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第八話 とある元営業マンの手記(後編)


「さあ!逃げるわよ!」


化け物から間一髪、諏合と名乗る白衣の女性に救い出された僕。


フェンスを乗り越え、飛び降りた僕らは一目散にに走り出した。


この女性、理系っぽい見た目とは裏腹に、ものすごく足が速い。

僕は自然と女性の後を追いかける形になった。


長い脚でリズミカルに走る彼女を見失わないように、必死に走る。

今はアンフォーチュナリーに追いつかれるよりも、

この世界で初めて会った女性を見失うことの方が怖かった。



 「ここまでくれば大丈夫でしょう」

不意に彼女がそう言ってスピードを落として立ち止まった。


僕は肩で息をしながら、彼女に同意した。

「そうですね、アレらの、縄張りは、せいぜい数百メートルです。

この距離なら、縄張りからは出たはずです」


そうすると彼女は少し驚いたような顔をして、

「へぇ、詳しいのね。どのくらいここにいるの?」

「えぇっと、正確には解らないんですけど、少なくとも3ヶ月はここにいます」


「3ヶ月!?あ、あなた、ここで生活してたっていうの!?」

「え、ええ。ここから出られなくて、生き延びる為にこの世界の事を色々と学んできました」


「……あなた、うちで働かない?良い研究者になれると思うわよ」


「そういえば、研究がどうとかおっしゃってましたね。」


「ええ、改めて自己紹介するわね。私は諏合ティスホールド。

我々がノイヅと呼称する生命体がどうやらこの空間に住み着いたらしくてね。

その調査と研究をしているの」


「ノイヅ?」

聞き慣れない単語に思わず聞き返す。


「そ。さっきの化け物がそれよ」

「あ。アンフォーチュナリー。」


頭の中で、化け物=アンフォーチュナリー=ノイヅ、

という式が出来上がり、思わず声にだしてしまった。


「え?」

「いいえ。なんでもないです」

思えば勝手に名付けたんだから当たり前だ。

由来も何もなく、ぱっと思いついた名前なので、なおさら恥ずかしい。


「それで、この空間に干渉する装置を作ったんだけど、入った途端、出入り口が閉じちゃって。おそらくθ干渉波の影響でフレーム結晶体がオーバーロードしたのね。あれを維持するためのエネルギーを差し引くと……この出力だとぬいぐるみ程度の質量一個が入るか入らないかといったところか……となると装置の改良にあと2、いや3ヶ月。振幅水晶をあと2つ追加して……」


最初は僕に説明していたようだが、

途中から自分の仮説を考証し始めたようで、

うつむき加減で独り言のようにつぶやきはじめた。


よくわからなかったが、さっき彼女は出入り口がどうとか言っていなかったか?


「あ、あの、出入り口があるってことは帰れるんですか?」

「えっ。あら、ごめんなさい。つい夢中になってしまったわ。

……そうね。私が作った出入り口は閉じてしまったけれど、

帰る方法は無いわけじゃないわ」


どこか含みをもたせた言い方をしながら、

諏合さんは僕にずいっと近寄って、好奇心の塊といった表情で続ける。


「それよりもまず、あなたの話を聞かせて頂戴。

この空間で数ヶ月過ごした人の話、非常に興味深いわ」


「ええ、かまいませんけど、その前に……」

と、僕はさっきから視界に入っていた喫茶店を指差す。


「あら、確かに話をするにはうってつけね」

「はい。立ち話もなんですし、お邪魔しましょう」


というわけで、僕たちは喫茶店でコーヒーを飲みながら

僕がこの世界で経験した事、僕の仮説。

それに対する諏合さんの考察や反論。


そういうことを繰り返した。

正直、こんな状況だというのに、いや、こんな状況だからこそ、

「おしゃべり」という行為は非常に楽しかった。

時折プライベートな質問をしたり、(諏合さんは猫派だそうだ)

話が脱線したりしながら、有意義なティータイムを過ごした僕たち。


こうしていると、元の世界に戻ったような気分だ。

空調も効いているし、店内BGMまで流れている。

違いといえば他の客どころか店員がおらず、全てセルフサービスという点だけ。

コーヒーも僕が入れたものだ。


「――つまり、それは私の仮説の裏付けになるわ。

この空間、ええと、ゆらぎだっけ?いいネーミングよ。気に入ったわ。

で、このゆらぎには複数体のノイヅが存在しているということ、

そして、これからも増えるであろうということよ」


「ノイヅがゆらぎを発生させてるんでしょうか?」

「いいえ、おそらく違うわね。

もしそうなら、ここ以外にもゆらぎが観測されていなければおかしいわ」


須郷さんは「さて、ここからが本題なのだけれど」と前置きしてから、

すこし姿勢を正して、この世界から帰る為の方法を語り始めた。


「ゆらぎには現実世界とわずかに重なりあっている部分が存在するの。

おそらくそこから他の動物やあなたのような人が迷い込んでしまうのね」


「じゃあ、そこからなら帰れるってことですね!?」


「まって、そう話は単純じゃないの。

向こうからゆらぎに来るのは不確定要素も多いけれど、比較的容易なの。

現に私もこうして意図的に入ってきたしね」


「問題はゆらぎから外に出る方。

どうやら一方通行的な性質を持っているようでね、

こちらから出口をつくるには、入る以上に大きなエネルギーが必要なようなの」


「大きなエネルギーってどれくらいですか?」

「電力換算でおおよそ1億8千万キロワット程度」


いまいちピンとこないけど、

たしか東京で一日に必要な電力量が五千万キロワットぐらいだった気がする。


「……要するに帰れないってことですか?」


「いいえ、今のは、"普通に"出口を作る場合の試算よ。

実は特定のポイントに、出入り口を人工的に作りやすい環境があることを突き止めたの」


そういうと彼女はさっきからテーブルに広げていた地図を引き寄せると、

その"特定の場所"を指差した。


「ここって……」

「そう。あなたが初めてノイヅを見たっていうホームセンター」


諏合さんが指差したのはあのホームセンター、僕はいまでもあの犬のことを夢に見る。


「ノイヅが根城にしている場所ですよ。危険じゃないですか?」

「もちろん危険よ。でもここ以外に手持ちの道具で帰る道を作れる場所はないの」


「そんな状況でよく自分からコッチに入ってきましたね……」

どうやら彼女は、失敗したときのことはそこまで考慮していないようだ。


「失敗したときの対処法は一応考えるわよ。

でもそれの成功率とか確実性とかは重要じゃないの。

そこまでやってたら、いつまで経っても実験が始められないわ。研究者は度胸と愛嬌よ」


さすがというかなんというか。

でも、僕はその考え方に賛成だ。

おかげで今助かっているんだし。


その後、僕らは道順なんかの細かな話をしてから喫茶店を出た。


「さて、とりあえず何処を目指せばいいのかしら?」

軽く伸びをしながら諏合さんが僕に尋ねる。


「どこって、ホームセンターじゃないんですか?」

僕はてっきりこのまま「出口」に向かうものだと思っていたから、

質問の意図が分からず、聞き返してしまった。


「もちろん最終的にはそこに行くんだけど、」

そう言いながら彼女は上を指差す。

釣られて見上げる僕。


そこには夕焼け空が広がっていた。


「あ、そうか。明るくなってからの方がいいですよね」


随分長い間話し込んでしまっていたらしい。

確かにこのままでは真っ暗な中で

ノイヅを避けながらホームセンターをうろつかないといけなくなる。


「あなたはいつも何処で寝てるの?」

「自宅ですよ。同期で物が動かない保証があるので――って、もしかして家に来るんですか!?」

「なに、ダメなの?」

「い、いいえ、ダメじゃないですけど」

「なら決まりね。先導よろしく」


というわけで自宅に女性を連れて帰ることになった。


まずは二人分の自転車を探すところからだ。


行きは壁沿いに来たから時間がかかったけれど、

最短距離で帰れば夜中までには家に着くだろう。自転車にさえ乗れればだけど。


道すがら、ふと隣を歩く諏合さんを見ると、

腰にホルスターのようなものを着けているのに気づいた。

中から銃のグリップのようなものが覗いている。

そういえば、僕を助けてくれた時に構えていたような気がする。


ところで、と前置きして、銃を指差す。

「その武器でノイズは倒せないんですか?」


「んー?ああ。これはハンドレールガン。私が護身用に作ったのよ。

鉄芯を高速で撃ち出すの。人間なら簡単に貫通するくらいの威力だけど、

アイツらには小石を投げつけるようなものよ」


「……それ、僕の方に向けないでくださいね」


そんな会話をしているうちに自転車を見つけた。

ママチャリだったが、贅沢は言っていられない。

ここで、後ろに諏合さんを乗せて走ればカッコもつくかもしれないが、

あいにくそんな青春マンガの主人公のような体力は持ち合わせていない。

大人しくママチャリ二台で並走だ。


僕の見立て通り、自転車に乗ればあっという間だった。

途中コンビニに寄ったにもかかわらず、残業した日よりも早く帰ってこれた。



「へぇ、結構いいところに住んでるのね」

諏合さんが僕の家をみて呟く。

家といってもワンルームのアパートだけど。


「どうぞ、入ってください。自転車はその辺に置いときましょう。

運が良ければ明日もそこにあります」



「わっ。めちゃくちゃ綺麗にしてるじゃないの!」

部屋に入った諏合さんが感嘆の声をあげる。


「そうですかね?こんなもんじゃないですか?」

ふつうに一人暮らしの部屋だ。みんなこんな感じになるのではと思うんだけど。


「床に何もないじゃない。

着替えとか昨日のカップ麺の容器とか飲み終わったペットボトルは?」


「えっ?そんなの床に散らばってるんですか!?」


なんとなく諏合さんには完璧超人みたいな印象をもってたから、

ちょっとばかりショックを受けた。案外、研究以外には無頓着な人なのかもしれない。


僕の部屋はワンルームといってもキッチンが別になっていて、

しかもそれなりに広いので生活用品のほとんどをキッチンに収納している。


だから、ここに来て物を動かしてはいけないという制約ができても、

案外なんとかなっているみたいだ。


そして、これは偶然なんだけど、たまたまカーペットを洗うために、

机を壁に立てかけていたのが功を奏して、部屋がとても広くなっているのだ。


「とりあえずシャワー借りていいかしら。こんなに動き回ったのは久しぶりよ」

言いながら、もうすでにシャツのボタンを外し始めた諏合さんに、

慌ててシャワールームを案内する。

「ど、どうぞ。そこの左側のドアです」



しかし、家族以外の人間がシャワーを使っていると言うのは、すこしばかりドキドキするものだ。

あんまり気にしすぎると変態みたいなので、

今までにまとめたこの世界に関する資料を広げて整理してみる。

カバンに紙が沢山入っていたのは不幸中の幸いだった。

こうして誰かと知識を共有できる日が来るとは思っても見なかったけど。


自分の文章を読みながら、考察をしていると、

いつのまにかシャワーを浴び終えた諏合さんが長い髪を束ねながら、

ドアを開けて部屋に入ってきた。


「ドライヤーはあるかしら」


「ええ、これを使ってください」

僕はあらかじめ用意していたドライヤーを手渡して、

入れ替わりに着替えをもって立ち上がる。


「何を読んでたの?」

「あ、これは今までにまとめた僕の研究成果です」

そういいながら扉をしめて僕はシャワールームに向かった。



シャワーから上がってくると、

諏合さんがまだ半乾きの髪でクッションの上に座って

熱心に僕の研究成果を読みふけっていた。


その様子から察するに、どうやら途中で髪を乾かすのを投げ出して読み始めたらしい。


「どうですか?」

と、僕が尋ねると、僕の存在に今気づいたような生返事をしたあと、


「あなた、天才ね……」と呟いた。


正直、美女に褒められて悪い気はしない。

そ、そうですか?えへへ……などと照れていると

「まあ、私も天才なんだけど、私の次くらいに天才だわ」

と、大いに自己評価が高いことを見せつけてくれた。


「ただ、この結果が事実だとすると、出口を作る為の条件が増えることになるわ」

「えっ、そうなんですか?」


それから諏合さんはいくつかの研究結果に指摘を入れながら、

彼女なりの考えと、そこから導き出される答えを解説してくれた。


詳しくは端折るけど、ゆらぎの世界の構造には月の満ち欠けが関係しているらしい。

そして、同期は新月の日を基準としてある法則に従って発生しているということ。


そこから導き出したのは、

出口をつくることができるのは新月の夜の、"同期"の瞬間だけ。

カレンダーによると、新月は来週。これを逃せば次はひと月先だ。


要するに、帰還のハードルがかなり高くなったと言うこと。


それから、諏合さんとの一週間の共同生活が始まったと言うことだ。


「さ、今日はもう寝ましょうか。明日からは忙しくなるわよ」


「そうですね。じゃあ諏合さんは僕の布団を使ってください。僕は寝袋で寝ます」


そうして、部屋の真ん中に向かい合うように寝転ぶ僕と諏合さん。

ある程度離れているとはいえ、そう広くはない部屋だ。

時折目があって、その度に気まずい。


「ふふ、緊張してるの?私、結構いい年の女よ?もしかしてそういう趣味?」

「え!?いや、まあ、その、そういう趣味ではないといえば嘘になりますけど」

「あらあら、もしかして襲われちゃう?」

諏合さんは眠そうな目でからかうように笑う。


「残念ながら、寝袋ですからね、手がだせません」

上手いこと言うじゃないと返ってきたきり、静かになって、そのうち寝息がきこえてきた。


誰かの寝息を聞くなんて、もう何年も経験していなかった。

人の寝息がこんなにも安心するものだとは。


その日は、僕の今までの人生の中で一番質の良い睡眠になった。



――それから一週間。

僕らは入念な準備の末、その日を迎えた。


「いい、最後の確認よ。ゲートを作るのは

現実世界との融合係数が最も高い、ホームセンターの屋上、北東の端。

時間は夜の同期が発生するタイミング。すなわち午前零時丁度。

この場所、このタイミングでコレを起爆する」


そう言って諏合さんは乾電池のようなものを取り出した。


「これはパルスボム。瞬間的に大容量のエネルギーが得られるわ。コレは貴方が起動して」

諏合さんは僕に"パルスボム"を手渡しながら、話を続ける。

「ゲートが維持できるのはせいぜい数十秒程度。

もし、あなた一人だけしか帰れない状況になっても、迷わず起動するのよ」


含みをもたせた言い方が引っかかって、諏合さんに質問をなげる。


「もし、"僕"が帰れなかったらなにかあるんですか」


図星だったようだ。

諏合さんはすこしだけ目を瞑ったあと、観念したように話し出した。


「おそらくだけど、あなたはココに長く留まりすぎている。

今帰らなければ、さらにあと一月なんて、肉体になんらかの影響がでてもおかしくない」

あくまで"可能性の話"として話してくれているが、

その言葉には研究者としての自信が含まれていた。


「なら、なおさらコレは諏合さんが持っていてください」

そういって、僕は件のパルスボムを諏合さんに返した。


「諏合さんはこの世界を行き来する研究をしてるんでしょ。

でも、僕が帰っても諏合さんを迎えに行くことはできない。

だったら諏合さんだけでも帰ったほうがいい」


「うーん。一理あるけど、なんだかうまく丸め込まれた感じね……」


「ま、二人揃って出ればいいだけの話です。大丈夫ですよ!」


僕がそういうと、諏合さんは諦めたようにふっと笑った。

「そうね。よし、じゃあそろそろいくわよ。他に質問はないわね?」


「あ、最後にひとつだけ聞いておきたいことが」


「なにかしら」


「……下の名前で呼んでもいいですか」

僕のその質問に、彼女は一瞬面食らったような顔をしたが、

すぐにイタズラっぽい笑みを浮かべて、


「ダメよ」と、ひとこと。


かなり勇気を振り絞って発した言葉だけに、落ち込む僕。


「ふふ、だって私の名前、長いもの。呼ぶならミドルネームにしてちょうだい」

「えっ、じゃあミドルネーム教えてください」

「それはダメ。私のミドルネームは本当に親しい人にしか教えないの」


「ええ、八方塞がりじゃないですか……」


そういう僕に、ふと、すこしだけ真剣な表情をして彼女は言った、

「でも、ここからでて、まだ私の名前を呼ぶことがあったら教えてあげるわ」





 「――それじゃ、手はず通りに」

ホームセンターの駐車場にきた僕たちがまず最初にしたのは、

コンビニで手に入れた花火に火をつけることだった。


これでノイヅをここに引きつける算段だが、うまく行くかどうかはわからない。

すべての花火に火をつけ、時間差で火がつくように細工をしたロケット花火の1本目が、

カン高い音をたてて飛んでいくのを確認した僕たちは、資材搬入口へと走った。


どうやら敷地内は、営業時間外になると自動で照明が薄暗いものに変わるらしく、

視界には困らないものの、かなり不気味だ。


起爆タイミングにむけてのカウントダウンを表示させている

スマートフォンの画面を確認しながら、店内に踏み込む。


屋上に行くには、この資材倉庫を抜けたスタッフルームにあるハシゴを使う。

ハシゴを登れば目的地はすぐ目の前だ。時間はまだある。焦る必要はない。


ハンドレールガンとかいうお手製の武器を構えて先行する諏合さんを

見失わないようにしながら、なるべく落ち着いて進む。


僕にも武器のひとつやふたつ、作っておいてもらえばよかったな。


諏合さんがスタッフルームのドアの前で、

さながら特殊部隊のようにハンドサインを送る。


ハンドサインなんてさっぱりわからないけど、

どうやらドアを開けるように促しているようだ。


そっとドアノブに手をかけて、ゆっくり引っ張る。

どうやら鍵はかかっていないらしい。


中を覗き込んだ僕たちは、ハッと息をのんだ。


――ノイヅ。

おぞましい腐肉と泥の塊がそこにはあった。

まだこちらに気づいていないのか、身動き一つしない。


そっと、

ドアを戻して行き、

カチリと音をたてて

ドアが閉まったのを確認した僕たちは

そろり、

そろりと、後ずさる。


なんで、ノイヅがこんなところにいるんだ。

すくなくともアレは花火に興味がないことは確かなようだ。


「どうします?ここから上がれないんじゃ……」

「反対側から登りましょう」


この建物は、おおむね左右対称の作りをしている。

反対側の資材置き場には屋上へつづく螺旋階段があったはずだ。

その場合、屋上を端から端に移動しなければいけないけど、なんとか時間には間に合うはず。


――突然、「ガンッ」という大きな音が響き渡った。


「気づかれた!?」

音の主はさっき閉めたドア。

すなわち、

その向こうのノイヅの仕業に違いない。

「ガンッ!ガンッ!」と、がなり続けるドア。

どうやらドアに向かって体当たりを繰り返しているようだ。

やはり、知能はそこまで高くないらしい。

だが、いつ、ドアが破られるかわからない。

急いでこの場を離れよう。



ひとまず商品売り場に出た僕たち。

目指すは反対側、南東の資材置き場だ。

薄暗い照明の店内を慎重に、かつ早足で進む。

遠回りをする羽目になったおかげで、もうあまり時間はない。


何事もなく、建物の中央を超えたあたりで、ふいに


――ぞわっ


と、身の毛もよだつような雰囲気を感じ、咄嗟に叫ぶ。


「上です!諏合さん!!」


大きな破壊音と共に落ちてきたのは

業務用のエアコンだった。

前にいた諏合さんを必死に抱き寄せる。

――間一髪。

今の今まで諏合さんがいたところに

エアコンが叩きつけられた。


そして、

さらにその上、

僕らの目の前に、

グチャ――

っと、不快な音を立ててノイヅが落ちてきた。


僕の腕の中で武器を構えた諏合さんが

至近距離からノイヅに発砲する。


ノイヅが怯んだのを確認した諏合さんは、

僕の腕を振りほどいてから、

僕の手を握って走り出した。

「今のうちに急ぐわよ!」



なんとか反対側の屋上への階段に到着した僕たち。

もう残り時間は5分を切っている。

屋上に出たらまた、反対側へ向かわなければならない。

急がなければ。


螺旋状の階段を登りきり、屋上への扉を開く。

屋上にはいくつかのダクトのようなものがあるだけで、

目的地までは一直線だ。

僕より諏合さんの方が足が速い。

先に着いてもらうのが賢明だろう。

そう思って、諏合さんには先に走ってもらうことにしたが、

この判断が間違いだった。


諏合さんが走り出し、ダクトの前を通過した瞬間、

ボンッという破裂音と共に、

ダクトの中から

ノイヅが僕たちの間に割って入るように飛び出した。


一瞬ためらいながらも、

自分の方にノイヅが向いていることを認識した諏合さんは、

目的地にたどり着くことを優先した。


だけど、

ノイヅが諏合さんに向かっていくその光景を見て、

僕は強い恐怖を感じた。

ノイヅに対する恐怖じゃない。

諏合さんが居なくなることに対する恐怖だった。


すると、

どういうわけか、

ノイヅが踵を返すようにこちらに向かってきた。

困惑する諏合さんが僕の名前を叫ぶ。


「大丈夫です!なんとかします!!

諏合さんは先に行ってください!!」

そう叫びかえしながら、

僕は今来た道をかけ戻る。


ノイヅが付いてきているのを確認しながら、

登ってきた螺旋状の階段に飛び込み、

駆け下りる。

ご丁寧に階段を降りてくるノイヅを横目に、

僕は踊り場から身を乗り出して、


上の踊り場に飛び上がった。

すぐに反転して引き返してくるノイヅ。

なんとか階段を登りきって屋上に戻り、

ドアを閉める。

瞬間。

体当たりをしてくるノイヅ。

ガンッという強い衝撃に

ドアが外れそうになる。

ズボンの中でスマホのアラームが震えている。


"同期"の時間だ――!


僕はとっさにドアを開く。

勢いよく飛び出してくるノイヅ。

その瞬間。

同期が起き、

"閉まった状態"に戻るドア。

悲鳴とともにドアに埋まるノイヅ。


――閃光。


どうやら諏合さんはゲートを開いたようだ。


ドアに埋まったノイヅの姿が

二重になったかと思うと、

その体がドアを残して弾け飛んだ。


そして同時に強い衝撃波が僕をおそった。

身体が宙を舞い、

落下を始めた僕の体は、

屋上の鉄柵に叩きつけられた。


ほんの数秒、

目の前が真っ白になったが、

なんとか体勢を立て直し、諏合さんの元に走る。


だけど、

もう……ゲートには間にあわない。


諏合さんの絶望と安堵が入り混じったような顔がみえる。


「行ってください!!僕なら大丈夫です!」


「でも!」


「迎えに来てくれるんでしょ?諏合さんのこと信じてますから!」


僕がそう言うと諏合さんはすこし寂しそうな顔をしてから、

いつもの自信に満ちた表情に戻って、


「――スミレよ!私のミドルネーム!覚えておいて頂戴!!」


そう言い残して、彼女の姿は消え、同時にゲートも消滅した――





――ま、そんなわけで、僕は脱出に失敗した。



諏合……いや。

スミレさんの言っていたことが正しければ、この世界にいられる時間には限りがある。

のんびりとスミレさんが助けに来てくれるのを待っていられない。

最後に一瞬だけ見せた、あの寂しそうな表情。

多分スミレさんもそれをわかっていたんだろう。


もってきたカバンに紙が沢山入っていてよかった。

この紙とペンは同期されないから、こうして僕の頑張りを書き記しておける。

この紙が誰かの手に、願わくばスミレさんの手に渡ることを願っている。


さて、そろそろ同期の時間だ。

もう書くところも無くなってきたし、この紙はここに置いていく。


すこし試してみたいことがあるんだ。

もしうまくいけばここから出られるかもしれない。


結果は無事出られたら直接話すよ。

それじゃ、また。









「えっ?ここでおわり!?続きは!?」

熱心に書類を読んでいたななみが突然、声を上げる。


「それだけよ。小説じゃないんだから」

それを見て、隣で書類を整理していた諏合博士が呆れたようにいう。


「えぇ~!じゃあ続き教えてよ!

この男の人どうなったの?!ここに出てきた諏合ってハカセのことでしょ~?!」

そういいながら、駄々っ子のように跳ね回るななみ。


「イヤよ。あまり面白い話じゃないもの」


信じてるって言ったのに……と、

須郷博士は小さく呟いたが、ななみには聞こえなかったようだ。



と、そこへ研究室のドアが開き、博士の助手の女性が入ってきた。


「スミレさ…っと、諏合博士、こちら、今月の発注依頼書です」

彼女は博士に親しげに話しかけようとして、ななみを視認して、態度を改めた。


一方、来客にはお構いなしに駄々をこね続けるななみ。

「ねぇ~いいじゃないのよ。教えてよぉ。

迎えに行ったんでしょ?イケメンだったの?そーゆーかんけいだったの?

え、もしかして間に合わなかったの?!ねー!!」


「じゃあ僕はこれで。」

と、駄々をこねる女子高生に苦笑いを浮かべながら、用事を済ませて出て行こうとする助手を、

須郷博士が横目に見ながら唐突にやわらかい笑顔を見せて、


「そうねぇ、信じてるって言っておきながら

自力でなんとかした逞しい女性科学者の話なら聴かせてあげないこともないわよ」


「えーなによそれー、そんなのいいからこの話のつづきー!!」

いたずらっぽい笑みを浮かべる諏合博士と、まいったなぁなんて言いながら部屋を後にする助手。

ふたりの雰囲気に、ななみは最後まで気づくことはなかった。


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