05-A
“一緒に仕事に行けるように”なんて、口実に過ぎない。
お父さんのそばにいたいんでしょ? バレバレだって。
突然私の家を訪れたフランカは、まず、家にいた父を熱心に説得し始め、やがて学校から帰ってきたスヴェンとミリィを、初対面にもかかわらず言葉巧みに味方につけ、共に父を追い打ちし、難なく居候の許可を取り付けた。
その数時間後に、私が帰宅。
……とまぁ、そういう流れだったようだ。
まさか、こうもいきなり積極的に攻めてくるとは思いもしなかった。
ていうかさ、すっかり忘れてたよ。
そうそう、そうだよね。フランカは、私の父を男として見てるというか、惚れてるんだった。
あー、なんか久し振りだな、この感情。
この、不満と苛立ちがごっちゃになったような、すっきりしない気持ちはさ。
……まぁ、食費やその他諸々の生活費は、ちゃんと3ヶ月分納めてくれるみたいだし、その点では全く文句は無い。
うちには使ってない部屋が一つだけあって、それを明日からフランカ自身が掃除するって言ったらしいので、それに関しても文句は出ない。
私不在で決めたことについても、私自身はっきり反対しなかったわけだし、文句は言えない。
だけど、ただ一つだけ、心配なことがある。
私や弟たちが学校に行っている間、父とフランカは家で二人きり。
それが気になって仕方ない。
父のことは信じてるよ。以前、母のことを裏切るようなことはしないって言ってたし、その言葉をずっと信じてる。
問題は、フランカの方だ。
こんなに積極的に近付いてきた以上、この先もその調子で攻め続けるはず。
それを3ヶ月も続けられたらどうだ。さすがの父の心も揺らぐんじゃないか?
そうして、あれよあれよという間にあんなことになってこんなことになって、最後には父と――
千切れるくらいに首を振って、飛躍する思考をかき消す。
そそっ、そんなことあってたまるか!
「……」
ベッドで上体を起こしたままだった私は、ふと、隣を見やる。
そこには、今日のところは私の部屋で寝ることになったフランカがいる。
リビングのソファで寝るからベッドは使っていいよって言ったのに、一緒に寝ましょうって聞かなくて、結局こうなった。
なかなか寝付けない私の気も知らずに、フランカは静かな寝息を立てている。
こっちは溜め息しか出ないよ、まったく。
は~あ。これからどうなることやら……。
そんなこんなであっという間に10日経ち、私とフランカは、仕事のためにモンテスから汽車に乗り、北のフェンテスへ。
あれから10日経つわけだけど、結局私は、父や弟たち同様、フランカのことを受け入れてしまっていた。
まぁ、まだ不安はあるけど、父はどうにかこうにかうまくフランカと距離を取っているようだし、今のところ、私が心配しているようなことにはなっていないみたい。
でも、気は抜けない。
……もしかしたら、傭兵候補生としての生活以上に、油断禁物かもしれない。
「ティナさん」
「……ん、何?」
思考の海原を眺めていた私は、その声で現実に引き戻される。
ここは汽車の中。さっき、二つ目の停車駅を出たところだ。
エンシーナまでは、まだ1時間くらいある。
「私、決めました」
「? 何を?」
フランカは瞳を輝かせ、両手をぎゅっと握って私を見つめてくる。
「私、傭兵になれたら、クレイグ様に思いを伝えます!」
「ふぅん。…………ん、んぇ? えっ? ええええぇぇぇぇっ?」
とんでもない大声を出し、ほかの乗客に睨まれる。だけど、そんなことどうでもいい。
「ちょっ、ちょっと待って。ちょっと落ち着こうよ、フランカさん」
「私は落ち着いています。ティナさんこそ、落ち着いて下さい」
穏やかにそう言い切るフランカ。そ、そっか、落ち着いてないのは私の方だ。だって、あまりにもさらっと言うから。
って、そうじゃなくて!
「ほほ、本気なの? え? 思いを伝えるって、それって、そ、そういうあれ……だよね?」
「はい。そういうあれです」
私のぼやかしが過ぎる言葉を理解したのかしてないのか、フランカはこれっぽっちも動揺を見せることなく頷いた。
「……」
やばいな。とうとうそういうことを言い出したか。いつか来るとは、思っていたけど。
「待って、フランカさん。私の話を聞いて」
「はい」
大きくて丸い綺麗な目が、私を見つめる。
とにかく、どうにかして思いとどまらせなくちゃ。
「……例えば、例えばだよ? フランカさんの思いが、お父さんに通じたとするでしょ?」」
「え~? やだもうティナさんったら」
緩んだ顔を手で覆い、身体をくねくねさせるフランカ。私は、慌てて「た、例えばだって!」と言うけど、彼女は照れっぱなしだ。
もういい。とにかく、話を続けよう。
「そしたら、2人は付き合うことになるじゃない?」
「んふふ~。付き合うだなんて、そんな~。でも、そうですね~」
私の言葉に、どんどん盛り上がっていくフランカ。
「で、……け、けけ、結婚なんてことになっちゃうかもしれないわけ、だよね?」
「結婚……!」
彼女の頭の中では、おそらくもうその光景が思い浮かんでいるんだろう。天にも昇る心地、という感じの表情を浮かべている。
私が言いたいのは、その先だ。
「でもさ、そしたらフランカさんは、私の、……お、お母さんになっちゃうんだよ?」
恍惚としていたフランカの表情が、瞬時に我に返ったように、真顔になる。
その双眸が、ゆっくりと私を捉えた。
「……ティナさんの、お母さん? 私がですか?」
なんだ? 意味がわかってないのか?
「そうだよ。私のお父さんと結婚するってことは、そうなるんだよ」
フランカは、目をぱちくりさせている。
そうして、ようやく理解できたのか、「あ」と発して固まった。
「わかってくれた? 私たち二つしか離れてないのに、親子になっちゃうの。フランカさんのことをお母さんだなんて、私、そんなふうに思えないし、呼べないよ……」
ここで、できるだけ困った顔をしてみる。……さぁ、これでどうだ?
「……でしたら、今から練習をしましょう」
「ふぁ?」
変な声が出た。
「今から、私のことをお母さんだと思って下さい。呼ぶ時も、フランカではなく、お母さんとお呼び下さい」
何言ってんだ、この子!
「ま、待って待って! 私、嫌だよそんなの」
どうしたら諦めてくれるの?
「フランカさんは、私の大切な友達で、大切なパートナーなの。それを突然お母さんだなんて、無理だよ。受け入れられないよ」
「あ、あの……」
「それに、お父さんはフランカさんのこと――」
「冗談です」
私の言葉を、静かな声が遮った。静かだけど、どこか硬い声だった。
「え……?」
気付けば、薄い微笑みを浮かべたフランカが、私を見つめていた。
「ティナさんがいろいろ仰るから、ついふざけてしまっただけです。まさか、それほど本気にされるとは思っておりませんでした。ごめんなさい」
「冗談って……」
どこから、どこまでが?
フランカはにっこり笑って、そっと窓外へ視線を移してしまう。
そして私は、とんでもないことを口走りそうになっていたことに思い至る。
――お父さんはフランカさんのことを、絶対にそんな対象として見ないよっ!――
うっかり、そう叫んでしまうところだった。
それきり黙り込んでしまったフランカを、私はチラチラと窺い続ける。
……もしかしたら、フランカはわかっているのかもしれない。
父に、決して相手にされないということを。
だからさっき、私の言葉を遮ったんじゃないの?
どこか悲しげに見えるのは、そのせいなんじゃあ……。
「ティナさん」
やがて、フランカは静かに声を発した。視線は、窓の外に向けられたままだ。
「ティナさんは、本気でしたよね?」
「え? な、何が?」
フランカの瞳が、こちらを向く。ドキッと、心臓が跳ねる。
「先程、ティナさんは仰いました。私のことを、大切な友達で、大切なパートナーだと」
……言った? あ、いや、言ったな確かに。
いつもの穏やかな笑みが、フランカの顔を覆っていく。
「そのように思って下さっていたなんて、私、とても感激しています。本気、ですよね? ティナさん」
私、からかわれたのかな。目の前に広がる微笑みを見て、すっきりしない溜め息をつく。
「本気に決まってるでしょ。もちろんフランカさんも、そう思ってくれてるよね?」
「はい!」
そう即答して、嬉しそうに足をぶらぶらさせるフランカ。
結局、彼女の真意はわからずじまいだった。




