帯やネットはつながらない。

ますますわからなくなってきた。


だけど管理している人間がいなくなっているのはほぼ確実だろうから、

いつまでライフラインが使えるかはわからないな。キャンプ用品は用意しておこう。


やっぱり考え事をしていると、不安が紛れる。

だけど外の日が陰り始めると同時に、否が応でも孤独感が増してゆく。


誰か他の人間に会いたい。話をしたい。

すぐにでも人を探して走り回りたい気持ちとは裏腹に、外はあっという間に暗くなった。


今日はここで一晩過ごすことにしよう。

明日目が覚めたらみんな戻ってきていて、

『お前!なにしてんだこんなとこで!』

なんて言われたり……したらいいのにな。


それからカップ麺を食べたり、地図を確認したり、明日の準備を整えたりして時間を潰し、

まぶたが重くなってきた頃に、寝袋に入ってオフィスの真ん中で眠りについた。



――目が覚めて、最初に感じた違和感は、「なんだか狭い」ということだった。

夢心地の頭で思案する。おかしいな。昨日机を動かして寝る場所を作ったはずなんだけどな。誰か元の場所に戻したんだろうか。僕が寝ているのに、失礼だな。そんなことするのはきっと先輩だろうな。先輩はデリカシーが……


……先輩!?

ぼんやりとしていた頭が急速に覚醒する。

慌てて立ち上がろうとして寝袋の中でジタバタする。

ようやく寝袋からの脱出に成功して立ち上がり、辺りを見渡すと、

部屋中のデスクの位置がすっかり元の場所に戻っていた。

もしかして僕が見えていないだけで、みんなそこにいるんじゃないか!?

そして逆にみんなからは僕が見えてないんじゃないか?

そんな考えに至った僕は、大声でさけびながら

手当たりしだいにものを叩いて存在をアピールするという行動に出た。

「おーい!!みんな!!僕はここだ!!ここにいるぞ!!!」

机をたたき、クリアファイルを放り投げる。



ひとしきり暴れまわったあと、ふと我に返り、

この説には全然説得力がないと気づいた。


一旦落ち着こうと水を飲もうとして、


ーーなくなっている事に気付いた。

改めて見渡すと、僕が持ってきたものは全て無くなっている。


だけど、着ていた服はそのままだ。

さっきまで入っていた寝袋もある。


なんとなく法則がつかめてきた気がする……

仮説がたったなら、実験して立証するだけだ。

法則がわかれば、もとに戻すこともできるかもしれない。

やってやるぞ。頼れるのは僕だけなんだから……




――それから数ヶ月。

試行錯誤を繰り返して、この世界のことが大分わかってきた。

そう。”この世界”。

結論から言えば、

ここは今まで僕たちが暮らしていた世界とは別の世界だと思う。


その現象を最初に観測したのは2日目の昼だった。


僕が家に戻ろうと自転車を漕いでいた時だ。

急に世界がぼやけて二重に見えたかと思うと、物の場所が変わった。

すぐに、最初の夜に起きたことだと察しがついた。


初めは全部元の場所、

僕がこの世界に入ってきた時点、に戻っているのかと思っていたけど、


なんどかそれを経験するうちに、

毎回すべての物が同じ場所に移動しているわけじゃないことに気づいた。


毎日だいたい同じ場所に現れる先輩のコーヒー。

あったりなかったりする書類。

毎日変わるコンビニの商品。


はじめは全く法則がつかめなかった。


それもそのはず。法則なんて、存在しなかったからだ。


――誰かが動かしている。ただ、それだけ。


といっても、この世界に人がいるわけじゃなくて、

元の世界、の人が動かした場所に物が移動している。


要するに僕は、

ゲームや漫画で言うところの裏世界みたいなところに迷い込んでしまったみたいだ。

現実世界で起きていることの結果だけが観測できる世界。

生き物や生き物が意思を持って動かしている途中のものはこっちには現れない。


それが、いろんな実験を繰り返して出した、僕の結論。


この現象が起きるのは概ね決まった時間。

数日ごとの夜に一回。毎日の昼に一回だ。


僕はこの現象を”同期”と名付けた。


思えば、最初の同期の時に机に巻き込まれなくてよかった。

こちらに持ち込んだものは同期されない。

つまるところ、重なる可能性があるわけだ。

重なってしまった時、どうなるのかは想像がつかない。

試すにはリスクが大きすぎるし、

今は同期したものに巻き込まれないように慎重に行動するだけだ。


そして、例の化け物。

アレはアンフォーチュナリーと名付けることにした。


どうやらアレには縄張りのようなものがあるらしく、

最初に遭遇したホームセンターの周辺だけでしか見ていない。


アレの生態を把握するために、

最初のうちは遠くから双眼鏡を使って一日中見張ったり、

行動パターンや縄張りの範囲が絞れてくると、ある程度近づいて観測したりもした。


時々、アレがまた小動物を追い回しているのを見かけた。

もしかするとアレがこの世界に動物を連れてきているのかもしれない。


化け物は警戒していればなんとかなったけど、

一番の問題は、ここでの常識だった。

ここの常識に基づいた生活に慣れるまでは大変だった。


何しろ、何を手に入れても翌日には同期されて、元の場所に戻ってしまうのだ。

その日必要なものはその日手に入れなければならない。


同期されないのは同期の瞬間に僕が動かしていたモノ。

それから最初に着ていたスーツと仕事のカバン。

と、その中に入っていたリフォームのパンフレット。たったこれだけ。


昼の同期は良い。袋に詰めて持ち運んでいれば同期をやり過ごせる。

だけど、問題は夜だ。夜の同期は不規則に起こる上に、一晩中起きてるわけにもいかない。


一度、カバンの中に物を入れておけば同期されないのではと考えて、

水とかパンとかを詰め込んでみたことがあったが、翌日には綺麗さっぱり無くなっていた。



 ここでの僕の1日は、朝、自宅で目を覚まし、

(職場で寝るのは同期したときの挙動が予測できないのでやめた)

隣の家の自転車を借りてコンビニで朝食をとり、人を探して町内を廻る。


昼を過ぎ、同期の時間が近づくと、できる限りひらけた場所に行って、

同期に巻き込まれないようにする。


同期が終わったら、

近くの飲食店に入ってタイミングよく同期された出来立ての料理を探して食べる。

(これがこの世界唯一の僕の楽しみだ)

そして、食べ終わったら、暗くなる前に自宅に戻って眠る。


時折、思いついた事を試したりしながら、

このサイクルを長い間続けていたけど、

ある時、もう自宅と職場の周辺は概ね探索し終えてしまって、

いっそ、いけるところまで行ってやろうと、先輩の電動自転車を借りて

北を目指してまっすぐ走り続けたことがあった。


しばらく自宅には戻らないつもりで旅を始めた僕だったけど、

結果として、すぐに自宅に戻ってくる羽目になった。


道が続いてなかったのだ。

三時間も走らないうちに道が途切れた場所に出た。


正確には、”世界が”途切れていた。


目の前に、なにか、壁というか、ベールのようなものがあって、

そこから先は景色がゆらゆらとゆらいでよく見えない。


石を投げてみると、ゆらゆらの中に吸い込まれるように消えたかと思うと、

元あった場所に瞬間的に現れた。


一瞬、この中に入れば元の世界に……と思ったが、これを試すのは最後の手段だ。

流石に危険すぎる。


なにより、

今戻ってきた石は本当に投げた石と同じものなのか、

という疑問が頭に浮かんで離れないんだ。



実際に壁に沿って一周したわけではないから、正確なところはわからないけど、

どうやらこの街のどこかを中心にして、

ぐるっと円状にこのゆらゆらは広がっているらしい。


そして、そこから僕の立てた仮説は、

壁が存在して、ゆらめいているんじゃなくて、

この世界が、ここまでしか存在せず、この世界自体が揺らいでいる。

というものだ。


最終的にこの仮説は概ね正しかったといえる。


この結論に至った理由はいくつかあるけど、ここでは割愛する。

このテーマだけで論文が一本書けそうだからね。


書く機会があるといいけど。


まあとにかく、そういうわけで、僕はこの世界を“ゆらぎ”と名付けた。


壁の曲がる角度からしてゆらぎの世界は概ね街一つか二つ分くらいだと思う。

いつか実際に外壁に沿ってこの世界を一周してみよう。

そう思った僕は家に戻って準備を進めた。



 そして、その日がやってきた。

これは僕にとっての運命の日になった。


その日は朝から雨が降ってたんだけど、

外の世界では早々に上がっていたらしくて、

同期された瞬間にすっかりいい天気になった。


そこで、かねてより計画していた世界一周旅行を実行に移すことにした。


とはいえ、僕の予想ではこの世界はそこまで広くないはずだから、

おそらく外周にそって一周しても、一週間もあれば帰ってこれるだろう。


以前行った北の端からスタートして、時計回りにすすむ。

世界の端に近づきすぎず、世界の端のゆらゆらが視認できる辺りを走って、

地図に記録しながらすすむ。

それを繰り返して進むうちに、大きな商業施設かなにかに突き当たって、

少し内側の住宅地に入る羽目になり、細い路地を移動しているときに、

お昼の同期の時間になってしまった。


いつもなら、自転車が同期されないように動かしているんだけど、

タイミングが悪かったのか、うっかり自転車が同期されてしまった。

その上、代わりの自転車が見つからず、しかたなく長い一本道を歩いていた時――


――心底イヤな気配を後ろに感じて立ち止まった。


この感じは経験がある。あのバケモノ、僕がアンフォーチュナリーと名付けたアレだ。

一瞬のうちに色々な思考が頭の中を駆け巡る。


アイツには縄張りがあったはず。

ここはあのホームセンターとは反対方向だ。

移動してきた?

いや、やっぱりもう一体いたのか?


全部僕の仮説に過ぎない。


確かなのは、いま、僕が絶体絶命の状況にあるということだけ。


意を決して振り向くと、

予想以上に近い距離にソイツはいて、ジッとこちらを“見て”いた。

その瞳のない視線に、僕は強い恐怖を覚えた。


――その瞬間、ソイツが心底嬉しそうにしたように感じる。


そしてこちらへとジリジリと近づきはじめる。

追い回されていた犬が嫌でも頭に浮かぶ。

今、僕はあの時の犬そのものだ。

この後の結末は想像に難くない。


近づくソイツに合わせてじわじわ後ずさる僕。

その距離は着実に縮まっている。

左はブロック塀。右は背の高いフェンス。

次の曲がり角まではまだ遠い。


どんどん距離が縮まる。

目と鼻の先。

もう逃げられない。


世界がやけにゆっくりに見える。

思考だけが高速で動いて、今までの出来事がフラッシュバックする。

嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、親しい人たちの顔。

そうか、これが走馬灯というやつか。

心が死を悟って、

脳みそが死を受け入れる準備をしている。

そんな風に思えた。

長いようで短い人生だった……


――突然、閃光と共にカシュッ!カシュッ!と、乾いた音が響いたかと思うと、

ゆっくりだった僕の世界が急速に元の速度を取り戻して、

アンフォーチュナリーが悲鳴のようなものを上げ、後ろに下がっていった。


「今よ!こっちへ!」

声のする方を振り向くと、フェンスの上にブロンドヘアの美しい女性が身を乗り出し、

白衣をなびかせて、銃のようなものを構えながら、こちらに手を伸ばしていた。


僕は戸惑いながらもとっさにフェンスをよじ登り、その手を掴んだ。

あたたかい。ひさしぶりに感じる人の温もりだった。


「貴女はいったい……」


「私は諏合。とある機関でこの空間に発生したノイヅと呼ばれる生命体を研究してるの」


――フェンスを乗り越え、飛び降りながらそういう彼女は、

僕の目にとても頼もしく、魅力的に映った。


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