蟹座の女
『将来、僕の癌細胞を食べて下さい』1
・蟹座の女
都心から少しだけ離れた町、植鴈町。ここには癌専門のモグリの医者がいる。値段は法外だが、どんな末期患者でも100%治せるという事で裏では有名である。しかしいつどこでその医者に会えるのかは分からない。その医者に会うには、余程運が無ければ会えない。
倉部義文は末期の胃癌患者だった。息子の春樹は医者で、義文を担当していたが、余命宣告を出していた。孫である中学一年生のカイトは放課後、一人植鴈町に訪れ、その医者を探していた。日が暮れても聞き込みをして必死に探した。しかしどれも空振りで、途方に暮れていた。そして空腹に耐え兼ね、すぐ側にあった清楚系メイド喫茶「メイド喫茶サトー」に入った。入店すると、メイド店員が出迎えた。
「お帰りなさいませ、ご主人様……!?」
そのメイド店員は、驚いた様子でカイトを見た。
「な、何か?」
「あ、いえ……お席へどうぞ~」
メイド店員に着いて行き、席に着いた。そして値段に驚いた。オムライスに2000円するのだ。他の商品も見てみたが、どれも高額で、ボッタクリなんじゃないかと思った。しかし腹は減っているし、仕方なくオムライスを注文した。こういった場所には来た事が無く、少し緊張していた。店員のメイドさんは長袖にロングスカートの衣装を着ていた。すると「キャン」と書かれたネームプレートをした背の高いメイドの店員さんがオムライスを持ってきてくれた。
「ご主人様~、こういった所は初めてですかぁ~?」
「あ、はい……すみません……」
「いえいえ~。謝らなくて良いんですよ~。じゃあオムライスに、ケチャップで文字を書かせて頂きますね~」
キャンはケチャップでLOVEと書いた。
「ではより美味しくなる、愛が籠ったおまじない、一緒に掛けて下さ~い!」
「あ、はい……」
そしてメイドさんは萌え萌えなボイスでおまじないを掛けた。
「それじゃあご一緒に~?美味しくな~れ!萌え萌えきゅ~ん!」
「も、萌え萌えきゅ~ん……」
メイドさんに合わせて掛け声をやったが、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうになった。
「ありがとうございます~!ご主人様の初めて、頂いちゃいました~!」
メイドさんのこの言葉に、カイトは「エッチなオネーサンだ……」と高揚感を覚えた。それを抑えようと、ひたすらオムライスを胃の中に掻っ込んだ。すると、そのオムライスは非常に美味しかった。2000円でも安いんじゃないかと思えるくらいレベルが高かった。食事を終え、会計を済ませて帰ろうとした。すると、さっきのキャンというメイドさんがいない事に気が付いた。休憩に入ったのだろうかと思い、さっきの興奮が冷めていたが、もう一度くらい会えないかとも思った。しかし諦めてそのまま帰ろうとした。そして店を出た時、店の裏路地に人影がある事に気が付いた。顔の近くで灯が灯っているのが見えた。恐る恐る覗きに行くと、さっきのキャンがしゃがんで煙草を吸いながらグチャグチャと何かを食べていた。それを見てカイトは軽いショックを受けた。あの綺麗なおねえさんが煙草を吸うのかと。カイトは暫く固まって見ていた。するとキャンはカイトに気付き、慌てて食べていた物をポケットにしまい、視線をやった。
「おや、さっきの少年じゃないか」
「あっ……」
キャンはマジマジと見るカイトの視線に疑問符を浮かべた。しかしすぐに煙草の事を見てると気付き、微笑んだ。
「煙草が気になるのかい?」
「まぁ、はい……」
「メイドさんが煙草吸っちゃ悪いかい?」
「い、いえ!そんな事は!」
「じゃあ何でそんなジッと見詰めるんだい?あぁ、君も吸ってみたいのかい?」
「いえ!大丈夫です!」
「ふふっ、そうかい」
キャンは構わず煙草を吸った。カイトはまだそこに居た。
「何だい?まだ何か用なのかい?」
「あ、いや、その……」
カイトの歯切れの悪い言葉にやや苛立ちを感じるキャン。
「何なんだい。ハッキリ言いなよ。男なら」
キャンの言葉にカイトは肩をビクッと震わせ、か細い声で言った。
「……だから」
「あぁ?何だい?」
「綺麗だから……」
「はぁ?」
「貴方はとても綺麗だから、煙草とか吸うと、肌とかに悪いと思って……」
カイトの言葉に意表を突かれたキャンは一瞬キョトンとしてカイトを見詰めたが、すぐにニヤリと笑った。
「ありがとう、少年。でも、オネーサンを口説くにはまだ早いぞ?」
「いやっ!そんなつもりじゃ……!」
言い訳をしようとしているカイトだったが、そこへメイドカフェの裏口の扉から別のメイド店員が現れた。
「キャンちゃーん、そろそろ休憩時間終わるよー?」
「あぁ、はいはい」
キャンはポケットから携帯灰皿を取り出して煙草を揉み消し、携帯灰皿に入れて立ち上がった。そしてキャンはカイトの方に行き、カイトの首筋の臭いを嗅いだ。
「えっ?えっ?」
「……ふ~ん」
キャンはカイトから離れ、ニンマリ笑い、カイトを見下ろした。
「君、良い臭いがするね」
「に、臭いですか……?」
「うん。家族の誰か、末期癌なんじゃない?」
「どうしてそれを!?」
「分かるんだよ。もしかしてここに来た理由って、あの噂の医者を探しに来たとか?」
「え、あ、はい……」
「そう……じゃあ、これは何かの縁だね」
キャンはポケットから名刺サイズの紙を一枚取り出してカイトに渡した。
「これは?」
「君が求めている医者、ここに行けば見付かると思うよ」
「えっ……?」
「じゃあね。私はこれから仕事だから。遅くなる前に帰るんだぞ、少年」
そう言い残し、キャンは店に帰っていった。
「何だったんだ……それに、コレ……」
キャンから貰った紙には、住所が書かれていた。果たして本当に求めている医者に出会えるのか。カイトは悶々としながら家に帰り、寝た。翌日、休日だったカイトは住所をスマートフォンのマップアプリに入力し、向かってみた。するとそこはビル街の裏路地にある古びた三階建てのビルだった。
「ここか……?」
カイトはビルのどの階に行けば良いか分からず戸惑っていると、ビルの二階の窓からキャンがだらしない服装で煙草を吸いながら見下ろしていた。
「やぁ、少年。本当に来たんだ」
「あ、キャンさん……」
「こっちにおいで」
「は、はい!」
キャンは室内に戻った。カイトは二階に上がり、チャイムを鳴らした。すると、キャンの声が部屋から聞こえてきた。
「開いてるよ~」
カイトは扉を開け、中に入った。中ではキャンが煙草を吸いながらソファで寛いでいた。
「し、失礼します」
「はいは~い」
カイトはキャンに促され、キャンが座っている向かいのソファに座った。
「で?誰を助けたいんだい?」
「祖父です」
「オジーチャンを?何歳?」
「73歳です」
「何癌?」
「胃癌です」
「ステージは?」
「4です」
「末期か」
「はい」
キャンは煙草を揉み消した。
「オジーチャン、本当に助けたいのかい?」
「えっ?」
「もういい加減歳だし、ここらで死なせてあげた方がオジーチャンも苦しまずに済むんじゃない?」
「な、何て事言うんですか!」
「だってそうだろう?末期の状態ってかなり苦しい状態だし、ここらで楽にしてあげた方がオジーチャン思いなんじゃないのかい?」
「そんな事……!」
キャンの言葉に、一理あるかもと思ってしまったカイト。しかし、それでも、義文はまだ生きたいだろうから、という思いが出てきてキャンをキッと睨んだ。
「それでも、僕はオジーチャンを助けたい。まだ、高校、大学、成人と成長していく僕を見てもらいたい、です」
「……そう」
キャンは煙草を吹かした。
「でもさ、お金、払えるの?」
「それは、両親と話し合って……」
「ここは普通の医療じゃないんだよ」
「えっ?」
「モグリなんだよ、私は」
「モグリ?」
「そんな事も知らないで来たのかい?」
「す、すみません」
「いや、まぁ、子供だから仕方ないね。モグリの医者ってのは、医師免許を持ってないって事なんだよ」
「無免許でやってるって事ですか?」
「そう。まぁ元々持ってたんだけど、剥奪されてね。だから法外な値段を要求するからね」
「それは噂で聞いています」
「保険適応外だからね」
「で、どれくらいなんですか?」
「1000万円」
「えっ!?」
「聞こえなかった?1000万円だよ」
「そんな大金、払えません……」
「じゃあこの話は無かった事に。帰りなさい」
キャンは出入口の扉の方にカイトを促した。しかしカイトは続けた。
「……絶対、癌を治すっていうのは本当なんですか?」
「あぁ、そうだよ」
「絶対、絶対ですね?」
「絶対に治す。それだけは保証するよ」
カイトは口に手を当てて黙り込んだ。だがすぐに口を開いた。
「分かりました。何とか親を説得させます。だから、オジーチャンを助けて下さい!」
カイトの真っ直ぐな瞳にキャンは一瞬狼狽えた。しかし思わず笑みが零れた。
「ふふっ、そう。そこまでしてオジーチャンを助けたいんだ?分かった。この仕事、引き受けようじゃないか」
「本当ですか!?」
「但し、びた一文まけないからね」
「はい!」
「一応、お金の事もあるし、一旦家に帰ってご両親と話し合ってきなさい。払えるだけのお金が用意出来れば、その分差し引いてあげるから」
「分かりました!」
そうしてカイトは一旦家に帰り、両親と話をした。
「何で勝手な事したの!」
「しょうがないでしょ!オジーチャンの為なんだから!」
「もし怖い人だったらどうするんだ!それにあれはあくまで噂で、本当に治せるかどうかなんて分かんないんだぞ!?」
「それは……!」
「もうそこに行くのは止めなさい。オジーチャンは、ちゃんとしたお医者さんのお父さんに最期まで診てもらうから」
「……分かった」
翌日、カイトは再びあのビルに向かった。カイトがチャイムを鳴らそうとした時、部屋からキャンの声が聞こえた。
「開いてるよ~」
カイトは扉を開けて中に入った。そこではキャンがソファで煙草を吸いながらカイトの事を待っていた。
「よう、少年。その顔だと、ご両親から反対されたんだな?」
「よく分かりましたね」
「まぁね。長く生きてれば大体分かるのさ」
「長くって……まだ二十代とかでしょ?」
「女性に年齢を探るような事はしない方が良いぞ」
「自分から言った癖に……」
カイトはキャンの座っている前のソファに座った。
「で、どうしたいんだい?」
「……祖父を、助けてほしい……」
「そうかい。でも良いのかい?ご両親から反対されたんだろう?」
「それでも、お願いします。お金は、一生掛かってでも払います。だから、祖父を、助けて下さい!」
「『一生掛かってでも』か。その言葉が聞きたかった」
「えっ……?」
キャンは席を立ち、奥の棚から一枚の紙を取り出してカイトの前に置いた。
「これは?」
「契約書。難しい言葉で書いてあるから要約すると、どんな不都合が起こっても、私には責任が無い。それを認めた上で手術を依頼する。という内容だよ」
「分かりました」
「じゃあここにサインして。後印鑑は持ってないだろうから母印で良いよ」
「はい」
カイトは契約書にサインと母印をし、キャンに返した。
「じゃあ契約は成立。オジーチャンの病院はどこ?」
「都内の渋井大学附属病院です」
「あぁ、そこは私の顔が利くわ。分かった。明日手術をしましょう」
「明日ですか?」
「何?何か問題が?」
「いや、急だなと思って」
「早く助けたいんじゃないの?」
「まぁそうですけど」
「じゃあ明日行くから。で、一つ提案がある」
「何ですか?」
「明日の手術、君も参加するんだ」
「はぁ!?」
突然何を言い出すのかと思えば、そんな非常識な事を提案してくるとは思わなかった。自分はただの中学生で、天才でも医学的知識がある訳でも無い。そんな自分が手術の場にいても足手まといにしかならない。カイトは断ると決めた。
「僕は只の中学生です。そんな事しても何のメリットも無いですよ」
「いいや。これは契約の内に入ってる」
「は?」
「コレ、よく読んでみな」
カイトはキャンからまた契約書を受け取り、中身を読んでいくと、驚きの一文が書かれていた。
「はぁ!?」
そこには「契約者は今後十二年間、手術の際常に助手として立ち会うものとする」と書かれていたのだ。
「こ、ここ、こんなの詐欺だ!」
「そうだよ?」
「こんなの認めない!僕は絶対手術に立ち会わないからな!」
「良いのかい?これは一種のバイトだよ?これをするだけで割の良い給料が発生するんだよ?それでも良いのかい?」
「バイトって、僕まだ中学生なんですけど」
「んなの知ってるよ?」
「えっ……労働基準法違反……」
「そうだが?」
「えぇ……」
無茶苦茶な会話に頭が痛くなってきたカイト。しかし自分が働けば少しでも早く治療費が軽くなると考えたら逆に良い話かもしれないと考えた。
「分かりました。その話、引き受けます」
「物分かりが良い子は好きだよ」
「す、好き……?」
「あぁ。君みたいな子、好きだよ」
「は、はぁ……」
ちょっと勘違いしてしまったか、とも思ったが、一縷の望み持ってその言葉を鵜呑みにした。
「好き、ですか……」
「勘違いするなよ?あくまで人としてだからね。男としては、まだまだだよ。少年」
「むっ……そ、そうですか……」
淡い気持ちはすぐに搔き消された。そしてキャンは言った。
「バイトの内容だけど、一回の手術に付き、1万円払うよ」
「そんなに良いんですか?」
「そんなにって、時給換算で2500円前後かな?一般的な医者からすれば少ない方だけど、バイトとしては高い方かな」
「そ、そうなんですか」
「でもどんだけ時間が掛かっても、逆にそこまで時間が掛からなくても一回1万円だからね」
「分かりました」
「明日早速やるけど、君、何時に来られる?」
「そうですね……午後四時頃には病院に着けると思います」
「じゃあ手術は午後四時半からね」
「分かりました」
「じゃあそういう事で」
そう交わしてカイトは一度部屋を出た。それを見届けてキャンはポケットから一つの小さいビニール袋を取り出し、中の物をグチュグチュと食べ始めた。そこへカイトが再び中に入ってきた。キャンは慌ててビニール袋をポケットにしまい、口の中の物を飲み込んだ。
「何だい、少年。まだ何か用かい?」
「あ、聞きそびれた事があって」
「何だい?」
「オネーサンの名前を聞いてなかったので」
「あぁ、そんな事?私はキャン。サイン・キャン。キャンって呼んでね」
「日本人ではないのですか?」
「日系アメリカ人なんだよ。帰化したんだ。漢字で書くとサインは糸辺に少ないの紗に音、キャンは沖縄によくある苗字の喜屋武だよ」
「そうなんですか」
「それにしても少年。いきなり入ってくるのは止め給え。吃驚するから」
「すいません。で、何か悪い事でもしてたんですか?」
「別に」
「何食べてたんですか?」
「別に。今はまだ言えない」
カイトは頭上に疑問符を浮かべながらそのビルを後にした。翌日、放課後にそのまま義文が入院している病院に向かった。キャンとは特に待ち合わせをしていた訳では無かった為、どこに行けば良いか分からず、とりあえず義文がいる病室に向かった。扉を開けると、そこではキャンが白衣を着て往診していた。
「キャンさん」
「やぁ、少年。今往診が終わったところだよ」
「そうですか」
「副主治医である孝之センセからカルテと診断書を見せてもらったし、これから手術だよ」
「分かりました」
「じゃあ準備しようか」
キャンはカイトを連れて手術室へと向かった。そしてカイトはキャンから手術着を受け取り、更衣室で着替えて手術室に入っていった。そこでは、それまでやる気無さ気な表情を浮かべていたキャンが、真面目な顔で義文のカルテと診断書を見ていた。
「キャンさん」
「おう、少年。準備出来たかい?」
「心の準備はまだですけど……」
「長引けば長引くだけ、オジーチャンが苦しむだけだよ」
「むっ……はい」
「男は度胸。何でも経験だよ、少年」
「ところで、まだ両親から承諾をもらってないんですが……」
「あぁ、その事なら気にする事は無い。無許可でやるから」
「ちょっ……!そんな事許される筈が……!」
「どうしても助けたいと言ったのは少年だろう。今更そんな事を気にする必要がどこにある?」
「えぇ……」
そこへ渋井病院の医師の一人である加藤孝之が手術着を着て手術室に入ってきた。
「キャン」
「あら、孝之センセ。何か御用?」
「君だけで手術をやるつもりか?」
「そのつもりだけど?」
「だろうな。でも助手は必要だろう?私がサポートするよ」
「あぁ、サポートは大丈夫。彼がいるから」
キャンはカイトの肩を掴んだ。唐突な指名にカイトは驚いた。
「えぇ!?俺ぇ!?」
「ん?どうした、少年?」
「いやいやいや!俺、あ、いや、僕、手術のサポートなんて出来ませんよ!?」
「大丈夫、大丈夫。手取り足取り教えてやるからな」
「そういう問題じゃなーい!」
騒ぐカイトを見て、孝之は笑みを零した。
「あの時と一緒だな……」
「えっ……?」
「あぁ、いや、何でもない。カイト君、この手術、君がサポートをしなさい」
「えぇ!?先生まで!?」
孝之はカイトを連れて部屋の隅まで行き、耳打ちした。
「カイト君、オジーチャンを助けたいんだろう?」
「そりゃあ、まぁ……」
「君の手で治してあげた方が、オジーチャン、喜ぶんじゃないかな?」
「だからってこんな違法……いや、素人の僕にやらせるのは色々マズいでしょう!?」
「まぁまぁ、そこの処理は我々大人がどうにかするから。それに……」
「それに?」
「キャンの事、助けてあげたいだろう?あわよくば、イイコトしてもらえるかもよ?」
「い、イイコトって、それはつまり……!?」
カイトは悶々として俯いた。そして孝之は手術室の扉に向かった。
「それじゃあカイト君、宜しくね」
そう言い残し、孝之は手術室の扉を開けた。
「あっ!?先生!?先生ー!?」
カイトの呼び掛けも虚しく、孝之は出て行った。そしてキャンに肩を抱かれ、義文の前に立たされた。
「さぁ、張り切っていってみよ~!」
「えぇ……」
「ほらほら、元気無いぞ、少年」
「元気になる訳無いじゃないですか……」
「まぁ、そこまでグロテスクなものは見られないと思うから、気楽に行こうぜ~」
「は、はぁ……」
そして手術は始まった。するとキャンは点滴用のチューブを取り出した。そのチューブは両端が針になっていた。片方を自分の左腕に刺し、もう片方を義文の左腕に刺した。
「何してるんですか?」
「麻酔みたいな物だよ」
「いやいや、双方の血液が混ざっちゃうじゃないですか。そんな手術聞いた事ありませんよ」
「大丈夫、大丈夫。ここは私に任せて」
「えぇ……?」
そして手術が始まった。キャンはキリッとした顔になり、カイトはドキッとした。
「メス」
「えっ?」
カイトはキャンからの指示に戸惑った。するとキャンは怒鳴った。
「メス!」
「あっ、はい!」
カイトはメスをキャンに渡した。キャンはメスで義文の腹部を切り開いた。それを見てカイトは吐き気を催した。
「おえっ……!」
「どうした少年。まだ手術はこれからだぞ」
「こんなのいきなり見せられて平気でいられる中学生がいますか……!」
「こんなの序の口だぞ」
「えぇ……」
それからもキャンは「鉗子」「ピンセット」「コッヘル」と指示を出した。しどろもどろになりながらも、カイトはキャンから怒鳴られながら器具を渡していった。そして4時間にも及ぶ手術は終わり、義文は胃の2/3を切除する結果になった。カイトはその場にへたり込んだ。
「終わったぞ、少年」
「疲れたー!」
「人生経験を積んだな。誇りに思って良いぞ」
「こんな違法を誇りに思うのはどうかと思いますけどね」
「まぁまぁ」
キャンは自分と義文を繋いでいたチューブを抜き取り、カイトを立ち上がらせて手術室を後にした。手術室の前では孝之が待っており、キャンは後の事を任せてカイトと共に喫煙室に向かった。喫煙室でカイトはソファに座り、項垂れていた。そこへキャンが缶コーヒーを持ってカイトの頬に当てた。
「ひゃっ!?」
「お疲れ、少年。コーヒーは嫌いかい?」
「い、いえ。大丈夫です。ありがとうございます……」
「ブラックが良いかい?それともミルク?」
「じゃあブラックで」
「大人だねぇ、少年」
「甘いの苦手なんですよ」
カイトはキャンから缶コーヒーを受け取って開けて飲んだ。するとキャンは悪戯する子供みたいな態度でカイトに言った。
「はい、120円ね」
「ブフゥ!」
カイトは噴き出し、咳き込んだ。
「はっ!?金取るんですか!?」
「そりゃそうだろう」
「返します」
「飲んだ分はどうするんだ?」
「吐き出しましょうか?」
「いらん。それに冗談だ」
「悪い冗談ですね」
「これくらい軽くこなせるようにしないと、大人になれないぞ?」
「こんな悪い大人になりたくないです」
「はっはっは、そうかい」
二人は缶コーヒーを飲み、キャンは煙草を吹かした。するとそこへ孝之が現れ、カイトの前に立った。
「お疲れ様、カイト君」
「あ、加藤先生」
「オジーチャン、病室に戻ったから」
「ありがとうございます」
「じゃあ後の事はまた明日という事で、今日はもう帰って良いよ」
「分かりました」
カイトは手術着を脱ぎ、孝之に渡して更衣室で制服に着替えて帰っていった。翌日、病院へ向かうとキャンと孝之が義文の術後の経過を観察していた。
「失礼します。オジーチャン、具合はどう?」
「あぁ、カイト。切られた腹が痛いくらいだな」
「そっか」
「やぁ、少年」
「カイト君。今、丁度オジーチャンの術後の観察をしていてね。もう再来週には退院出来ると思うよ」
「そんな早いんですか?」
「まぁこんなもんだよ。ただ、ここまで早く先の事を決められるのは早々ある事じゃないんだけどね」
「どういう事ですか?」
カイトが質問すると、キャンが口を開いた。
「まぁ、外で話そう。では義文さん、我々はこれで失礼します」
「はい」
「オジーチャン、また後でね」
「あぁ」
義文はカイトを呼び止めた。
「カイト。お前が手術を手伝ってくれたんだってな?」
「え?あぁ、うん」
「ありがとうな」
「……うん。じゃあ、また後で」
「あぁ」
そう言ってカイトとキャンと孝之は病室を出て喫煙室に向かった。キャンは煙草を吹かした。
「で、さっきの話はどういう事なんですか?」
「あぁ、あれ?あれはね、私の血を入れたからなんだよ」
「は?」
キャンの言葉に、カイトは意味が理解出来ずにいた。しかしキャンは続ける。
「私の血は特別製でね。麻酔と、癌の再発と他の臓器に転移させない能力を併せ持っているのだよ」
「ど、どういう事ですか?」
「悪魔との契約でね。とにかくそういう事だから」
「でも血液型とか……」
「それも悪魔との契約でね。私の血は、どの人間に対しても対応出来る事になってる」
「O型って事ですか?」
「そういう事じゃない。まぁ、特別な血なんだ」
「最強じゃないですか」
「そう、最強なんだ」
キャンはふんぞり返り、鼻を鳴らした。そしてキャンは孝之に手を差し出した。
「ん」
孝之は握手を求められたのかと思い、キャンの手を握った。すると、キャンは孝之の手を振り払った。
「何気持ち悪い事してんの?アレだよ、アレ」
「あ?あぁ、そうだったな。ちょっと着いて来てくれ。カイト君も」
「僕もですか?」
「良いだろう?キャン」
「あぁ。構わんよ」
三人は孝之の診察室に向かった。そこで孝之はキャンに何かの肉が入ったビニール袋を手渡した。
「はい、コレ」
「サンキュ」
「何ですか、それ?」
「あぁ、コレ?君のオジーチャンの切除した胃」
「え?それを何故キャンさんが?」
「まぁ、ちょっとね。カイト君にはあの事話したの」
「いいや?まだ」
「何ですか?研究か何かで使うんですか?」
「あー、えーっと、その……」
孝之が言い淀んでいると、キャンが言った。
「食べるんだよ」
「は?」
「だから、食べるんだよ」
「な、何を……?」
「癌細胞を」
あまりに意味不明な理由にカイトは耳を疑った。もしかして、初めてあった時、煙草を吸いながら食べていたのは人肉だったのかと思った。
「初めてあった時と、さっき食べていたのって……」
「察しが良いね、少年。そう。あれは癌細胞を食べていたんだよ」
「何故そんな事を?」
「悪魔との契約。今はそれしか言えない」
「さっきから悪魔、悪魔って……そんな非科学的な事、信じられません」
「まぁそうだろうね。ま、いずれ話すよ。時間はまだたっぷりある。そう焦るな」
「時間って……もうこれ以上何を関わるって言うんですか?」
「そりゃあ、これからの色んな人の手術を手伝ってもらおうって事さ」
「はぁ!?またこんな手術に付き合わされるんですか!?」
「そうだが?嫌か?」
「絶対に嫌ですよ!」
「でも少年、契約書にサインしたからなぁ」
「サイン?どういう事ですか?」
「ちゃんと契約書にも書いただろう?これからも、手術の助手としてよろしくな、少年」
「はぁ!?」
キャンは契約書を取り出してカイトに見せた。
「あれは今回の手術についての話の筈でしょう!?」
「あれあれぇ~?日本語読めないのかなぁ?『契約者は今後手術の際常に助手として立ち会うものとする』。つまり今後私が手術をする際、治療費が返済されるまでずっと少年は私の助手という事になるのだよ?」
「何ですかそれ!?聞いてない!」
「昨日、自分でちゃんと読んだだろう?それに、ちゃんと契約書を把握してなかった少年が悪い」
「だからそれは今回の手術の話ってだけで……!」
「そんな事一言も書いてないぞ。少年、悪い大人に捕まるとこうなるんだぞ。一つ、勉強になったな」
「中学生に分かる契約書じゃなかったのが悪い!」
「私は別に良いんだよ~?ただ、この条件を飲めば、少年の家族に負担を掛ける事無く、今回の手術は割引で済むんだよ?バイト代も出すし。これは良い取引だと思うんだけどなぁ」
「あ、う、ぐぐ……!」
「まぁ少年が嫌だと言うなら仕方ない。素直に1000万円、少年の家族に請求するだけだから」
「…………」
カイトは黙り込んだ。大人って汚い。そう思った。しかしこの契約に従えば、1000万円の手術費がチャラになる。そう思えば、自分が犠牲になれば家族は助かる。ならば答えは一つだ。
「だー!もう分かりましたよ!受け入れればいいんでしょ!受け入れれば!」
「話が分かる子は好きだぞ、少年」
「うるせぇ!」
キャンはカイトの頭を乱暴に撫で、カイトは嫌な顔をしてそっぽを向いた。それを見て孝之は微笑んだ。
「かつての時代を見ているようだな」
その後、カイトとキャンは義文の病室に戻った。義文は二人が来た事で、ふと思った事を話した。
「あの、癌の再発と転移の可能性は……?」
すると、キャンが言った。
「転移の心配はありません。ご安心を」
「そうなんですか?何故そう言い切れるんですか?」
「私は名医なのです」
「えっ?あ、はぁ……」
「では私はこれで。少年、今日はもう遅い。君も帰りなさい」
「あ、はい。じゃあね、オジーチャン」
「あぁ。ありがとうな」
カイトとキャンは帰っていった。
翌日、義文は経過観察の為に孝之に診察を受けていた。そこへカイトが見舞いに来た。そして孝之は病室から出て行った。
「オジーチャン」
「おう、来たか、カイト。学校は終わったのか?」
「うん。調子はどう?」
「まだ点滴生活だ。腸閉塞や胆石の事がまだ気がかりだが、まぁ、要観察って所だな」
「そっか。まぁ良好なら良かったよ」
カイトは椅子に座り、自分のペットボトルのお茶を飲んだ。
「そういえば聞いたぞ。お前、俺の手術、立ち会ったんだってな」
「え?あぁ、まぁ……」
「そうか。どうだった?」
カイトは言葉に詰まったが、ありのままの感想を告げた。
「グロテスクだったよ」
「そうか。それはすまなかった」
「いや、良いんだ。俺がやりたくてやった事だから」
「ありがとうな」
「あぁ、良いんだよ。家族だろ?」
「ははっ、そうかそうか。ありがとうよ」
カイトは義文と過ごしていると、そこへキャンが現れた。
「おや、少年。来てたのかい」
「あ、キャンさん」
「倉部義文さん、調子は如何ですか?」
「さっき加藤先生が診察に来まして。まだ傷口が痛いです」
「おや、そうでしたか。でも見る限り元気そうですね。良かったです」
キャンはカイトの側に寄った。
「ねぇ、この後、時間ある?」
「ありますけど、何でですか?」
「ちょっと、ね?」
キャンの不敵な笑みにドキッとし、席を立った。
「じゃあ、オジーチャン、俺、行くから」
「あぁ。分かった。またな」
「うん」
カイトはキャンに着いて行った。
「何ですか?」
「仕事だ」
「えぇ……またですか?昨日の今日な気分なんですけど……」
「若いんだからそれくらい耐えな。ほら、張り切って行くぞー!」
「お、お~……」
そしてカイトはキャンに連れられ、二回目の手術に向かって行った。この日から、カイトはキャンと共に多くの手術をする生活を送る事となった。




