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第一章⑤ ゲームじゃない

遅くなりました。

木々の間を抜ける風が、葉を揺らしていた。


伊織は《金緑石の結晶杖》を片手に、森の中を歩いていた。身長よりも30センチほど長い杖は、こうして持ち歩いていると少々大げさに見える。

その隣では、セラ太が小さな足を動かしている。


「第二オベリスク…そろそろ見えてもいいと思うんだけどなぁ…」


ゲームで覚えた地形を思い浮かべながら、伊織は木々の向こうを見渡した。

道らしい道はない。地面には草が茂り、ところどころに木の根が張り出している。


「……ん?」


不意に、森の奥から物音が聞こえた。

草を踏み荒らす音。それも一つではない。

セラ太が顔を上げて唸り声をあげて警戒する。

伊織も足を止め、杖を構えた。


次の瞬間、茂みを突き破るようにして赤黒い獣が飛び出してきた。


「…サラマンダーハウンド…!」


一匹、二匹、三匹。

さらに後ろからも続いてくる。

伊織は咄嗟に魔法を準備した。


しかし、先頭の一匹は伊織の方を見ようともしなかった。


「……あれ?」


獣たちはそのまま横を駆け抜けていく。

最後の一匹に至っては、伊織の存在に気付いているのかさえ怪しかった。


あっという間に、群れの姿は森の向こうへ消えた。


「……なんだったんだろ?今の…」


伊織は肩の力を抜き、杖を下ろした。


「なにかに追われてたのかな……こっちに来るのかな…?」


獣たちが現れた方向へ目を向ける。

その時、木々の隙間に黒く光る人工物が見えた。


「…あっ!?」


伊織は思わず声を上げた。


「あれ、オベリスクじゃない!?」


遠くの木々の上に、尖った先端が突き出している。


「やったぁ!見つけた!」


ようやく目印を見つけた伊織は、嬉しそうにセラ太を振り返った。


「よーし、あそこまで一直線!行こっ、セラ太!」


「わんわんっ」


伊織たちは意気揚々と歩き出した。

ーーその数分後。


「……あー」


伊織は再び足を止めていた。

進行方向に、巨大な蟹がいた。


黒々とした甲殻。太い脚。人間など簡単に挟み潰せそうな鋏。

地面から甲羅の上まで、優に三メートルを超えている。


ダマスクキングクラブ。


先日倒したアダマンキングクラブの通常個体であった。


「なるほど…さっきの子たちはこれから逃げてたのね……」


蟹の脚元には、サラマンダーハウンドが一匹倒れていた。

すでに動かないその身体を、巨大な鋏が押さえつけて肉を啄んでいる。


「うーん……」


伊織はオベリスクの先端を見上げた。

目的地はもうすぐ目の前だ。迂回するには少々面倒な配置に蟹が陣取っていた。


「……しょうがないよね…セラ太、ちょっと離れててね」


伊織は杖を持ち直す。


「ちゃちゃっと済ませてオベリスク見に行こう」


伊織は杖の先を蟹の脚元に向けた。


「《炸裂する炎熱(バーストフレア)》!」


爆発。


蟹の片側の足元で地面が弾け、土砂と炎が噴き上がった。

巨体が傾く。

その瞬間を逃さず、伊織は次の魔法を放った。


「《大地の握撃(テラグリップ)!》


地面が盛り上がり、蟹の脚を絡め取る。

硬く締まった土が、傾いた巨体をそのまま固定した。

ダマスクキングクラブが暴れる。

鋏を振り上げ、脚を引き抜こうとするが、体勢が悪い。


やがて口元に水が集まり始めた。


「あ、それは駄目だよー」


蟹の口元で圧縮された水が、一直線に噴き出す。


「《刺し穿つ奔流(ハイドロランス)》!」


伊織の杖先からも水の槍が放たれた。

二つの水流が正面から衝突し、激しい飛沫となって周囲へ散る。

伊織はそのまま次の魔法を杖から放った。


「《締め上げる旋風(エアラコブラ)》!」


蛇のようにうねる風が、巨大な鋏へ巻き付いた。

左右の鋏が押し広げられる。

蟹は抵抗するものの、脚を固定された状態では思うように動けない。

露わになった口元へ、伊織は杖先を向けた。

視界の中に、小さな光の標識(ターゲットマーカー)が浮かぶ。

狙うべき一点を示す、見(・)慣(・)れ(・)た(・)目(・)印(・)。


「はい、そこ」


杖に据えられた七色の結晶が輝いた。


「《貫く雷光(ライトニングパイル)》!!」


稲妻の槍が迸る。


一直線に伸びた雷撃は、光の標識が示す位置へ正確に突き刺さった。

蟹の口腔内で閃光が弾ける。

硬い甲殻の内側から衝撃が走り、巨大な体がびくりと跳ねた。


そして。


ダマスクキングクラブは甲殻の隙間から焦げた匂いと薄い煙を昇らせながら、動かなくなった。

鋏が力なく大地に落ちる。


「…よしっ、おーしまい!」


伊織は蟹に近付き、遺骸を調べた。


「さてと…正直、この子の素材は唸るほどあるんだよねぇ…」


マジックバッグの中には、先日解体したアダマンキングクラブの芳醇な蟹肉が大量に入っている上に、ダマスクキングクラブの素材もそれまでにかなり備蓄されていた。レアモンスター周回のおかげ(周回のせい)である。


「…うん。今日の夜は蟹肉食べてみようかな」


そう決めると、伊織はゲーム中でドロップが設定されていなかったダマスクキングクラブの黒い甲殻を少しと、蟹肉の一部を採取しただけで、残りはそのままにしておくことにした。

森の生き物たちが、いずれ片づけてくれるだろう。


「おまたせ、セラ太!」


少し離れた場所で待っていたセラ太が、伊織の方へ駆け寄ってくる。


「よーし、今度こそオベリスク調査だー!」


伊織は再び歩き出した。

今度は、行く手を阻む者はいなかった。


 ◇ ◇ ◇


「……うわぁ」


第二オベリスクを目の前にして、伊織は思わず声を漏らした。

そこにあったのは、確かに見覚えのある黒く輝く石造りの建造物ではあった。

空へ向かって伸びる四角い柱。先端に向かって細くなる形状。

ゲームで何度もファストトラベルの目印として利用したオベリスク。

だが、その姿は記憶にあるものとはずいぶん違っていた。


「こんなに苔…生えてたっけ…?」


石の表面には厚く苔が広がり、ところどころ蔦植物が覆っている。

根元には草が生い茂り、長い年月をかけて森に取り込まれたような姿になっていた。

ゲームではもっとすっきりした外観だったはずだし、オベリスクの周りはどこのものも拓けた土地だったはずだ。


「…モンスターもいるなぁ」


少し離れた木々の間を、昆虫のような形をしたゴーレムが歩いていた。

こちらには気付いていないらしい。

伊織も、わざわざ相手をするつもりはなかった。


ゲームのオベリスク周辺は、安全地帯だった。

明確な壁や結界が見えるわけではないが、モンスターは一定の距離より近付いてこない。

そのため、プレイヤーは一時的な拠点として活用するものもいた。

しかし、今は違う。


「…ほかの人も、やっぱりいないか…」


伊織は少し眉を下げた。

気になることは多い。

だが、まずは本来の目的を果たさなければ。


「さてと…」


伊織はオベリスクの周りを一周歩いてみた。

オベリスクの表面を観察する。

だが、ゲーム中と同じく文字もなければ扉もない。傷一つない、苔むしたただの石柱であった。

伊織は観察し終えると、オベリスクの前に立つ。


「……ファストトラベル」


なにも起こらない。

少し待つ。


やはりなにも起こらない。


ゲームでは、オベリスクにアクセスすると転移先の一覧が表示されるウインドウが現れていた。

行き先を選べば、登録済みのオベリスクへ瞬時に移動できる。広大な世界を旅するには不可欠の機能であった。

伊織はもう一度、石柱へ意識を向ける。

しかし、見慣れたウインドウは現れなかった。


「……やっぱりだめかぁ…」


それでも、すぐには諦めない。


「もしかして、頭の中で行き先を指定する方式に変わったとか…?」


そう考え、伊織は目を閉じた。

大陸にある街を思い浮かべる。ゲームで何度も訪れた街。

どんな施設があったかも知っている。店で何を買ったか、どこで依頼を受けたか、そういった記憶も残っている。

なのに。


「……あれ?」


街の景色と名前が、はっきりと思い浮かばなかった。

通りの風景も、広場の様子も、確かに知っているはずなのに、霧の向こうに隠れているようだった。


「……なんで?」


オベリスクに手を触れてみる。

冷たい石の感触。


それだけだった。

音も、光も、転移の兆候もない。


「……うーむむむ…」


伊織は腕を組み、オベリスクを見上げた。

ログアウトはできない。

ゲームの画面も開けない。

そして今度は、転移も使えない。

どうやら、ゲームで当たり前だった便利な機能は、ここでは当たり前ではないらしい。


「……これはちょっと困ったなぁ…」


伊織は深く息を吐いた。

足元では、セラ太が不思議そうに彼女を見上げている。


「うん、そうだね。別の方法探してみよっか」


伊織は小さく笑い、セラ太の頭を撫でた。


 ◇ ◇ ◇


「さて、他に使えそうな機能は……」


伊織はオベリスクから離れ、少し考えこんだ。

ゲームの画面は開けない。ファストトラベルも使えない。


「…あっそうだ!《コール》!」


思いついた伊織はポンと手を打ち、さっそく意識してみた。

ゲームでは、プレイヤー同士が声で会話するための魔法ではない機能だった。離れた場所にいる仲間とも話せる、いわゆるボイスチャットである。

もしこれが使えるなら、他のプレイヤーと連絡が取れるかもしれない。


意識を集中させる。


…ザザッ…


「…っ!?」


突然、耳元で雑音が鳴った。思わず肩をすくめる。


「な、何…?」


ざざざ…ザ…


音は続いている。

風の音でも、木々のざわめきでもない。頭の中へ直接流れ込んでくるような、不思議な雑音だった。


「…これ、もしかして通信のノイズ?」


少なくとも、何の反応もなかったファストトラベルとは違う。

何かが繋がっている。

そんな感覚があった。


(もしもーし…聞こえますかー?)


返事はない。


(こちら、PDAプレイヤーの伊織です。誰かいたら返事をお願いしまーす)


ザザッ……ざざざ……


聞こえてくるのは雑音ばかり。


「…うーん」


伊織は腕を組んだ。

ゲームでは、通話相手を指定してから《コール》を使っていた。

だが、今は相手を選ぶ画面もない。

それでも雑音が聞こえるということは、通信機能そのものは動いているのかもしれない。


「近くに相手がいないだけ…だったりする?」


そう考えると、少し希望が湧いてきた。

この世界に他のプレイヤーがいるなら、いつか声が届くかもしれない。


「…よし、しばらく試してみようっと」


伊織はセラ太を見下ろした。


「それじゃ、予定通り西へいこっか」


「わんわんっ」


セラ太が元気よく応じる。

伊織はオベリスクを振り返った。

結局、転移はできなかった。

だが、手掛かりが何も得られなかったわけではない。


「また来るからねー」


誰にともなくそう告げて、伊織は歩き出した。


 ◇ ◇ ◇


(もしもーし、誰か聞こえませんかー)


ざざざ…


(PDAプレイヤーの伊織でーす、応答願いまーす)


ザッ……ざざっ…


「…だめかぁ」


森を歩きながら、伊織は何度目かのため息をついた。

《コール》は途切れることなく雑音を返してくる。

声をかけても、明確な返事はない。

それでも、伊織はときおり呼びかけを繰り返していた。


しばらくそうして歩いていた頃だった。


ざざっ……ぎゃ……ざっ


「……ん?」


伊織は足を止めた。

今、何か聞こえたような。


(もしもし?誰かいますか?)


ザザザ…


「…気のせいかな?」


セラ太が不思議そうに首を傾げている。


「ううん、なんでもないよ」


伊織は再び歩き出した。


しかしそれから、時折似たような音が混じるようになった。


「…あっまただ!」


伊織の表情が明るくなる。


「もしかして、誰か繋がってる!?」


ざっ…ぎゃぎゃ……


(もしもし!聞こえてますか!?)


ざざっ


雑音の向こうで、何かが短く鳴った。


「…あれ?」


続けて、別の音が重なる。


ぎゃっ、ぎゃぎゃ…


伊織は意識を集中した。


「…外国の人かな?英語ならわかるんだけど…」


言葉は聞き取れない。

けれど、先ほどまでの単調な雑音とは明らかに違っていた。


(もしもーし!こちらの声、聞こえてますかー!)


その瞬間。

雑音の向こうの声が、ぴたりと止まった。


「……?」


少しの沈黙。


次いで、甲高い声がいくつも重なった。


ぎゃぎゃっ!

ぎゃっ、ぎゃぎゃぎゃ!!


伊織は思わず顔をしかめた。

そのときだった。

セラ太が足を止めて、藪の向こうに唸り声を上げ始めた。


「セラ太?」


小さなゴーレムは、森の奥をじっと見つめている。


「…えっ?」


がさりと茂みが揺れた。

伊織は反射的に杖を構える。

木々の間から、小柄な影が飛び出してきた。

赤褐色の肌。

尖った耳と鷲鼻。

そして頭に被った赤い帽子。


「……レッドキャップ!?まずい!」


一匹ではない。続いて2匹が姿を現した。

先頭の一匹は木の盾と鋭い鉈を持ち、もう一匹は短弓を構えている。

残る一匹は、両手に手斧を握っていた。


「ぎゃっ!ぎゃぎゃぎゃっ!」


三匹は伊織を見るなり、ひどく興奮した様子で騒ぎ始めた。

その声と同時に。


ざざっ…ぎゃぎゃっ!


《コール》からも同じ声が聞こえた。


「…えっ!?」


レッドキャップが《コール》を使っている。

プレイヤー同士の通信機能だと思っていたものを、魔物も使っている。


「噓でしょ!?《コール》ってプレイヤー専用機能じゃないの!?」


伊織が驚いてる間にも、三匹は動いていた。

盾を持った一匹がこちらに距離を詰めてくる。

弓兵が高所に陣取る。

手斧を持った一匹が横へ回り込もうとしている。


伊織は杖を握り直して判断を迫られた。

前か、横か、上か。

レッドキャップの弱点は闇だったはず…そこまで考えて正面の一匹が危険な距離まで一気に詰めてきた。


「…!《飛び出す影(シャドウバット)》!」


杖先から黒い蝙蝠が飛び出した。

発生が早く、弾速も早い、闇属性の単体攻撃魔法。

レッドキャップを一匹倒すくらいたやすい威力のはずだった。


瞬間、レッドキャップは盾を前に突き出した。

黒い蝙蝠が盾に衝突し、弾け飛ぶ。

縦を構えたレッドキャップは、わずかに動きを止めただけだった。


「…なんで!?ゲームと違う!」


伊織は盾を改めて見た。

木板の表面に、きらきら光る何かを括り付けている。

淡い光を放つ、緑色の苔。


(…あれ、洞窟によくある光る苔だよね?アイテムにすらならないはずのに…)


逡巡したそのとき。

風を切る音が頬をかすめた。

弓兵の矢だ。だが、弓兵は標的を伊織からもう片方に変えていた。


「…セラ太!?」


矢が、小さな犬型ゴーレムに向かって飛ぶ。

思わず伊織がそちらへ顔を向けたその瞬間。


「ぎゃぎゃーー!」


横合いから、赤い影が跳んだ。


「ーーっ!?」


両手に手斧を持ったレッドキャップ。

いつの間にか、すぐ近くまで回り込まれていた。

伊織は反射的に身体を捻った。

鈍く光る刃が、首のすぐ横を通り過ぎる。


びりっ!


布の裂ける音。

そして肩に鋭い痛みが走った。


「…あっぐっ……!」


伊織はよろめきながら後退した。

黒いローブが肩口から裂けている。その下の服にも、赤い染みが急速に広がり始めていた。

肩が熱い。

痛い。

咄嗟に肩を押さえた左手も赤く染まってきた。

伊織は目の前のレッドキャップたちを見た。

歯を剥き出しにして甲高い声を上げている。

その手には血の付いた斧。それをおもむろに帽子に塗りたくっていた。

そして、その視線は伊織の首元に向いていた。

ぞくりと背筋が冷たくなった。


ーー殺す気だ。


今更ながらに当たり前のことに気付いた。

相手は魔物なのだから。

けれど。

ゲームの中でキャラクターの体力が減ることと、実際に刃物で切られることは、まるで違った。

今の一撃がもう少し深く入っていたら、腕はどうなっていただろう。

避けるのがほんの少し遅れていたら、どこに切っ先が届いていただろう。


「…ひっ」


伊織は杖を握りしめた。


レッドキャップたちは何かを叫びあいながら、互いの位置を確認しているように見える。

頭の中に《コール》の声が聞こえる。

どうやらレッドキャップたちは、《コール》で連携を取りながら襲い掛かってきているらしい。


しかも。


がさがさがさっ!

別の方角から、新たな物音が聞こえた。

《コール》に、別の甲高い声が混じった。


(……増援!?)


伊織は顔を青くした。

三匹だけでも、思うように魔法を使わせてくれないのに…


木々の向こうに赤い帽子が二つ見えた。

片方は釘の打ち込まれた棍棒を、もう一匹は大きめの手斧を両手で握っている。


伊織はセラ太を探した。

小さなゴーレムは、少し離れた場所で身を低くしていた。

弓兵の二発目の矢は、すぐそばの地面に突き刺さっていた。


「…逃げるよセラ太…《閃光弾(フラッシュバン)》!!」


今回の魔法は指向性を付与した改良型だ。自分がいる方向以外の全範囲に閃光と爆音を炸裂させた。


「ぎゃぁぁあっ!?」


5匹のレッドキャップが悲鳴を上げる。

目を押さえ、耳を塞ぎ、互いにぶつかりながらよろめいた。


「セラ太!こっち!」


伊織は身を翻し、木々の間を走りだした。

背後から、怒り狂ったような叫び声が聞こえる。

だが、振り返らない。

今はとにかく距離を取らないと…


 ◇ ◇ ◇


「はぁっ…はぁっ……っつ…!」


伊織は方向もわからずその場を急いで離れるしかなかった。

息も絶え絶えになりながら必死で走り、叫び声が聞こえないようになってもしばらく走った。

体力の限界を迎えてようyく立ち止まると、痛みがぶり返してきた。

周囲を見回し、セラ太以外に気配がないことを確認すると、マジックバッグからポーションを取り出し、肩の傷口に振りかけた。

不思議と傷に染みることはなかったが、出血は止まり、痛みも引いた。

ようやく安堵の息をつくと、空になった瓶をバッグにしまい、改めて周囲を観察した。

流石に疲れた。一息つけるところが欲しい。

木々。

茂み。

岩。

そしてその先に。


「…あっ」


斜面の岩肌に、暗い穴が開いていた。

洞窟だ。

入口はそれほど広くないが、伊織が通るには十分だった。


「あそこ…!セラ太!」


伊織はセラ太を呼び、洞窟へ駆け込んだ。

外の明るさが急に遠ざかる。

足元は岩だらけで、少し湿っていた。

それでも、完全な暗闇ではない。

壁のところどころに生えた苔が、淡い光を放っていた。

それも気になるが、ひとまず入口から少し離れた岩陰へ身を寄せた。


「…はぁ…」


伊織はゆっくりと息を吐いた。


「…なんとか逃げられたかな…?」


返事の代わりに、セラ太が小さく首を傾げた。

伊織はその身体を確かめる。


「セラ太、怪我してない?」


矢が当たった様子はない。身体のどこかが欠けたり、動きがおかしくなったりしてもいない。


「…よかったぁ」


伊織はしばらく黙り込んだ。

ついさっきまで、自分はゲームの知識を頼りに魔物と戦っていた。

巨大な蟹だって倒した。

魔法も、以前と変わらず使えた。

だから、きっと大丈夫だと思っていた。

けれど。


「…怖かったなぁ…」


ぽつりと弱弱しくつぶやいた。

セラ太が、そっと身体を寄せてくれた。


「…うん、ありがとう」


改めて肩の傷口とローブを確かめた。


「傷は治ったけど…服…直さなきゃなぁ…はぁ」


裁縫キットは無くさないようにしようと心に決めた瞬間だった。

そろそろ登場モンスターのマスクデータをちょこちょこ書いていこうかな…

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